映画「人生ドライブ」城戸涼子監督 Interview

目の前に起きたことの捉え方次第で、明日どんな気持ちで生きるのかが変わる

──岸さん一家を21年間取材したということですが、当然、取材したのは城戸さんだけではないですよね?

実は私は三代目のディレクターで、私が入社した時には初代の人はもう局を辞めていました。私は2年ぐらい担当したんですが、職場異動のため次の担当に任せたこともありまさか再び私が取材を担当するとは思っていませんでした。延べで言えば歴代10人以上関わっていると思います。代々引き継がれているのは家族の生年月日の一覧表ぐらいで、それぞれが一から関係を作っていく感じでしたね。継続取材って担当者が変わると途切れることが多いんですが、続いているのは岸さん一家に魅力があるからでしょうね。私の場合は、大家族だからというよりは、英治さんと信子さん夫婦の人柄に惹かれて取材を続けているのかなと思います。

──20年前の映像と最近の映像が入り混じっているのが面白かったです。思春期の時モヒカンだった二男が、その後、立派な社会人になってたりして。

三女の種恵さんの結婚式の時に、子どもたち全員が一同に集まったんです。長年追ってきたカメラマンやスタッフは、みんな立派に育ったなあとしみじみしてましたね。

──取材10年目の年に岸さんの家が火事で全焼するという不幸が襲いますが、映像を見てるとなぜかあまり悲愴な感じがしないですよね。

たぶん、目の前に起きたことの捉え方次第で、明日どんな気持ちで生きるのかが変わるんだと思います。あの状況にどう対処するかは十人十色だと思いますが、信子さんは焼け落ちた家を前に「無くなったものは何もない」と言い切るんです。それは自分を奮い立たせるためかもしれないけれど、決して根拠なく言っているのではなくて、あのお母さんの言葉を聞いて、子供どもたちも「ああ、私たちは大丈夫なんだ」って安心できる。翌日から狭い部屋での不自由な生活になっても、信子さんの言葉でその世界の見え方も変わるんじゃないかなと思うんです。焼け跡の中から拾ったおもちゃの仮面ライダーベルトの音が鳴ったと喜んでいて、「え、そこ?」ってスタッフ一同唖然としていました。

──さらに、焼け跡から、英治さんから信子さんに送ったプロポーズの言葉を綴った幸福駅行きのハガキが見つかったのは奇跡的でした。

あれが焼け残っていたのがすごいですよね。あのハガキがプロポーズの時にもらったものだというのを最初に撮ったのは初代のディレクターで、火事のシーンの撮影は私の後のディレクターなんですが、本当に長い間撮影しているといろいろな出来事が突然つながるんだなと実感しました。そもそも幸福駅の切符って若いスタッフはもう誰も知らないですから(笑)

──私も久しぶりに見ました。昭和の時代にタイムスリップしたような感覚にもなりますね。

そうですね。携帯電話ひとつとってもそうですが、映っているものを見るだけで社会が変わったんだと感じます。

映画だとわざわざ説明しなくても映像を見ているだけでいろいろ感じ取ってもらえる

──火事の3年前ぐらいの場面だったかと思いますが、借金で苦しい時代があったことを話していますが、作品全体から見ると異質な感じも受けました。

おそらく生活が苦しい面を深掘りするという取材はやってなかったのではないかと推察します。そういう映像はほとんど残っていません。あの借金の話も別の取材中にたまたま出てきた話だったようです。経済的に楽じゃないのは見ていればわかるんですが、具体的な借金の話とかはしてこなかったですね。ただ、映画にする場合、和気あいあいの大家族というだけじゃないシリアスな部分も描きたいと思って、あのシーンを入れました。

──城戸監督は薬害肝炎訴訟を追ったドキュメント番組をはじめ、災害や過疎問題など多くの社会問題を取り上げていますが、岸一家への取材は監督の中ではどういう意味がありますか?

私はもともと報道記者なので、ニュースから派生するドキュメンタリーの仕事が多かったんです。そんな中、岸さんの取材はたまたま回ってきた取材なんですが、普段やっている社会問題の現場とは気持ち的には違いますね。10人子どもがいるって最初はびっくりしますが、中に入ってみると、夫婦のあり方や親と子の関係って誰にでも共感できる部分があるんじゃないかなと思いました。ニュースは尺が短いのでどうしてもナレーションで説明しないといけないんですが、映画だとわざわざ説明しなくても映像を見ているだけでいろいろ感じ取ってもらえるのではないでしょうか。そこが映画のいい所ですね。

──それでは最後に、監督が今後撮ってみたいテーマがあれば教えて下さい。

私はいま熊本に住んでいるので、やっぱり一昨年の水害や6年前の地震は継続的に形にしていきたいです。災害が起きた当時はたくさんの人に映像を見てもらっていますが、今もまだプレハブの仮設住宅に住んでいる方が多くいらっしゃいますし、そういったことは今後もちゃんと伝えないといけないと思っています。せっかく局に当時の映像が残っているので、今の姿だけでなく、暮らしている人たちの状況や気持ちがどのように変わったのかということを、映画でもネット配信でもいいから、じっくりと伝えることをしたいですね。

城戸涼子監督

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