進化を続ける卵屋が倉敷市水島にあります。
有限会社 阪本鶏卵は、1966年に地域の商店へ卵を届ける卸売業として創業しました。
水島コンビナートの企業に向けて産業給食用の食材を提供し、卵を通じて日本有数の工業地域を支えています。
昨今では、卵の価格の低下や、新型コロナウイルス感染症の影響を受けて、主軸とする事業を企業向けの販売から、一般のお客さんへ向けた卵や惣菜の販売へ転換。
阪本鶏卵の直売所には、朝から地域の人たちが並ぶ光景が見られます。
昭和、平成、令和と時代の変化に合わせながら成長している卵屋が阪本鶏卵なのです。
阪本鶏卵の代表取締役 阪本 晃好(さかもと あきよし)さんに、これまでの事業について聞いてきました。
数々の事業を成功に導いてきた阪本鶏卵の裏側を覗いていきます。
有限会社 阪本鶏卵の紹介
地域に親しまれる卵屋として活躍する阪本鶏卵が、どのような事業を手掛けているのかを紹介します。
阪本鶏卵の歴史を振り返り、卵屋としての特徴を見ていきましょう。
阪本鶏卵の概要
有限会社 阪本鶏卵は、倉敷市水島地区にある卵の卸売業を営む企業です。
1966年9月に創業し、養鶏場から仕入れた卵を地域の商店に販売してきました。
卵の卸売業の他にも水島コンビナートの企業に向けて、だし巻き玉子などの卵の加工食品を産業給食の一品として提供しています。
日本有数のコンビナートを有する水島を、卵を通じて支えてきた老舗企業です。
2011年11月には自社で卵を生産できるように、岡山県井原市美星町に養鶏場を開設。
阪本鶏卵独自の飼料を開発し、品質の高い卵の生産を続けています。
2019年に阪本鶏卵のブランドイメージを一新。
企業に向けて生産してきた卵の加工食品を、一般の消費者に向けても販売し始めました。
本社のある水島と養鶏場のある美星町に直売所を開設し、地域に親しまれる卵屋として活躍しています。
卵のオールラウンダー
阪本鶏卵の特徴は、卵の生産、加工、直売など、卵に関わるあらゆる事業に力を入れていることです。
生産工程においては、養鶏場の鶏に与える餌を独自に開発することで卵の品質向上を目指しています。
また加工においては、たまごサンドなどの惣菜を開発し、人気商品を生み出しています。
卵が生まれるまでの工程、商品を作り販売する工程にも、阪本鶏卵には独自のこだわりがあるのです。
卵に関するあらゆる工程に強みを持つ阪本鶏卵は、卵のオールラウンドプレイヤーとして活躍しています。
阪本鶏卵の直売所
阪本鶏卵では、とれたての卵やできたての商品を、直売所で販売しています。
直売所の場所は、本社のある倉敷市南畝、養鶏場のある井原市美星町星田です。
美星町の養鶏場で生産された「星の里たまご」や、阪本鶏卵の加工場で作られた玉子焼き、茶碗蒸し、たまごサンドなどの商品が店内に並んでいます。
他にも、岡山県内の事業者とのコラボレーションにより開発した商品も。
阪本鶏卵の目玉商品のたまごサンドは、品切れになるほどの人気で、開店前から並ぶ人がいるそうです。
美星直売所
筆者は、2021年に開設した美星直売所に足を運んできました。
美星直売所には、阪本鶏卵の商品だけでなく、卵の出荷のための生産設備が置かれています。
卵が店頭に並ぶまでの過程をお客さんに楽しんでもらおうと、工場に置かれている設備の一部を置いたそうです。
卵を洗浄する設備や重さごとに仕分ける設備が並んでいました。
▼卵を持ち上げる装置で、搬送台に載せているようす。
掃除機の先に、ゴム製の吸引口が10個ついていて、卵を吸い上げることで持ち上げます。
衝撃で割れないように、卵を優しく運ぶ工夫がほどこされていました。
▼卵はコンベヤーの上を転がり、次の設備に運ばれていきます。
コンベアーの行き着く先は、洗浄装置。
▼卵の洗浄装置です。
ブラシのついた2本の棒が高速で回転し、卵の表面について汚れを磨き落とします。
かなり激しく回転しているように見えましたが、卵はブラシの接触によって推力を得て、次の装置に運ばれて行きました。
▼次は、卵の重さごとに分ける分別装置です。
重さごとに卵が選別されて、台の上にコロコロと転がって出てきます。
コンベヤーの上を転がる卵、次々と出てくる卵は、見ていて飽きません。
食べるだけでなく、見ることでも卵の魅力を発信しています。
有限会社 阪本鶏卵 代表取締役の阪本 晃好さんにインタビュー
阪本 晃好さんは、有限会社 阪本鶏卵の二代目代表取締役。
前代表取締役(現会長)の阪本 安弘さんとともに、阪本鶏卵の事業を展開してきました。
卵屋として地域に親しまれている秘密について、阪本 晃好さんに聞いていきます。
卵のオールラウンドプレイヤーが生まれた背景
──卵のオールラウンドプレイヤーが意味することは?
阪本(敬称略)──
2019年に、阪本鶏卵のブランドイメージを見直すために強みを整理しました。
卵の生産、加工、直売など、創業当初から続いている卵の卸売業だけでなく、卵に関わるあらゆる事業に対応できるのが阪本鶏卵の特徴です。
卵さえあれば、さまざまな形に変化させられます。
そこで、卵業界を生き残るためのブランド戦略として掲げた言葉が卵のオールラウンドプレイヤー。
スポーツの世界におけるオールラウンドプレイヤーのように活躍していこう、という意気込みが込められています。
──卵の生産から直売までを行なっている企業は珍しいのでしょうか?
阪本──
生産や直売など、卵に関する事業を一貫して行なっている企業は他にもあります。
しかし、阪本鶏卵だけの強みがあります。
阪本鶏卵は、惣菜への加工を得意としていて、これまでに玉子焼きや玉子豆腐、だし巻き玉子を作ってきました。
実は、水島という地域性が強く現れていて、工業地帯にある企業へ産業給食を提供していたという歴史が私たちの強みになったんです。
阪本鶏卵の歴史のなかで培ってきた技術を生かして、商品を作り続けています。
──強みに気がついたきっかけがあるのでしょうか?
阪本──
ブランド戦略を一緒に考えていた企業の社員を、加工場に案内したことがありました。
私にとっては工場内の風景は日常のことなので新しい発想が生まれると考えていなかったのですが、外部からきた人にとっては珍しいものだったようです。
焼き立ての玉子焼きを見ながら「これが食べたい!」と教えてくれました。
私の感覚が鈍っていただけで、実は作り立ての商品を食べたいというのが一般の人の感覚。
ブランド戦略を考えるうえで、これまで培ってきた卵の惣菜を生産する技術が強みになると考えたんです。
直売所ができるまで
──一般のお客さんへの販売は初めての経験だったと思いますが、どのように始めたのですか?
阪本──
阪本鶏卵の強みが惣菜を作れる点にあるというヒントを得て、まず簡易販売所を作りました。
工場の建屋の前に長机を置くだけという、本当に簡易な売店。
告知はSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)で行ない、費用も時間も負荷が少ないように工夫しました。
私一人が体と時間を使えばいいので、社員の負担にもなりません。
毎週土曜日の朝9時から1時間だけやっていたのですが、地域の人たちからの反応があり、しだいにお客さんが増えていきました。
──直売所を常設にしたのは、なぜできたのでしょうか?
阪本──
当時は、新型コロナウイルス感染症が広まり始め、企業を相手に販売していた惣菜の収入が落ち込み始めていました。
簡易販売所も好調だったこともあり、一般のお客さんにも販売していこうと、経営方針を転換したのです。
まずはできることから始めようと、2020年5月に直売所をオープンしました。
たまごサンドの開発経緯
──たまごサンドを作ろうと思ったきっかけは?
阪本──
新型コロナウイルス感染症で売り上げが下がるよりも以前の問題として、卵の販売価格が下がっていて、経営が成り立たないと感じ始めていました。
そこで、6次産業化を目指してたまごサンドの商品開発を始めたんです。
当時は、養鶏場の開設を準備している段階だったので、6次産業化による岡山県の支援を受けられませんでした。
直売所を開設する目処がたった2019年末ごろに、養鶏場を運営し始めて数年が経過していたこともあり、改めて6次産業化の申請をして承認をもらうことができました。
「6次産業化」とは、農林漁業者(1次産業)が、農産物などの生産物の元々持っている価値をさらに高め、それにより、農林漁業者の所得(収入)を向上していくこと
──どのように開発したのでしょうか?
阪本──
遊びの延長のような感覚でたまごサンドの開発に取り掛かり、思い浮かんだアイディアで試作していました。
月に数回程度、水島にある行きつけのバーに試作品を持って行って、マスターや常連客にダメ出しされたことも。
それで、腹が立って、また持っていくことを繰り返していましたね。
いまでは、たまごサンドは阪本鶏卵の目玉商品として、直売所に並んでいます。
──たまごサンドの特徴は?
阪本──
ボリュームです!
阪本鶏卵で販売しているたまごサンドと同量の卵を使うのは、他社にはコスト面から難しいでしょう。
自社で養鶏場を持っているので、原価をおさえてたまごサンドを作ることができるんです。
もちろん味にもこだわっていて、何度食べても飽きないように優しい味付けにしています。
ボリュームのあるたまごサンドを最後まで食べてもらえる、そしてまた買いに来てもらえるように親しみやすい味を目指しました。
養鶏場を作った背景
──養鶏場を作った理由はあるのでしょうか?
阪本──
理由は2つあります。
1つは、全国的に卵の質が落ちているということです。
卵は養鶏場で育てられている鶏から生まれます。
鶏へ与えている飼料の多くはトウモロコシですが、最近はバイオエネルギーの原料として使われるようになり、価格が高騰してきました。
そのため、養鶏場の経営者はコストをおさえるために、価格の安い飼料を選びがちです。
安い飼料は質も悪く、卵の質も悪くなっているのです。
もう1つの理由は、卵の安定した調達が難しいためです。
卵の生産者は1円でも高く買い取ってくれる企業があると、乗り換えてしまいます。
そのため、質の良い卵を安定的に調達することに頭を抱えていました。
そこで、卵の品質向上と安定調達を実現させるため、2011年に美星町の使われなくなった養鶏場を借りて、卵の生産事業に着手したんです。
──品質を求めた卵の生産でコスト競争力は他社に勝てるのでしょうか?
阪本──
品質でも、コストでも戦うために考えたのが、阪本鶏卵の独自技術の発酵飼料です。
長年の卸売業を通じて、全国各地から卵を仕入れ、加工する仕事を数十年間続けてきたので、生産者が与えている飼料の情報も把握しています。
頭の中にある知識を使って品質の高い卵を生産する方法を考えたとき、発酵飼料に行き着いたんです。
そして、私と前代表取締役と一緒に現代農業や発酵について勉強して、阪本鶏卵独自の発酵飼料を開発しました。
阪本鶏卵の将来について
──一般のお客さんへ販売を始めて、社員に変化はありましたか?
阪本──
お客さんの声を聞いて、自信を持って仕事に取り組む社員が増えたと感じています。
卵の卸売業や産業給食など、企業向けの事業が多かったので、社員がお客さんに会う機会はほとんどありませんでした。
いつも工場の中で働いていて、外に出ることが恥ずかしい人が多かったように思います。
大きな変化があったのは、工場見学会と商品の直売会を開いたとき。
お客さんたちが阪本鶏卵の商品を箱いっぱいに詰め込んで、うれしそうにしているんです。
「自分たちの作ったもので、人を笑顔にしている」という実感を社員たちは持つことができました。
直売所ができてからは社員とお客さんが関わる機会も増え、社員たちが意欲的に仕事に取り組むようになったと思います。
──社員へ期待することはありますか?
阪本──
養鶏場を作るまえは、小さな会社でした。
創業者の父親のワンマンチームで、商品開発も、販売も、仕入れもすべて一人で行なっていたんです。
経営が成り立っていたので良かったのかもしれませんが、社員が育たないんですよね。
ただ、近年は部署が多くなったこともあり、私だけでは手には負えない量の業務があります。
環境の変化もあり、仕事を進めるなかで社員たちは自発的に発想するようになってきました。
役割を持って自分たちで仕事を改善していけるように、社員を育てることが今の目標の一つです。
──これから、どんな会社にしたいですか?
阪本──
地域に貢献する企業を目指しています。
最近は、テレビ番組で紹介されることもあって、多くの人に阪本鶏卵の名前が認知されるようになりました。
「近所に阪本鶏卵さんのような卵屋さんがあってよかった」という言葉をもらったこともあります。
企業向けに仕事をしていたときには、想像もできなかった言葉です。
私の祖父は、水島で日用品や食料品を販売する商店を営んでいました。
小さい頃の私はレジ打ちを任されていたこともあり、いつも店のようすを眺めてたんです。
店舗の前に近所の人が集まり、楽しそうに会話を弾ませている光景を思い返します。
実は、阪本鶏卵で直売所を始めたとき、原点回帰だと感じたんです。
祖父の商店と同じように、阪本鶏卵も地域の人たちに親しまれる存在になりたいと考えるようになりました。
阪本鶏卵の裏側を聞いて
阪本さんの話を聞きながら阪本鶏卵の歴史を振り返り、時代に合わせながら成長してきたことを理解できました。
養鶏場の開設も、一般のお客さんへ向けた販売も、変化する時代のなかで勝ち抜くための戦略。
小さなヒントも見落とさずに、事業をつなげています。
急速に変化する時代といわれていますが、阪本鶏卵は時代の流れをつかみ、波に乗っているように見えました。
社会環境に振り回されずに事業を成功させるための手本を、阪本さんに見せてもらったような気がします。