ぼくらが「日本人死ね」を翻訳する理由

習近平氏を怒らせる「大翻訳運動」、中国の国内向け宣伝を外国語に

© 株式会社全国新聞ネット

「大翻訳運動」のツイッターアカウント(共同)

 日本で3月に強い地震が発生すると、中国のインターネット上で「日本人死ね」などと災いを望むかのようなコメントが相次いだ。そうした声を即座に日本語や英語に翻訳する集団が登場、知られざる中国の世論が世界に発信された―。
 反米や反日感情をあおる中国当局の国内向けの宣伝などを外国語で紹介し、交流サイト(SNS)を通じて海外に知らしめる「大翻訳運動」と呼ばれる動きが中国の内外で広がっている。参加者は「中国共産党の世論工作の実態を暴き、世界に警鐘を鳴らす」と動機を説明。習近平指導部は「中国侮辱ウイルス」(中国メディア)と呼び、彼らを敵視する。(共同通信=大熊雄一郎)

 ▽翻訳の威力

 「ロシアの合理的な懸念は理解できる」。2月下旬、中国政府がウクライナに侵攻したロシアに寄り添う姿勢を示すと、インターネットには「ウクライナの美女を引き取ろう」「ウクライナ瞬殺だ」などとサッカー観戦のようなノリでウクライナを小ばかにするやりとりが展開された。ロシアと緊密な関係を強調する中国政府の方針もこうした世論の背景にあった。

会談を前に言葉を交わす中国の習近平国家主席(右)とロシアのプーチン大統領=2月4日、北京(AP=共同)

 そんな風潮に腹を立てた人たちが米国のSNS「レディット」のコミュニティーでこれらの投稿を自発的に英語に翻訳、海外に紹介したのが、大翻訳運動の始まりだった。翻訳した内容は、中国政府の対外宣伝に隠された“本音”として外国メディアの注目を集めた。
 中国の世論は翻訳を介してウクライナにも伝わり、反中感情を刺激。また中国がロシアの侵攻を容認しているとの認識が国際社会に広がった。
 「宣伝当局が築いた平和で友好的な中国イメージを突き崩した」。運動の参加者たちは翻訳の威力に手応えを感じた。

 ▽緩やかな組織

 運動の拠点となっていたレディットのコミュニティーには5万人以上が参加していたが、「個人情報を漏らした」との理由で3月に閉鎖された。
 活動の場をツイッターに移すと、党・政府の世論操作や強権的な統治に反感を持つ人が共鳴。「#大翻訳運動」「#TheGreatTranslationMovement」のハッシュタグ(検索目印)を付けて参加する人が増え、今ではフォロワーは15万人を超えている。
 少数の有志による自然発生的な運動は緩やかに組織化された。米欧や日本への憎悪をあおり、ロシアの軍事行動を後押しする中国の宣伝や、それに迎合する世論を、英語や日本語、ドイツ語、フランス語、韓国語などで発信している。

 ▽「寝そべるな」と言われても

 運動初期から参加する中国在住の20代男性が「絶対匿名」を条件に通信アプリを通じて取材に応じてくれた。仮に王さんと呼ぶ。
 不況のあおりを受けて失業した王さんはベッドに横になりながらスマートフォンをいじる日々を送っていた。あるときニュースで耳にした当局者の言葉が聞き捨てならなかった。
 その当局者は最近の若者が努力もせず、無気力だとして「寝そべり主義」と批判した。好きで寝そべっているわけじゃない―。王さんは身を起こし、自分が無職となった背景を熟考した。

都市封鎖され高速道路の通行が制限された中国上海市=3月28日(ロイター=共同)

 中国当局はここ数年、市場の安定を掲げてIT企業やネット通販、金融業界、学習塾などへの規制を強化した。活力を奪われた民間企業は大規模な解雇を余儀なくされ、さらに新型コロナウイルスの感染を徹底的に封じ込める「ゼロコロナ」政策の下で都市封鎖が繰り返され、経済活動は停滞。多くの失業者が行き場を失っている。
 「政府は失政の責任を若者に押しつけ、世論の目をそらすために米欧や日本への憎悪をあおっている」。王さんの目に、経済が失速する中で対外危機をあおりウクライナに侵攻したロシアと、自国の姿が重なった。
 王さんは「中国が台湾に侵攻すれば国民の生活は破綻する。自分たちを守るために大翻訳運動に参加した」と説明。他国に攻撃的な愛国心を育て、軍備増強に走る党・政府の実態を対外発信することで、「暴走を食い止めたい」という。

 ▽うろつくネズミ

 一方、中国当局は翻訳が武器になり得るということに気づき、強い危機感を抱いた。
 党機関紙、人民日報系の環球時報は4月、「(中国に)汚名を着せる翻訳問題が大規模化、システム化している」と懸念する専門家の論評を掲載した。「中国の国際イメージづくりと国際的な発言力の向上に深刻な影響を及ぼす」と指摘し、「中国に関する概念の翻訳の主導権」を握るべきだと訴えた。
 習指導部は「愛される中国のイメージ」形成を唱えており、大翻訳運動がそれに水を差す動きとみて神経をとがらせている。宣伝当局は米欧などの反中勢力が背後にいると主張している。

中国海南省を視察する習近平国家主席(右から2人目)=4月(新華社=共同)

 しかし王さんによると、運動参加者の大部分は中国語を母国語とし、中国政府の統治下で暮らしたことがある人たち。中国人のほか、世界各地の華僑や外国人が加わっているという。中国当局の摘発対象とならないよう、リーダーを明確にしない戦略を取っている。
 党・政府系メディアは運動参加者を「ウイルス」「うろつくネズミ」などと罵倒し、米欧主導の情報戦と見なして攻撃する。しかし参加者の主力が中国人である可能性には目を伏せているようにも見える。

 ▽専制の土壌は国民にも

 大翻訳運動が中国内の反日的言論を海外に紹介する理由について、王さんは「中国政府が反日感情を植え付けた結果、どれぐらい危険な世論が形成されているかを明らかにするため」と説明する。中国が日本の脅威を口実に軍拡に突き進むことへの危機感がある。
 日本の地震を祝うコメントが翻訳され、海外で反響が広がると、これらの投稿の大半は削除されたという。運動メンバーはこれを“成果”と考えている。

日本の地震に関する中国のネット世論を日本語で紹介する大翻訳運動のツイッター画面

 ただ運動の目的は必ずしも党を脅かすことではない。「ウクライナ美女」や「日本人死ね」を書き込んでいる人の大半は普通の庶民だ。
 王さんは「中国人の根っこには中央集権への崇拝があり、党の統治がもたらした結果に一定の責任がある」と指摘する。
 専制を受け入れ、人権を軽視する民族心理への深い反省を促すことこそが狙いなのだという。「中国当局が憎悪に満ちた宣伝を停止し、中国のネット民が侵略を支持するような愚かな言論をやめない限り、大翻訳運動は終わらない」

スマートフォンを使う若者ら=2021年6月、北京(共同)