並行在来線問題 長崎、佐賀両県とJR九州 奇策“ウルトラC”で決着 長崎新幹線の軌跡・3

JR九州が並行在来線を経営分離しないことについて、同社、長崎、佐賀両県が合意し、報道陣の取材に応じる金子知事(当時)=2007年12月17日、長崎市内

 2007(平成19)年冬、九州新幹線長崎ルートは着工できるかどうか最終局面を迎えていた。
 着工条件は、JR九州が並行在来線(肥前山口-諫早)を経営分離することへの沿線自治体の同意。だが沿線の佐賀県鹿島市などは以前から、分離後の第三セクターによる運行ではいずれ経営危機に陥ると反発していた。3年前の04(平成16)年には、同県知事だった古川康氏が同意したものの、政府・与党は「(地元の)調整が整った場合は着工」と申し合わせざるを得なかった。
 当時の鹿島市長、桑原允彦氏(76)は「市町の同意が必要というルールは地方自治の自主性を尊重しており、私は大いに評価していた。これが経営分離をさせない唯一の武器だった」と振り返る。
 国は新幹線予算を執行できない状態が続き、業を煮やした本県政界や与党内で条件見直しを求める声が上がり始めた。本県選出の衆院議員で与党整備新幹線建設促進プロジェクトチーム(PT)座長や自民党整備新幹線等鉄道調査会会長を務めた久間章生氏(81)は「地元同意はできるだけ取り付けなければならないが、それを絶対条件にしていたら将来の国家のため必要なことができなくなる」と考えていた。「マイカーが普及し、地方の人口が減る中で、いずれ(近距離利用が多い)在来線の経営は厳しくなる。20年、30年先を考えると(高速鉄道の)新幹線が主流になると政治家もJRも分かっていた」と言う。
 PTは07年11月、着工条件の解釈変更を協議することを決定。だが桑原氏によると、国土交通省は沿線市町の同意が必要との姿勢を決して崩さなかったという。事実、当時の国交相、冬柴鉄三氏(故人)は12月の記者会見で「地元との信頼関係を損なう」として条件見直しを否定した。
 ここから水面下で“ウルトラC”とも言える動きが本格化する。経営分離しなければ同意は不要ではないか-。だがそれはJR九州が並行在来線と新幹線を同時に運行し、経営悪化のリスクを抱え込むことにもなりかねない。しかも同社は04年、並行在来線の一部となる肥前山口-肥前鹿島の運行を継続し、鉄道施設は長崎、佐賀両県に無償譲渡し維持管理を任せる「上下分離方式」を提案。生じる赤字の全額負担など既に大きな譲歩をしていた。
 同社社長だった石原進氏(77)は「責任を持って在来線を全線経営するためには大幅な赤字は避けなければならなかった」と言う。結果、20年間は全線運行し、無償譲渡の予定だった鉄道施設を両県が14億円で購入。同社の新たな赤字分と相殺することで合意した。
 そもそもこうした奇策を誰が発案したのか。久間氏は「私ではない」と否定。当時の長崎県知事で現農相の金子原二郎氏(78)は「冬柴氏とは親しかったので何度も協力をお願いしていた。冬柴氏の指示で(国交省)鉄道局が動いたのだろう」と話す。
 この決着劇に桑原氏らは「とても納得できない」といったん反発したが、「口を挟む仕組みがなくなった」と矛を収めた。整備計画決定から34年。建設に向けて大きく前進した。


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