頭脳警察 - 日本語ロックの革新者がその真髄を凝縮させた、配信というライブに対する背信行為の実況録音盤

これまで生きてきた証、爪跡を残しておきたい

──ここがPANTAさんの生家なんですね。

PANTA:こっちは離れで、向こうの純和風の母家で暮らしてた。父親が米軍基地に勤めていたわりに純和風の家なんだけど(笑)。まあ、当時は西洋風の家を建てる発想なんて全然なかった頃だからね。俺が小学1年生くらいのとき、親父がすでに買ってあった土地に家を建ててさ。それも大工に手伝ってもらいながら仲間たちと一緒にほぼ自力で建てたらしい。ここから歩いて5分くらいで基地に着くんだけど、子どもの頃に親父に弁当を届けに行ったのを覚えてる。ゲートで白いヘルメットの衛兵に「中村ですけど、弁当を持ってきました」って言うと「ちょっと待ってね」と言われて、親父が部下にジープを運転させてやってくるわけ。「ご苦労」とか言って敬礼してさ。それが子どもながらに格好いいなと思った。

──この辺りは米軍のジープがよく往来していたんでしょうし、PANTAさんは幼児期からアメリカの存在を殊のほか身近に感じていたんでしょうね。

PANTA:家の近くに大きな木があって、そこにパラシュートが引っかかったりね。あと、誰も信じてくれないんだけどP-38が編隊飛行しているのを子どもの頃に見たり。俺が生まれたのは昭和25年、1950年だから朝鮮戦争が始まった年で、P-38が飛んでるのを見たのはおそらく6、7歳。ということは朝鮮戦争はもう終わってる。実際、朝鮮戦争でP-38が使われたとは思えないんだけどさ。

──病気療養中の時間を使ってWEB Rooftopに寄稿していただいている『乱破者控「青春無頼帖」』も気づけば50回を超えまして、いつも洒脱な原稿を仕上げてくださってありがとうございます。

PANTA:こちらこそ掲載できる場を作ってもらえて有難いよ。自分の原稿を発表できる場所なんてなかなかないからさ。

──ウチの連載以外にも『夕刊フジ』では毎週金曜日にミッキー吉野さんとの対談連載『JAPANESE ROCK ANATOMY 解剖学』があったり、杉作J太郎さん責任編集の『現代芸術マガジン』では『PANTA 琴心剣胆』を連載していたり、療養中とはいえだいぶ精力的に活動されている印象を受けますが。

PANTA:自分のSNSであれこれ書いても広がりがないからね。面白いのは、『琴心剣胆』に1969年のシャロン・テート殺害事件がテーマの一つだった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を取り上げて「1969年は終息の年だった」と書いたら、図らずも『夕刊フジ』のほうで日本では1969年に渋谷東横劇場で上演された『ヘアー』のことがテーマになってシンクロしたんだよね。これまで何度も話してきたけど、俺は1969年を変革の年だとずっと思っていたわけ。ところが実は終息の年だった。1969年は〈愛と平和と音楽の祭典〉と呼ばれた『ウッドストック』が開催された年だけど、1月に安田講堂陥落、8月にマンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺害事件、12月にオルタモントの悲劇が起こっているし、この年に公開された『イージー・ライダー』でも主人公が最後に殺されてしまう。いわゆる“サマー・オブ・ラブ”、愛と平和とロックの時代は1967年の『モントレー・ポップ・フェスティバル』辺りがピークで、1969年はあらゆる意味で終息の年だったと思えてならない。

──目下、数々のコラムを並走させているのは、そうした自身の体験した時代のうねり、当時見聞きしたことを伝え残しておきたい思いからですか。

PANTA:それもある。俺よりちょっと下の世代…60代の連中もそんなことをやり始めてるのが多いよね。たとえば自分の洋楽体験や知識をSNSに書き記したりとか。俺は別に残しておきたいわけでもないんだけど、自分の生きた証というか、爪跡を多少なりとも残しておきたいのかな。

──思っていたよりお元気そうに見えますが、体調はいかがですか。

PANTA:これから新しい治療が始まって、まだ具体的な対策法は聞いていないけど、今後は好転していくんじゃないかな。自分では笑いを絶やさずにこの状況を楽しんでいるけど、病院にはいつもイジメられてるよ(笑)。食事は不味いし、食事制限はないのに薬の副作用で食欲不振になっちゃってるし。

──そのせいか、だいぶお痩せになりましたね。

PANTA:ここ1週間ほど食欲がなくて、チョコレートをつまむ程度だったからね。医者には「まず25kg痩せましょう。そしたらすべて良くなりますよ」なんて言われたんだけど、薬のせいで強制的にそれくらいになってしまった。今は69kgかな。あと1kg減ったら18歳のときの体重と一緒になっちゃう。だけど筋力が落ちてるだけだから、これで体調が戻れば今度はリハビリをしなきゃいけない。車椅子を利用して両腕を鍛えないとね。まあでも、悪いことばかりでもないよ。今日みたいに2、3時間の点滴があるという日は読書に限るということで、今はベストセラーの『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬・著)を読んでいる。これが最高に面白いんだ。モスクワ近郊の農村に暮らす女性スナイパーの物語なんだけど、これはぜひ読んだほうがいいよ。

自分の音楽スタイルが改めて鮮明になった

──『乱破者控「青春無頼帖」』でも村上春樹の短編を映画化した『ドライブ・マイ・カー』のことを書かれていましたが、休養中でも最先端のカルチャーを貪欲に吸収されているのが窺えますね。

PANTA:『ドライブ・マイ・カー』は、カメラマンのシギー吉田が見ろってDVDを強制的に送ってきたから(笑)。ただ原稿にも書いたけど、肝心のクルマが原作では黄色のサーブ900カブリオレなのに、映画では赤いサンルーフ仕様のサーブ900ターボだったでしょう? それじゃちょっとニュアンスが違うのに…とは思った。映画自体が面白かっただけに、そういう細かい部分は残念だったね。その『ドライブ・マイ・カー』の原作だった村上春樹もそうだし、日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成もそうだけど、文学の世界では日本語で作品を発表してもちゃんと世界に通じるものなんだよね。もちろん有能な翻訳者の存在ありきなんだけど、最初から日本語を英語に直した小説が海外に広まるわけじゃない。もっと時代を遡れば、日本には世界に誇る短歌という文化が『万葉集』の時代から存在していたんだから、もっと日本語で発信することにこだわるべきだと俺は思う。

──それゆえにPANTAさんも音楽の世界において日本語で唄うロックを10代の頃から頑なに志向されたわけですよね。

PANTA:日本語で唄うことで何が大きく変わるのか? と訊かれれば、日本語で何を唄うかが問題になってくるんだよ。唄いたいことがあるから自分の言葉で唄うんでしょ? そのときに日本人であるわれわれが英語で唄うのはおかしいよね。

──それは18歳のときにそれまで大好きだったブラック・ミュージックを捨て、借り物でない自分の言葉で唄うことを選択したPANTAさんならではの発言ですね。

PANTA:当時は稚拙な頭なりに悩んだよ。米軍キャンプで活動していたサミー&チャイルドみたいにブルースを唄わせると上手い連中もいたし、ジャニス・ジョプリンのブルース・フィーリングも素晴らしくて大好きだった。だけどロバート・ジョンソンすらろくに知らない俺がブルースを唄ってどうする? と。当時はローリング・ストーンズ経由でやっとマディ・ウォーターズの音楽に触れられた頃だったからね。アメリカの黒人たちの暗黒の歴史を知りもしない極東のクソガキがブルースを唄ったところで所詮猿真似なわけで、それなら稚拙でもいいから自分なりの言葉で、日本語で唄うべきだと決意した。こんなことを言うと語弊があるかもしれないけど、エレキギターを掻き鳴らして夢中になるようなミュージシャンは歌詞なんてまるで分かってないよね。PANTA & HALのメンバーですらそうだったよ。「マーラーズ・パーラー」の歌詞を理解してくれとは言わないけど、せめて「マラッカ」でどんなことを唄っているのかくらいは分かって演奏してほしかったよね。そうやって日本のアーティストは歌詞を軽んじてきたから海外で99%つまはじきにされてしまう。シュープリームスは「LOVE CHILD」=“私生児”なんてタイトルの曲をヒットチャートに載せちゃうんだから凄いよ。いつだったか、エミネムがゲイのことをボロカスに言ったことで「あんな奴をグラミー賞に出すな」とゲイの権利団体から抗議の声が上がった。そこでグラミーがどう対応したかと言うと、エミネムにエルトン・ジョンとデュエットさせたわけ。そのオファーを受けたエルトン・ジョンとエミネムも凄いし、企画したグラミーも凄い。そういうセンスを目の当たりにすると日本のエンターテイメントが海外の足元にも及ばないことを痛感するね。紅白やレコード大賞でそんな企画が生まれることはまずないだろうから。

──今年のアカデミー賞授賞式で起きたウィル・スミスの平手打ち事件は海外と日本で捉え方が大きく違いましたが、PANTAさんは『乱破者控「青春無頼帖」』の中でウィル・スミスを擁護していましたね。

PANTA:ウィル・スミスの気持ちになれば、あれはあれで正解だったと思う。ゲンコツじゃなく張り手だったわけだし。スパイク・リーが黒人差別を語る1万字インタビューよりも、あの一発の平手打ちのほうが“Do the right thing”の意味を伝える効果があったんじゃないかな。まあそれはともかく、音楽をやる以上はグラミーの凄さくらい分かれよと思うし、俺だってあらゆるジャンルに精通しているわけじゃないけど、自分なりのやり方でグラミーに比肩し得ることをやりたいと今でもずっと思ってる。ここ数カ月、療養しながらミッキーと対談して歴史を遡ったり、今回のライブ・アルバム用の音源を聴き返したことで頭脳警察や自分の音楽スタイルが改めて鮮明になってきたところもあるね。日本のポピュラー・ミュージックはいわゆるシティ・ポップが主流で、世の中はシティ・ポップも踏まえてロックと捉える節があるけど、俺は別にシティ・ポップをやってきたわけじゃないからさ。70年代のポップ・カルチャーは絵画も写真もロックを中心に回っていたけど、ヴィヴィアン・ウエストウッドがロックをアクセサリーにしてしまった。それ以降、ロックは最先端の音楽ではなくなったのかもしれない。そんな昨今に『会心の背信』なんてライブ・アルバムを出して世の中にどう受け止められるんだろう? と思うけど(笑)。

なぜこんなにいいライブ・アルバムが出来たんだろう?

──良いフリをありがとうございます。今回発表されたライブ・アルバム『会心の背信』は演奏も選曲もすこぶる良くて、頭脳警察のエッセンスが凝縮したまさに会心作ですね。

PANTA:マネジメントの思うツボだよね(笑)。頭脳警察のファースト・アルバムでもう少しちゃんとやりたかったことを今回のライブ・アルバムでできたのが良かったのかなと思う。

──サポート・ギタリストの澤竜次さんのプレイに引っ張られるかのようにPANTAさんとTOSHIさんのプレイもまた実にフレッシュかつエネルギッシュで、お世辞抜きで素晴らしいアンサンブルですね。

PANTA:竜次はだいぶ緊張していただろうけど、それゆえにテンションも相当高かったと思う。演奏上の不手際はもちろん自分にも多々あるけど、このライブはそれを補って余りあるって言うかさ。細かいミスなんてどうでもいい、荒削りでもいいからやりたいことをやるんだっていう感じがよく出ているよね。なぜこんなにいいライブ・アルバムが出来たんだろう? と自分でも思うよ。モニターの返りとかも良くなくて、決して環境は良くなかったからね。まあ、頭脳警察は昔からそういう逆境の中でライブをやってきたから。学園祭でPAが鳴らなかったりさ。自分としては、このライブ・アルバムを若い世代が聴いてどう感じるのかな? ということに興味がある。左寄りの思想性が強く出ちゃっているかな? っていうのが若干気になるけど。

──でも、思想性を超えた、歌詞とメロディに普遍性があることはしっかり証明できているのでは?

PANTA:放送はできないだろうけどね、未だに(笑)。

──長野市内で行なわれる予定だったライブがコロナ禍によりライブハウスが閉鎖してしまったため、急遽ライブ配信が決定したそうですね。それもわざわざ長野まで出向いたのはPANTAさんの発案だったとか。

PANTA:最初は都内のスタジオから配信する準備を進めていたんだけど、あえて現地から配信しようと提案してね。新たにライブハウスを借りて、そこで完全シークレットでライブ配信することにした。だけどロシアのウクライナに対する軍事侵攻が続くこんな時期に「世界革命戦争宣言」や「銃をとれ」といった曲を入れたライブ・アルバムを出すなんて自分でも思わなかったし、またそういう曲が他のどんな音楽よりもロックしているのが意外だった。昨日も病院へ行くクルマの中で大音量でこのライブ・アルバムを聴いていたんだけど、窓を開けて聴くと通報されること必至だからやめたほうがいいね(笑)。

──いきなり「ブルジョアジー諸君! われわれは君たちを世界中で革命戦争の場に叩き込んで一掃するために、ここに公然と宣戦を布告するものである!」ですからね(笑)。尋常ではない気迫、テンションが漲っているのが如実に伝わってきますし。

PANTA:無観客のスタジオ・ライブだったのが集中できて逆に良かったのかもしれない。目の前に観客がいるとどうしても雑念が入ってしまうし、少しでも迷いがあると「ブルジョアジー諸君!」なんて唄えないよ(笑)。まあ、そんなことにお構いなくTOSHIは自由にやってるけどね(笑)。まだどこにも発表していないんだけど、1970年頃、自分自身に向けて書き記した音楽をやる上での決意表明文があってさ。その当時から分かっていたんだよ。自分が頭脳警察みたいな音楽をやれば、憧れのビルボードのトップ10や大好きな海外のポップスには二度と戻ってこれなくなるんだぞ、って。それでも自分の信じた音楽をやるのか?! という決意表明をした上で「世界革命戦争宣言」をやったわけ。18歳でブルースを捨て、19歳で自分の言葉で唄う頭脳警察を作り、結成当初のオリジナル頭脳警察はこのライブ・アルバムにも入っている「雨ざらしの文明」みたいにオリエンタルかつサイケデリックな感じだった。あれは18歳のときに書いた曲でね。それから1970年、20歳になると学生運動やベトナム戦争といったいろんな動きが世界中で巻き起こり、自分もその流れに染まった。「世界革命戦争宣言」はそうした経緯の中で生まれた曲なんだよね。

──プーチンは「戦争宣言」こそしていないものの、初期の頭脳警察の楽曲群がまた今の時代と呼応しているのを個人的に感じるんです。ロシアによる軍事侵攻のニュースを見ると「誰に俺たちが裁けるのかと」という「銃をとれ」の歌詞を思わず連想してしまったり。

PANTA:ドイツの劇作家、ブレヒトの詩に曲を付けた「赤軍兵士の詩」の“赤軍”はバイエルンの革命派のことなんだけど、今の時代に“赤軍兵士”って聞くとロシアの赤軍と重なってしまうしね。70年代初頭に生まれた曲が2022年のこの時代に何やら暗示的に聴こえるのが自分でも不思議だよ。俺自身、4年前にクリミアに行ってるしさ。

──そうでしたね。日本の外務省が渡航中止勧告を呼びかけていたにもかかわらず、ヤルタ国際音楽祭に参加して。その一部は映画『zk / 頭脳警察50 ─未来への鼓動─』でも見ることができましたが。

PANTA:2014年にクリミアが併合されて、その4年後にロシア政府からの招待で行ったわけ。仕切りは一水会だったんだけどね。外務省の渡航警告はレベル3だったけど、ヤルタで音楽祭が行なわれると言われたら、そりゃ行くでしょう? だって日本の戦後の運命を決めた歴史的な場所なんだから。アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンという3首脳がそこで戦後処理の基本方針について協議してさ。ヤルタ以外にも軍港のセバストポリを訪れたり、あの旅は本当に良い経験だった。今そういう地名をニュースでたびたび見ることになって、とても複雑な思いだね。まあ、ヨーロッパは戦いの歴史なんだよ。タタール人(クリミア半島の先住少数民族)の問題もあるし、民族差別もだいぶ根深いしね。

頭脳警察と聞いて誰しもが思い浮かべる頭脳警察そのもの

──そういった世界情勢について思うところを含めて、早く新曲を発表しなければという思いはありますか。

PANTA:マネージャーからも催促されてるし、やらなきゃとは思ってる。ただ今は、自分たちのやってきた音楽のスタイルとは一体何だったんだろう? という検証を改めてしたくてね。頭脳警察は確かにパンクの始祖と言われればそうだったのかもしれないけど、1969年当時にパンク・ミュージックというジャンルはなかったからさ。そんなことよりも欧米のロックに向けて一矢を報いなければということに必死だった。海外のレコードを聴いて、どうすればこんな音を出せるんだろう? とレコーディング・スタッフを交えながら研究を重ねたのが頭脳警察のセカンド・アルバム、サード・アルバムだったね。何がロックなのか分からずに模索する中で歌詞を作っていくと、俺もTOSHIもMC5が好きだったのもあって“mother f×××er”みたいな世間的によろしくない言葉を率先して使うべきなんじゃないかと思うに至った。それで「言い訳なんて要らねえよ」の歌詞で「てめえの×ン×に聞いてみな」という言葉をあえて使ったりしてみた。「ふざけるんじゃねえよ」にも「クソッタレ馬鹿野郎」という言葉が普通に出てくるし、そういうのは当時の歌謡曲の発想にはないものだった。だけど俺たちはロックをやっているんだし、“ですます”じゃないよなと思ったしね。

──自分たちの音楽スタイルの再検証ということで言うと、『会心の背信』のミックスやマスタリング作業を経て、PANTAさん自身は頭脳警察というバンドを改めてどう捉えたんですか。

PANTA:このライブ・アルバムにおける頭脳警察が、いわゆる世間的に思われている頭脳警察なんだろうね。俺自身にはソロの『クリスタルナハト』や『マラッカ』みたいにいろんな世界が他にあるけど、これが頭脳警察と聞いて誰しもが思い浮かべる頭脳警察そのものと言うか。「コミック雑誌なんか要らない」みたいな軽快なロックンロールも入ってないからね。

──ソリッドで先鋭的な、うるさ型のロックマニアが一番追い求める頭脳警察像が『会心の背信』には凝縮していると。

PANTA:うん。確かにソリッドって言い方が一番合っているのかもしれない。

──冒頭の「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の歌」「銃をとれ」「ふざけるんじゃねえよ」までが異様に尖りすぎてますからね(笑)。

PANTA:俺が19歳で始めた頭脳警察はこうだったんだよ、って改めてお知らせする感じかな。頭脳警察が再結成した1990年、朝霞の米軍基地跡で朝までライブをやったんだよ。その翌日に皇居では即位の礼が行なわれたんだけど、俺たちはその日、寝ないで京都へ移動して同志社大学で初めてライブをやったんだよね。その同志社大学のライブで使ったグレコのセミアコレスポールをこの『会心の背信』でも使ってるんだよ。それは偶然じゃなくて、意識して使った。やっぱりあの音じゃないとダメだよね、ってことでね。決してキレイな音じゃないんだけど、これはストラトでもなければマーシャルでもないよなと思ってさ。頭脳警察と言えばグレコのセミアコレスポール、それもファースト・モデルってイメージが絶えずあったのもあるかな。本物は使ったことがないくせにさ(笑)。

──話を伺っていると、PANTAさんが日本語ロックの真のオリジナリティを追い求めて孤軍奮闘してきたのがよく分かりますし、その紆余曲折がすなわち日本のロックの歴史そのものだと改めて感じますね。

PANTA:その昔、フラワー(・トラベリン・バンド)とイベントで共演したとき、トリ前が俺たちでトリがフラワーでさ。そこで俺が「これから物真似猿の大行進が始まるよ!」とフラワーのことをおちょくったんだよ。そしたら演奏後に石間秀機君が「PANTA、ありゃねえだろ!」って俺たちの楽屋に怒鳴り込んできたんだけど、俺は「だってその通りじゃねえかよ。グランド・ファンクやツェッペリンをただ完コピして何が面白いんだよ!?」って言ってやった。石間君はフラワーの前にGSのビーバーズをやってた大先輩だし、大好きで仲も良かったんだけど、でもだからこそ余計に言ってやりたくてさ。石間君には「PANTA、お前はそうやって島国根性だからダメなんだよ! 世界に打って出るには英語で唄わなくちゃいけないんだよ!」って言われたけど。その後、カナダに渡ったフラワーが地元のミュージシャンとセッションをしたときに「俺たちは東洋から来たミュージシャンを楽しみにしていた。聴き飽きたブルースではなく、きみたち独自の音を聴かせてくれよ」と言われて、現地で聴いてもらえる音がないことにショックを受けたのは有名な話だよね。そんな経緯を経てフラワーなりのオリジナリティを追求した『SATORI』というアルバムが発表されたときは涙が出るほど嬉しかったね。俺たちと方法論こそ違えど、互いに認め合える部分があったからさ。

日本のロックが海外に浸透する鍵とは

──そうした日本語ロック論争の時代を経て、昨今ではたとえばサブスクの普及によって日本のシティ・ポップが海外に浸透するケースもありました。オリジナルの日本語ロックを50年以上にわたり追求してきたPANTAさんは、今の日本語ロックが海外に伝播する可能性についてどう考えていますか。

PANTA:日本語で唄うロックを海外へ発信するのは未だに大きな課題だけど、鍵となるのは訳者の存在だろうね。以前、「マラッカ」をドイツ語で直訳したこともあったけど、直訳では日本語の機微が伝わらないんだよ。細やかなニュアンスも含めて伝えられる訳じゃないといけない。翻訳もまた創作だからさ。となると、その訳者にどれだけ日本語の知識と翻訳のセンスがあるかが大事になってくる。もしかしたらフランス語に訳したほうが細いニュアンスまで伝えられるのかな? と考えもするけど、やっぱり世界共通語である英語にして伝えたい気持ちが絶えずあるからね。

──PANTAさんの歌詞は聴き手次第で如何様にも受け取れる構造になっているし、ダブル・ミーニングに仕掛けた日本語独自の言葉遊びも多いので翻訳は苦難するでしょうね。物語性が高い上に情報量も多く、ただ直訳するだけでは不完全なものになるのが容易に想像できますし。

PANTA:たとえば「せめぎ合いを横目で見ていたキミは〜」という歌詞(「夜と霧の中で」)をどうやって訳すべきか、自分でも悩むよね。言葉の響きの問題もあるし、日本語で韻を踏んでいたところが訳詞では踏めなくなるだろうし。逆に言えばそうした難題を解消できる有能な翻訳者がいれば、日本語のロックも海外で火がつくと思う。俺としてはやはり「マラッカ」──「たたきつけるようなスコールを/ものともせずに海をひき裂く/ずぶ濡れの巨体揺さぶって/20万トンタンカー」をちゃんと訳してもらえたら本当に嬉しいよね。まあ、いろいろと難しいとは思うよ。「絶景かな」というタイトルも、英語にすると“Wonderful Sight”なのか“Wonderful View”なのか悩むしさ。

──「絶景かな」はやはり“What a Wonderful World”が一番しっくりくるんじゃないですか?

PANTA:そうだね。30歳くらいの頃、60歳になったらサッチモ(ルイ・アームストロング)の「この素晴らしき世界」(「What a Wonderful World」)みたいな歌を唄えるような価値のある人間になっていたらいいなと漠然と考えていてね。「絶景かな」は『zk / 頭脳警察50 ─未来への鼓動─』のために書き下ろしたんだけど、はたと気づいたんだよ。なんだ、これは自分なりの「この素晴らしき世界」じゃないか、って。そんな奇妙なシンクロに自分でも鳥肌が立った。そうか、自分も還暦を迎えて自分なりの「この素晴らしき世界」を唄えたんだな、と思って。実はあれだけストレートに心情を吐露した歌は自分でも珍しいんだよ。とにかく今、君と見ている未来は絶景かな、っていうさ。

──ところで、サブスクの普及によりリスニング環境が激変し、昨今はギター・ソロが始まるとスキップする若いリスナーが多いという話がありますが、PANTAさんはどう感じますか。

PANTA:俺もギター・ソロは要らないと思うほうだし、あれは時間の無駄だよ(笑)。イントロは短いほうがいいと分かってはいるんだけど、なかなかビートルズみたいにいかないところが難しい。映画だって無闇に長いのはダメだよ。俺だって若い連中と同じように早送りしちゃうから。この間も作家の伊東潤さんと話していて、ラブシーンなんか見ても全部一緒なんだから早送りでいいって話になったしさ(笑)。

──PANTAさんが若い世代の感性に近かったとは(笑)。サブスクの時代になると曲単位で聴くわけで、『クリスタルナハト』のようなコンセプト・アルバムが今後生まれづらくなるでしょうね。

PANTA:もはやアルバムの時代じゃないからね。それはもう仕方がない。だからこそこれからは歌として、歌詞として、胸に響くものを作っていくしかない。そのためにも今はしっかり治療に専念させてもらって、いずれ現場復帰するまでにこの『会心の背信』をじっくり聴き込んでほしいね。

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