悪魔くんとプリンセスキャンディさん 地名・人名・珍名について その1

林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・5月17日に戸籍法改正の中間試案が発表され、これまで制限のなかった人名の読み方についてガイドラインが設けられる可能性がある。

・キラキラネームに規制をかけることができるとして、改正案に好意的な意見も多いが、法律が関知すべきところか否か疑問に思う部分もある。

・フランスでは1789年の市民革命の騒動で、この時期に生まれた子供に革命にちなんだ名前を付ける人が増え、教会がガイドラインを設けた。

先月はロシアによるウクライナ侵攻についてシリーズで取り上げたが、書き進める過程で、改めて考えさせられることも多々あった。

5月末にはプロ野球の交流戦が始まり、北海道日本ハムファイターズのチアリーダーたちが踊る「きつねダンス」が大変な評判となった。やはり日本は平和だなあ、有り難いことだ、と改めて思わされたし、そうした気持ちを抱いたのは、私一人にとどまらないだろう。

もうひとつは、少し前からの話ということになるが、ウクライナの主要都市の名前について、キエフではなくキーウ、オデッサではなくオデーサと記すようになった。ロシア語読みからウクライナ語読みに変えたわけで、ロシアに対する抗議の意思を示すものだとか。

キエフ大公国とか、歴史的な呼称はどうするのか、といった疑問もあるにはあるが、それを言い出したらきりがない、という話でもあるので、この連載でも原則ウクライナ語読みの表記を採用することにした。ただしキーウ(キエフ)のようにカッコ付きで。これは、安易に読み替えれば良しとする風潮に対する、私のささやかな抵抗である。

地名の話は項を改めるとして、ここで話が少し前後するが、5月17日には、法務大臣の諮問機関である法制審議会が、戸籍法改正の中間試案を発表した。早ければ来年の通常国会に提出される改正案において、人名漢字の読み方についてひとつのガイドラインが設けられるかも知れないのだとか。

現行の戸籍法においては、子の命名に際して

「常用平易な文字を用いなければならない」(50条第1項)

と定められ、使用できる漢字についての規定がいくつかあるが、読み方については何の制限もなかった。昔からよく言われているのは、太郎と書いてジローと読ませてもよいわけで、たしかに不可思議な制度ではある。

今次の改正案に際して、マスメディアでは好意的な意見を開陳する人が多いようだが、その理由は主として、

「キラキラネームに一定の規制をかける法的根拠となり得るから」

ということのようだ。

たとえば、キラキラネームの象徴のように言われる、黄熊と書いて「ぷう」と読ませるのは、漢字から読み方をまったく連想できないので、戸籍法が改正されたなら、届け出ても受理されない可能性があるという。ディズニーのアニメ映画『クマのプーさん』にちなんだものらしい。

もっとも、同じくキラキラネームの象徴のように言われた光宙(ぴかちゅう)は、漢字から読みを連想し得るのでOKになる可能性が高いとか。結局なにがしたいのか、と言いたく成るではないか。こちらもアニメにちなんだ名前という点では全く同じなのに。

ちなみに「ぷう」と「ぴかちゅう」に関しては、実在が疑われている。複数のメディアが、

「そうした出生届を受理したことがあるか」

というアンケートを各自治体に配布するなど、様々なアプローチを試みたが、未だに実在は確認されていないと聞く。Yahoo知恵袋というサイトに、

「子供に光宙(ぴかちゅう)と名付けた親ですが、なにが問題なのでしょうか」

という「質問」が掲載されていることは知っているが、これ自体、本当の話だと信じるに足る根拠はなにもない。

ただ、実際に「王子様」と名づけられた男子高校生が、家庭裁判所に申し立てを行って改名した例もあるし、一方「プリンセスキャンディ」と名づけられた若い女性は、明らかに面白がっているようで、住所を隠した免許証の写真まで公開している。これを延長して考えれば「黄熊」や「光宙」も、絶対にいないとは言い切れないようにも思う。そもそも日本の人名はカタカナやひらがなで表記される例も多いので、漢字の読み方だけガイドラインを設けても無意味ではあるまいか。

念のため述べておけば、私は「人名の無政府状態」を良しとしているわけではない。

一定の年代以上の読者なら、1993年に起きた「悪魔くん騒動」をご記憶ではないだろうか。同年8月、東京都昭島市で、息子の名前を「悪魔」とした出生届が提出されたが、市役所は一度受理したものの、法務局から「待った」がかかり、ついには裁判沙汰となった。

連日ワイドショーや新聞を賑わせたが、親の見識を疑う、とするコメントが大多数であったようだ。最終的には、父親が不受理に対する不服申し立てを取り下げ、子供には別の名前が授けられたようだが、命名権の範疇をめぐって法曹界でも論争の的となった。

これはキラキラネームとは少し意味合いが違うかも知れないが。社会通念に照らして不適当な名前は認めない、という考え方は、決してわが国だけのものではない。むしろ、命名に一種のガイドラインを設けることこそ、近代的な戸籍制度の出発点であるとさえ言えるのだ。

話は18世紀末のフランスに遡る。1789年に勃発した市民革命で、ブルボン朝による絶対王政が打倒され、1793年には国王ルイ16世、王妃マリー・アントワネットらが処刑された。厳密に言えば、1972年に王権が停止されたので、国王と王妃には「元」がつくのだろうが。

ともあれ、その革命の熱気の余波と言うべきか、革命騒ぎの誤作動とでも言うべきか、この時期、生まれた子供に「断頭台(ギヨチーヌ=ギロチン)」「貴族殺し(ノーブル・ムートゥリエ)」などと名付ける例が数多く見られたのである。

▲写真 1793年10月16日にコンコルド広場にてギロチンで処刑される王妃マリー・アントワネット。 出典:Photo by by Fine Art Images

キリスト教文化圏では一般に、

「この子はたしかにうちの教区で生まれています」

と記録を残すことで本人の身元が確認できるようになっていたのだが、物騒な名前の届け出が相次ぐことに苦慮した教会は、とうとう役所に下駄を預けてしまい、併せてあまり不穏当な名前は認めない、といった一種のガイドラインを設けることにした。

これがフランスにおける住民登録制度の起源とも言われるのだが、なにぶん社会的混乱の極にあった時代のことで、地域差もあり、正直よく分からないことが多い。

また、住民登録制度と述べたが、日本のような整備された戸籍制度は、現在に至るもフランスには存在しない。と言うより、家族全員の関係性が一目で分かるような戸籍制度は、日本、中華民国、韓国にしかないと聞く。この問題についても、項をあらためる。

ともあれ本稿を読まれた読者は、キラキラネームが日本特有の問題ではない、という点だけはご理解いただけたこと思う。

前述のように、こうした名前に一定の規制をかけるべきだという考え方には、賛同する人が多いようだが、私個人としては、法律が関知すべきところか否か疑問に思う。

タレントの壇蜜がコメントしていたが、彼女の本名は「支静加」と書いて「しずか」と読むそうだ。とりたてて不適当でも不穏当でもないように思えるのだが、当人に言わせると、

「漢字で(正確に)書ける人がほとんどいないので、電話で説明するの面倒だし、大体診察券間違ってるし」

「親から子供への最初の贈り物なのだから、よく考えた方がいいと思います」

ということになるらしい(NIFTYニュースなどによる)。

親御さんの側には、なにかしらの思い入れがあって名づけたのであろうし、前述の「王子様」のように、どうしても嫌なら所定の手続きを踏んで改名する自由もある。

そもそもどこの国でも、時代によって人に名前にも流行り廃りは見られる。

次回は、その話を。

トップ写真:東京、霞ヶ関の法務省 出典:Photo by Tomohiro Ohsumi

© 株式会社安倍宏行