【読書亡羊】「メディアが報じない真実」より大事な「プロの仕事」 増田雅之編著『ウクライナ戦争の衝撃』(インターブックス) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

陰謀論本読むよりこの一冊!

ロシアによるウクライナ侵攻は、侵攻開始前からロシア軍の動向が伝えられていた。アメリカが情報を積極的に公開し、ロシア側を牽制していたためだ。さらにはウクライナの人々がスマートフォンから発信する現地情報が、「戦地」の苛烈さを伝える。情報戦、特に世論工作に長けてきたロシアも、これには手を焼いている。

だが一方では、これだけ事態の経過が見えやすいにもかかわらず、「ロシアは罠にはめられた」「アメリカが誘い出した」との解説や、「ウクライナ住民虐殺はフェイク」というような陰謀論まがいの情報も依然として飛び交っている。

そんな情報環境の中、「ロシアによるウクライナ侵攻について経緯と国際社会の姿勢がよくわかる、誰にでも安心しておすすめできる待望の一冊」が、増田雅之編著『ウクライナ戦争の衝撃』(インターブックス)だ。

帯にもあるように、〈防衛省防衛研究所の俊英〉の方々が、侵攻までの経緯、米ロの思惑、中国・オーストラリア・ASEAN各国の対ロ姿勢などを、それぞれの専門に沿って解説。コンパクトな作りながら、広範かつ的確なポイントを抑えられる作りになっている。

侵攻の理由は「NATOの東方拡大」ではない

ロシアのウクライナ侵攻の理由として「NATOの東方拡大」を挙げる向きは多い。「約束の有無は問題ではない。ロシアを追い詰めたという事実が重要だ」という意見も、根強く残る。

だが山添博史氏担当の第二章では、侵攻直前の米ロ協議の経緯を追い、〈NATOを巡る問題は直接的な(侵攻の)理由ではなかったことを示している〉と、この説を否定(ただし今後は「ロシアが感じる脅威感の軽減」が必要、と指摘)。さらに第六章の座談会で、次のように指摘している。

〈これまでのロシアは相手の分断に主眼を置いてきましたが、今回は……結果的に相手側の結束を強化させています〉

事実、フィンランドやスウェーデンがNATO入りを表明する事態に至った。ロシアが本当に「NATOの拡大」に危機感を抱き、阻止したいがためにウクライナ侵攻をしたとすれば、まったくの裏目に出てしまったことになる。

一部には、反米心からなのか、あるいは戦前の日本と重ねるためか、ロシアを「被害者」視したがる人たちもいる。

だが、そうなるとロシアは「NATO拡大に被害意識を持つほど追い詰められていたのに、自らが蒔いた種でかえってNATOの結束を強めてしまった」ことになる。ましてや「アメリカに誘い出された」と言い出せば、ロシアの情勢の判断能力はもちろん、主体性さえも疑われることになる。

ロシアをかばいたいがための無理筋は、ロシアを無能と仮定しなければ成り立たない非現実的なものになりかねない。

ウクライナ危機が台湾有事に与える影響とは

読者にとって最も気になる中国の動向は、増田雅之氏担当の第三章で論じられている。中国はこれまでロシアのウクライナ侵攻を表立って支持してはいないものの、米欧批判を繰り返している。

やはりロシア非難は難しいのだという。

なぜなら中ロは首脳会談を繰り返してきており、ロシア非難はこれまで積み上げてきた中ロ関係の否定、つまり習近平の正統性への否定にも及びかねないためだ。

だが、同時に〈中国にとってロシアを抱え込む戦略的リスクは大きいと言わざるを得ない〉ともいう。確かに、「抱え込む」ことで中ロが同一視され、「台湾はウクライナのようにはさせない」と各国が対中姿勢や結束を強めることは、中国にとっては何としても避けたい事態であろう。

一方で「アメリカはウクライナ支援に積極的だが、米軍派兵まではしていない」現状が、中国に与える影響も座談会で指摘されている。

台湾有事にも米軍は出てこないのではないか、という中国側の希望的観測を誘発すれば、事態は望まぬ方向へ進みかねない。だが、「必ず出る」と言えばそれはそれでよからぬ影響があり、だからこそアメリカは「曖昧戦略」を続けてきた。

事程左様に、国際社会の秩序は危ういバランスの上にあり、各国の思惑は複雑にまじりあっている。「このウクライナ侵攻で得したのは中国だけ、だから黒幕は中国だ」などと断言できる陰謀論のように単純な世界ではない。

正しい情報こそが国家戦略の下地になる

本書は、200ページ未満とコンパクトでありながら、註も充実。研究者の論文だから当たり前と言えば当たり前なのだが、「情報源を明らかにしながら、読者でもアクセスできる情報をもとにここまで分析できる」専門家の凄みを、より感じられる。

「誰も指摘していない情報」「メディアが報じない真実」といった「信憑性の低い本や動画」ではお決まりの文言を制することの、今日的な意味はすこぶる大きい。

ウクライナ侵攻に関して、防衛研究所の研究員はテレビや新聞などにも多く登場し、「オールドメディア」の情報精度を高めるにも一役買っている。

一方、これを面白く思わず、「政府とメディアの一体化を危惧」と評した新聞社OBが話題になった。

ウクライナ解説で防衛研究所の突出したテレビ出演を懸念

他に朝日新聞でも〈軍事が語られる日常〉の是非を問う欄が設けられた。

(交論)軍事が語られる日常 佐藤丙午さん、水島朝穂さん:朝日新聞デジタル

もちろん防衛研究所を英雄視したり、妄信したりする必要はないし、おそらく誰もしていない。論じられるべきは、ひとえに解説の中身であろう。

繰り返しになるが、今日の情報空間では、大学の権威でも、あるいは元首相でも、現役国会議員でも、ロシアのプロパガンダと全く同じ論調の見解を口にし、元ウクライナ大使が陰謀論を垂れ流して現役国会議員がそれに感化されている、これが現状なのだ。

その中において、積極的にテレビ出演されている国際政治学者の方々や、本書に寄稿されている防衛研究所の方々の解説や情報分析力は、国民の現状認識を形成するうえではもちろん、日本の今後の防衛政策、外交戦略を考えるためにも死活的に重要である。

素人講釈とは全く違う「プロの仕事」とはどんなものか、ぜひ本書でお確かめいただきたい。

なお、本書の売り上げの一部はウクライナへ寄付されるという。

時を経るごとにウクライナの被害は積み重なっているが、事態が長引けば長引くほど関心が薄れかねないのが人心というもの。侵攻開始前からの経緯を、今一度振り返っておきたい。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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