政権交代 “弱い”長崎ルート 財源確保し脱落回避

長崎新幹線の軌跡・4

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未着工区間の早期認可を大畠国交相(左)に要望する右から西川福井県知事、高橋北海道知事、中村長崎県知事ら=2011年8月4日、国交省

 「全くの白紙だ」
 2009年10月、整備新幹線3区間の建設に着手するかどうかを巡り、前原誠司国土交通相が記者会見で発した言葉が波紋を呼んだ。
 対象は北海道の新函館-札幌、北陸の金沢-敦賀、九州・長崎ルートの諫早-長崎。その前年3月、長崎ルートの武雄温泉-諫早が着工認可。12月には未着工3区間も財源確保を前提に部分着工を認める方向で政府・与党が合意していた。
 だが09年9月、自民党から政権を奪った民主党は「コンクリートから人へ」を掲げ、ダムや高速道路など公共事業を全面的に見直し始めた。整備新幹線も無駄を洗い出す「事業仕分け」の対象となった。
 前原氏が突きつけた着工5条件のうち、最も高いハードルが「安定財源の確保」だった。それは意外な場所から見つかった。事業仕分けで、鉄道建設・運輸施設整備支援機構の利益剰余金1.5兆円の存在が浮上。この“埋蔵金”活用を求める声が沿線自治体などから上がった。大半は11年3月の東日本大震災の復興支援に充てられたが、残りで長野新幹線の建設債務を完済。玉突きのような形で、その返済に充てていた貸付料(JRが国に支払う線路使用料)が浮き、新規着工の新たな原資を得た。
 一方、地域間の優先着工を巡る綱引きも顕在化。民主党の推進議員連盟内で地元議員らの思惑がぶつかった。北陸は「東海地震に備え日本海側にバイパス機能を」、北海道は「政令指定都市の札幌と本土をつなぐ」とアピール。対する長崎ルートは比較的、距離が短く事業費も少ない半面、時間短縮効果が見込めない。県は上海航路(11年就航、約1年で運休)で大陸とも結び、アジアの成長を取り込む構想も持ち出した。
 党参院議員で議連事務局長を務めていた大久保潔重諫早市長(56)が当時の永田町や霞が関の空気感を振り返る。「重要度や熱量を比べ、長崎ルートは“三男坊”のように見られていた。九州は既に鹿児島ルート(11年3月全線開業)という縦軸が通っていたので、長崎に引き込むロジック(論理)は弱かった」
 埋蔵金だけでは財源は足りず、大久保氏らが「毎日、神経を使い」ながら探した。最終的には北海道と北陸の工期を延長することで、建設費のピークが重ならないように設定。この案を地元に飲ませ、長崎を脱落させることなく3区間「同時着工」を堅持した。
 党衆院議員で文部科学相を務めた高木義明氏(76)は、野党時代から推進派だった。武雄温泉-諫早の着工にこぎ着けた自民党の久間章生氏(81)らの「苦労」を知っていただけに「諫早で止まってしまうかもという危機感があった。後仕上げが私たちの責任だと思っていた」。
 公共事業に手厳しい民主党。その中で、議連幹事長でもあった高木氏は、沿線以外の同僚議員の冷ややかな視線を横目に、調整に奔走。元党幹事長の小沢一郎氏からは「まだ長崎はできてなかったかな」と軽口をたたかれながら了承を得た。最後は党政調会長に転じていた前原氏を落とした。
 11年12月、政府は3区間の着工認可方針を決め、武雄温泉-長崎の「22年度一括開業」が固まった。