【橋下徹研究⑩】「副市長案件」という虚構|山口敬之【WEB連載第10回】 「上海電力疑惑」について松井一郎市長は「副市長案件」、橋下徹氏は「オープンな副市長会議で決定」「今回の上海電力騒動は調査能力の幼稚な者たちがでっち上げた冤罪報道」とツイート。だが、6月10日の市議会で政策企画室政策企画課長はこう断言した。「副市長案件という言葉を聞いたことはございません」。幼稚なのはいったい誰なのか。「副市長会議」という制度は、当時まだなかったのである――。

大阪市議会で浮上した3つの新たな疑惑

6月10日に大阪市議会で行われた咲洲メガソーラー疑惑の追及は、この問題の闇の深さを改めて浮き彫りにした。そして、自民党の前田和彦、木下吉信両市議の戦略的かつ緻密な質問によって、少なくとも3つの新たな疑惑が浮上した。

(1)「副市長案件」という虚構
(2)市長にしかできない方針の大転換
(3)入札前から始まっていた大阪市の異常な行政判断

私が3月下旬から「橋下徹・上海電力疑惑」として咲洲メガソーラーへの上海電力のステルス参入問題を提起してから2か月の間、この件に関する発言を基本的に避け続けていた松井市長が、突如踏み込んだ発言をしたのが5月29日のインターネット番組だった。

松井氏の発言は以下のようなものだった。

上海電力の話は当時大阪市で、いま僕は市長だから、当時の経過を全部調べました。大阪市でいくと、副市長案件で、それほど大きくないんですあれは。副市長案件で、あの制度を決めた。

最初は上海電力じゃなかったんです。最初は日本の企業が中心でグループ組んでた。それが何年か後に、2年か3年後かな、そのグループの一角に上海電力が入った。でも事業はグループがそのまま同じことやるんで、これは認めていこうと。ただこれだけのことです。

だから一部で橋下さんが、「中国といろんな結託してどうのこうの」と、橋下さんはその時点で詳しいところは知らなかったと思いますよ。僕自身市長になって初めて知ったんだから。

その後も松井市長はツイッターなどを通じて「咲洲メガソーラーは副市長案件」「副市長会議での決裁」を強調し、「当時の橋下徹市長は咲洲メガソーラーに関与していない」と繰り返した。

ところが、6月10日の市議会の質疑で、松井市長の主張の矛盾が次々と明らかになった。まず、木下市議の追及で、大阪市で「副市長会議」という制度が始まったのは、2013年4月1日だということを、大阪市側がはっきりと認めたのだ。

一方で咲洲メガソーラーの実施を決めた会議が行われたのは2012年10月10日。だから松井市長の「咲洲メガソーラーの実施を決めたのは副市長会議」という説明そのものが、まったくの虚偽だったのである。

木下市議は、目の前に座った松井市長に対してこう啖呵を切った。
「どこにも副市長会議と書いてない。そりゃそや。平成25年4月1日から副市長会議がたちあがるんです。ありもしない副市長会議で副市長案件としてものが決まることはないんですね」

こういう時の大阪弁は本当に迫力がある。咲洲メガソーラーの実施を決めたとされる2012年10月10日に行われた「コスモスクウェア海浜緑地計画地における民間太陽光事業の活用について」という会議は、大阪市の行政手続き上の「副市長会議」では決してなかった。

それではなぜ、松井市長は副市長会議でない会議を副市長会議だと呼んだのだろうか。

「副市長案件」は松井市長による派手な脚色

そして、木下市議が暴いたもう一つのウソが「副市長案件」という松井市長の説明だった。木下市議は、大阪市の政策全般を統括する政策企画室政策企画課長から、決定的な答弁を引き出していた。

木下市議 今日は政策企画室にも来ていただいております。小林課長、あなた、副市長案件という言葉を聞かれたこと、耳にされたことがありますか?

小林課長 政策企画室政策企画担当課長小林です。お答えいたします。副市長案件という言葉を聞いたことはございません。

松井市長は、咲洲メガソーラー疑惑について、市長の権限を使って調査したと述べた。そしてその結果、咲洲へのメガソーラー導入は「副市長案件」であって、橋下市長は一切関与していないと説明していた。

ところが、その調査を担当した大阪市の幹部連中は誰一人として「副市長案件」という単語を使ったことも聞いたこともないというのである。

確かに、問題の会議の決裁をしたのは当時の副市長・田中清剛氏だ。ただ、それは大阪市の通常の行政手続き上よくある「副市長決裁」であって、「副市長会議」によって決まったのものでもなければ、「副市長案件」という形で処理されたものでもなかった。

「副市長会議で決められた副市長案件」だったという松井市長の説明は、大阪市の職員による報告に、松井市長によって派手な脚色が付け加えられた結果、誕生したロジックだったことが、木下市議の精密な質疑ではっきりと浮き彫りになったのである。

「橋下隠し」のための無理筋弁明

松井市長が副市長を殊更に強調した理由ははっきりしている。2011年12月に就任した橋下徹市長が、2012年10月に決定された咲洲メガソーラーの事業決定に一切関与していないことを強調するためだ。

しかし、なぜそんな無理筋の弁明をする必要があったのだろうか。橋下市長はその会議の1か月前の2012年9月19日、市議会で咲洲でのメガソーラー事業についてこんな発言をしていた。

蓄電池、それから太陽光発電等について、今非常に喫緊の課題となっている電力の問題について、ベイエリアを中心にしっかり国際戦略総合特区の中でアジアの拠点になるように引っ張っていこうと思っています。ですから、あの地域にメガソーラーを引っ張ってこれることになりました。(中略)

本来あれはもうどこでも貸せば、みんな借りたい、借りたいという業者が山ほど出てくるんですよ。ただ、(編集部注:夢洲メガソーラーの件では)以前もうある業者に決めてしまってたので、それをひっくり返すことはできないということを、僕は報告聞きましたから、それだったら、今やもうその業者にしなくても、どこでもみんなが賃料を払ってでもやりたいとかいろいろなことを言ってくる中で、もう既に過去に決まってたからといってその業者にするんだったら、地元還元か何かするような仕組みを考えてよと。

要はあれ、もうかるんですよ。メガソーラーをやれば今はもうもうかる仕組みになってます。その利益をやっぱりそれは地元還元するような仕組みを考えてということを担当部局に今指示を出しています。

僕は一般財源から特定の配慮ということではなくて、此花というところは環境都市、夢洲・咲洲・舞洲は環境都市、そういう軸でくくっていこうという中で、メガソーラー、一方、これはプラスのある意味環境戦略ですね。

(2012年9月19日、橋下市長発言)

橋下市長が市議会で、大阪湾の再生可能エネルギー事業、特に咲洲でのメガソーラー事業に対する強い思い入れを示していたのである。

ところが松井市長は、鳴り物入りで大阪府知事から大阪市長に転身したばかりの橋下氏が力を入れていた咲洲でのメガソーラー事業が、本人からの一切の指示なく、本人に一切報告されることもなく、副市長によって「勝手に」推進され、決裁されていたと言い張っているのである。

もしこれが事実なら、当時の田中清剛副市長の暴走である。しかし、この人物は大阪市職員OBで、定年後に大阪市の関連団体に天下りしていたところを、2013年2月1日に橋下市長によって副市長に大抜擢された人物なのである。

当時は東北大震災の余波で再生可能エネルギーへの関心が全国的に高まっていた時期である。新任の橋下市長が咲洲へのメガソーラー導入に積極的に関与していたとしても、それは全く自然なことだ。

それなのになぜ、松井市長は副市長案件という言葉を「創造」してまで、橋下徹氏の咲洲メガソーラー事業への関与を全否定しなければならなかったのはなぜなのか。

その疑問を説くカギは、6月10日の市議会の前田和彦市議の質問のなかにあった。次回は「なぜ松井市長が無理な『橋下隠し』を迫られたのか」、市議会の審議を精査する。また、6月24日発売の月刊『Hanada』8月号で「橋下隠し」の核心に触れているのでぜひお読みいただきたい。

(つづく)

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山口敬之

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