<社説>慰霊の日平和宣言 力に頼らない平和構築を

 沖縄戦から77年目の慰霊の日となった23日、糸満市摩文仁で沖縄全戦没者追悼式が行われ、沖縄全体を恒久平和の祈りが包んだ。ロシアによるウクライナ侵攻で戦争の影が世界を覆い、南西諸島にも国防の役割が押し付けられようとする中で、不戦の誓いを新たにする一日となった。 玉城デニー知事は「二度と沖縄を戦場にさせないために、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向け絶え間ない努力を続ける」とする平和宣言を読み上げた。今も県民が過重な基地負担を強いられ続けているとして、名護市辺野古の新基地建設断念などを改めて訴えた。

 平和を維持するには、たゆまぬ努力が必要だ。沖縄戦の実相や教訓を次の世代に継承し、戦争につながるあらゆるものに反対する。軍事によらない平和の構築を沖縄の声として強く発信していきたい。

 今年の平和宣言は公募した県民意見が一部取り入れられた。意見を踏まえて「人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」というユネスコ憲章の前文が引用され、「対立や分断ではなく、お互いを尊重し、対話を重ね、共に平和を追求していく」との決意が盛り込まれた。

 県民の声を平和宣言に反映させる取り組みを今後も重ねてほしい。宣言の重みが増し、県民自ら議論することを通じて継承にもつながる。

 「核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立」の一節も、県民意見で寄せられた思いだった。これは平和憲法に他ならない。戦争の過ちに対する真摯(しんし)な反省から、不戦の誓いが形となったのが現在の憲法だ。戦後の米統治下で、県民が日本復帰に求めたのが憲法の適用だった。

 その憲法は大きな曲がり角にある。岸田文雄首相は参院選後の改憲に意欲を見せ、専守防衛を逸脱した敵基地攻撃能力の保有や防衛費の大幅増など、戦争のできる国へとかじを切ろうとしている。

 岸田氏は追悼式で「わが国は一貫して平和国家として歩みを進めた」と語った。改憲議論を棚に上げ、空疎に響く。そもそも岸田氏の「平和国家」に沖縄は含まれるのか。戦後は沖縄を切り離し過重な米軍基地負担を担わせることで、日本本土は平和と経済成長を果たしたのではないか。沖縄が日本に復帰しても米軍の自由使用を担保し、現在は日米軍事一体化の下で沖縄の要塞化を進めている。

 岸田氏は「この地に眠るみ霊の安らかならんことを祈る」としたが、遺骨が混じる南部土砂を辺野古新基地建設の埋め立てに使おうとしている。戦没者の冒涜(ぼうとく)につながる計画は中止すべきだ。

 小学2年の德元穂菜(ほのな)さんの平和の詩「こわいをしって、へいわがわかった」の無垢(むく)な朗読が胸に迫った。沖縄を二度と戦場にしない。子どもたちを恐怖と欠乏から守る真の平和国家を築くことが、私たちが果たす責務だ。

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