「へいわ ポケットにいれて」亡き曽祖父思い朗読 平和の詩・德元さん ~ 継ぐ 私たちが ~ 

 「平和の詩」を朗読する壇上の数百メートル先に、曽祖父の名前も刻まれる平和の礎がある。いつも慰霊の日は家族と一緒に、礎の前で曽祖父に宛てた手紙を読むという德元穂菜(ほのな)さん(7)=沖縄市立山内小2年。23日は緊張を抑えながら、沖縄戦の遺族らの前で詩を読んだ。

 「せんそうがこわいから へいわをつかみたい ずっとポケットにいれてもっておく ぜったいおとさないように」。ゆっくりと、言葉をかみしめるように声を出した。昨年6月、家族で訪れた宜野湾市の佐喜眞美術館で丸木位里さん、俊さんの「沖縄戦の図」に衝撃を受け、詩に表現した。

 式典前、気持ちが落ち着かず、母の千鶴さんと姉の千時(ちより)さん(10)=同小5年=にくっついていた。「早く朗読して礎の方に行きたいはず」。千時さんが笑った。

 穂菜さんは詩の朗読について今年の曽祖父への手紙に「ドキドキするけどがんばるね」と書いた。千時さんは「天国では幸せになって」とつづり、進学で名古屋にいる長女の陽菜(ひな)さん(18)は、友人に慰霊の日を伝えることで「思いをはせる人が増えてくれるといいな」と願った。

 平和の礎には毎年一緒に祖父も訪れる。「いつも礎にあるひいおじいちゃんの名前を指でなぞるの」(千時さん)。姉妹は悲しそうにする祖父を見て、平和の尊さを感じ取ってきた。式典後、穂菜さんは母の手を取り、曽祖父への手紙を携えて礎へと向かっていった。 (嘉数陽)【関連記事】
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