【寄稿】6月のエッセイ(WEB版)/POKKA吉田

本稿掲載の本紙が発行されているのはまだ選挙が終わってない時期であろうか。業界の想い、私の想いが結果に反映されていることを望んでいる。が、結果は有権者の総意。好む好まざるにかかわらず尊重して受け入れなければならない絶対的なものだと思う。祈っております。

さて、たまにはちょっとエッセイを。

とにかく忙しい。今年は特に忙しい。というか、おそらく5月6月と、私の拙い半世紀ほどの人生の中で最も忙しい。気力は負けない自信はあれど、体力は限界を感じている。

20代の頃は1日ぐらい一睡もせずとも働けたし遊べた。私はシークエンスに入社する前にプータローの時期を半年くらい続けていたが、あまりに暇すぎて親のパソコンで大量の文章を書いていたことがある。親父がそのパソコンを処分しているのでその赤面原稿はなくなったが、一種の小説だ。純文学がけっこう好きだったので文豪気どりで書きなぐっていた。当時書き終わって達成感があって、数日して読み返してドン引きした記憶がある。まさかそんな自分がヒトサマに読んでもらう原稿を書いて生計を立てるようになるなんて夢にも思っていなかった。

暇すぎるとなかなか遊びに行く気にもならない。カネがあれば別だが、プータローにはカネがない。友人が競馬やぱちんこで大勝したらおごってくれたりお小遣いをくれたりしていた。そんなとき、原付で向かった先はほぼほぼぱちんこ屋さんであった。

そのとき、なんとなく感じたのは社会的不適合機自主撤去の波である。気が付けばエキサイトとかがなくなっていた。プータローだからしょっちゅうはぱちんこに行かない。友人のお小遣いで久しぶりに行けば、なにか店内の様子がおかしい。エキサイトもアレジンもダイナマイトもなんもない。ちょうどその頃がシークエンス入社直前のことである。

必勝ガイドとかでそういう情報があるのかと思って買ってみた。なんとなく載っていたので世知辛い世の中になったと思っていた。当時は依存という言葉はなく、のめり込みとかだったかと思う。人気機種はなんだっけか、ギンパラにモンスターハウスだったっけか。今となっては同じスルー構造を採用できない3種のギンパラ、MLTS的に日工組内規に反してしまうモンスターハウス、これらとRe:ゼロやエヴァと比較して、私は後者は今の代表機種だからもちろん肯定的だが、前者がいけなかったのかどうか、案外理解に苦しむところである。

中学の同級生が高卒で街の小さな信用金庫に就職した。そこの先輩社員たちが毎日仕事終わりと休日はぱちんこ三昧だったらしい。「よくそんなにカネ持ちますね」と同級生が先輩に聴いたら「ずっと打ち続けてたら実は案外勝つこと多いんだよ」と。当時はまだラッキーナンバー制すら一般化とまではいってない時代の大阪。サヤで持ち玉遊技で得をするという感覚が私にはなく、1種を延々と打つことができる人間は財布事情から勝ち組だと思っていた。当時の1種はどんなものだったか。十字のセグ表示のニューヤンキーとかの時代だったと思う。

音楽を人生の出来事になぞらえる人というのはとても多い。私の友人は小中学生の頃、とにかく失恋しては中島みゆきを聴いていた。「やめろ、落ちるところまで精神が落ちるぞ」といいつつ、彼は独りカタルシスということで泣くだけ泣いて実は精神を浄化させていたようである。その友人は20代半ばくらい、つまり私がシークエンスに入社した直後くらいからぱちんこに目覚め、真顔で「大当たりの波が読めるようになった」と宣った。こちとらダイコクのCとかトライコクスのマニュアルで計数管理を勉強し始めたタイミングだったから「おいおい、ふざけてんのか?」という話ではあったが、本気で宣った。当時、仕事で知り合ったパチプロにこの話を聴いたら「本人が読めるというのなら読めてるんじゃね?」くらいのテキトーな反応である。なのでそっと放置しておいた。そいつは30を過ぎて司法書士に頼んで消費者金融の債務整理をして自己破産を免れ、ぱちんこだけではなく競馬も含めた全般的なギャンブリングから足を洗って今はのんびり生きている。あいつが最も打っていたのがモンスターハウス。

個人的には人生の出来事になぞらえるのは音楽もそうだが遊技機もそうだった。私にとってビッグシューターはものすごくいろんな想い出がある。また、初めの大きな失恋のときはダイナマイトが慰めてくれた。その後は業界に入ってからだが、獣王やアラジンAは失恋で憔悴した私を本気で慰めてくれた。

大崎一万発さんからの依頼で新書を出したのが2011年のこと。私は新鬼武者を打っており、天井付近でRBが当たるという痛恨事をやらかしていた。携帯が鳴ったので出たら「本出そう」というので「ああ、今日は大負けしてもさすがにそれよりはもらえるだろう」と喜んでコンビニのATMに走った。やっぱり大負けして本も真剣に書かないとかなりまずいとなり、一週間ほど宅にこもりっきりで書きなぐった。文豪気どりの赤面文章プータロー君が記名で著書を上梓することになった瞬間である。ありがたいことに発売直後に増刷が決まり、主婦の友新書から出した「パチンコがなくなる日」は発売1か月も立たないうちに5刷まで増刷している。さすがに新鬼武者の大負けは取り返して余りあるくらいには印税をもらえた。これ以後の著書は全然売れていないけれど。

今、Re:ゼロやエヴァを打っている老若男女。彼ら彼女らはそれぞれの人生の「今」を生きている。特に喜怒哀楽の激しくなる刹那において、その人生は分岐点を観る。辛いときにRe:ゼロやエヴァが心を慰めてくれたら、彼ら彼女らにとってRe:ゼロやエヴァはただのときの人気機種ではない。人生を振り返ったとき、強烈に心に記号されているものである。何年も経って人生がより豊かになったとき、テレビをたまたま観ていたらRe:ゼロやエヴァが出てきたとしよう。人によっては郷愁に近い感傷を感じることができるかもしれない。

私にとってのビッグシューターやエキサイト、ダイナマイト、獣王、新鬼武者のような機種は、ぱちんこパチスロ打ちには必ずある。それは今、この瞬間も生まれている。そしてそれは人によって違う。当たり前だ。小坂明子「あなた」や荒木一郎「空に星があるように」で何かを思い出す人もいれば、ジャニーズやBTSの曲で何十年先に思い出す人もいるのである。

紙媒体やテレビがオワコンと呼ばれてもまだまだ生きている。遊技産業も同じだと思う。人が人生において心に記号する、生きるために必須の栄養とかではないものは、ときに精神を浄化してくれ、それが何十年もずっと作用してくれる。私は後の人生でエヴァやRe:ゼロを観るたびに「ああ、あのときはあほみたいに忙しかったなあ」と感慨にふけるだろう。

みなさんは誇りを持ってほしい。数多の人の精神を救った実績は、間違いなくあるのだ。そしてそれは数多の人の心の中でずっと輝いている。

■プロフィール
POKKA吉田
本名/岡崎徹
大阪出身。
業界紙に5年在籍後、上京してスロバラ運営など。
2004年3月フリーへ。
各誌連載、講演、TV出演など。
お問い合わせ等は公式HP「POKKA吉田のピー・ドット・ジェイピー(www.y-pokka.jp)」か本誌編集部まで。

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