院長の遺志継ぐ「心のよりどころ」、患者集うオンラインサロンを開設した夫妻の思い 再起の途上で―北新地ビル放火事件(2)

「障害者ドットコム」を運営する川田祐一さん、直美さん=3月

 現場を訪れたのは、事件の2日後だった。ブルーシートで覆われた建物を見上げ、犠牲者の冥福を祈る。なぜこんな理不尽なことが起きたのか。亡くなった人たちはどれほど苦しみ、無念だったろうか。考えているうちに、心の中から強い思いがわき上がってきた。「彼らの命を無駄にしてはいけない。思いを引き継ぎたい」
 昨年12月17日、大阪・北新地の雑居ビルで起きた放火殺人事件では、出火した「西梅田こころとからだのクリニック」の関係者や患者ら26人が犠牲となった。事件後、障害者向けの計画相談支援事業などを手がける「障害者ドットコム」代表の川田祐一さん(49)と直美さん(49)夫妻は、クリニックに通っていた元患者が集うオンラインサロンを立ち上げた。「心のよりどころ」を失った人たちのために、何ができるのか。当事者と関わりながら、模索を続けている。(共同通信=山本大樹)

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 ▽「もしかしたら…」が現実に

 事件が起きたのはJR大阪駅からすぐ近く、飲食店やオフィスビルが立ち並ぶ一角だ。川田夫妻が運営する障害者ドットコムは当時、そこから西へ200メートルほど離れた場所に事務所を構えていた(現在は移転)。現場の雑居ビルまでは徒歩数分の距離。けたたましく鳴り響く消防車両のサイレンを聞けば、大きな火災が起きたことはすぐに分かった。
 「また飲食店の火災かな?」。祐一さんは当初、1カ月ほど前にも近くの繁華街で火災が起きたことを思い出したが、その日は少し様子が違った。インターネットやテレビニュースによると、出火したのは心療内科クリニック。嫌な予感がした。「もしかしたら、うちの利用者さんも…」。脳裏をよぎった懸念は翌朝、現実のものとなる。障害者ドットコムで支援していた、ある男性の家族から相談員のスタッフに電話が入り、男性がクリニックに通っていたこと、そして事件に巻き込まれて亡くなったことを知らされた。

「西梅田こころとからだのクリニック」があった大阪市北区の雑居ビル=6月16日

 直美さんはその時のことを「現実じゃないような感覚だった。亡くなったことは信じたくない。でも彼がどれだけ苦しかったかを想像すると、涙が止まらなかった」と振り返る。
 祐一さんは男性について多くを語らない。利用者の情報については守秘義務があるし、遺族の心情を思えば「私の口からお話しするのは、はばかられるから」。それでも「すごく人柄の良い人だった。いろいろと悩み事があって相談に来られたけど、少しずつ、新しい生活に向けて準備を始めていたところだったのに」と故人のことを思い出しては、ほぞをかむ。

 ▽院長の「遺志」継いで

 本当はすぐに現場を訪れ、犠牲者を悼みたかった。だが、恐怖で足がすくんだ。祐一さんと直美さんは、自身も発達障害を抱えている。2人とも市内にある別の心療内科に通っており、クリニックが狙われた今回の事件には大きなショックを受けていた。被害の生々しい爪痕が残る場所を訪れることは、精神的に大きな負担だった。「行くべきか。やめておくか」。迷ったが、最後は「行かなければきっと後悔する」と思い切り、足を運ぶことにした。
 12月19日の夕方、現場周辺には、関係者の声を拾おうとする大勢の報道陣がひしめき合っていた。2人はその脇を通り抜けてビルの前に立つと、歩道の脇に積み上げられた花束の横に、水の入ったペットボトルを1本そっと供えた。「熱や煙できっと苦しかったよね。少しでも喉を潤してもらえたら」。2人はしばらくその場にしゃがみ込み、利用者の男性や亡くなった人たちを思って手を合わせた。
 直美さんは、ぼろぼろと泣いた。犠牲者の多くは、精神的な不調に悩みながらも、復職を目指して「リワークプログラム」を受けていた真面目な人たち。「なぜ障害があったり、苦しんだりしている人たちがこんな目に遭うのか。あまりに理不尽だ。二度とこんな事件が起きないようにしたい」。悲しみはいつしか、行動を起こそうという覚悟に変わった。

事件の2日後に現場を訪れ、犠牲者を悼む川田夫妻=昨年12月19日

 祐一さんはクリニックを運営していた西沢弘太郎院長=当時(49)=のことを思った。生前、面識があったわけではないが、報道で伝え聞く献身的な姿勢に感銘を受けていた。院長が亡くなった今、行き場をなくして途方に暮れる元患者の人たちがたくさんいるはず。「遺志を継ぐと言ったらおこがましいけれど、患者さんたちのために力を尽くしたいと思った」

 ▽気軽に集まれる場所を

 自分たちに何ができるのか、2人は話し合った。障害者ドットコムは、利用者の相談支援に加え、障害のある人が執筆したコラムや取材記事を掲載するウェブメディアも運営している。情報を伝えたい人と、知りたい人をネットで結ぶ。その強みを生かし、クリニックの元患者らが集まる「オンラインサロン」を開設することにした。
 当事者だけでなく、支援団体や専門家、さらに障害のない一般の人にも参加してもらえば、メンタルヘルスや障害のことを広く、正しく伝えることができるのではないか。元患者の人たちをサポートしつつ、差別や偏見をなくし、お互いに支え合う「心のよりどころ」を作り直したい―。そんな思いを形にするため、年明けから運営費を募るクラウドファンディングを始めた。メディアの取材も積極的に受けた。フェイスブックを通じて積極的に情報を発信し、広く参加を呼びかけた。
 準備に奔走する中で、予期せぬ出会いも訪れる。今年2月、障害者ドットコムの事務所を1人の女性が訪ねた。「サロンに参加したいんです」と切り出したのは、元患者ではなく西沢院長の妹(45)だった。ニュースで2人の活動を知ったという。「患者さんたちのために、私にできることってないですか」。初対面だったがすぐに意気投合し、メンバーの一員として加わってもらうことになった。

「障害者ドットコム」が開設したオンラインサロンに集う元患者や支援者ら=3月

 サロンは3月にスタートし、今は週1回程度、Zoom(ズーム)を使って元患者や支援者らが顔を合わせるイベントを開いている。近況を報告したり、体調や悩みについて相談し合ったり。過去に障害者ドットコムが取材した俳優の東ちづるさんや書道家の武田双雲さんら、活動を支援してくれる著名人を招いて交流会を催すこともある。祐一さんは「誰もが気軽に集まれる場所になれば良いなと。それが一番です」と話す。
 

▽事件から半年、フラッシュバックにさいなまれる人も

 6月中旬のある夜、いつものようにオンラインで集まって話をしている時だった。初めて参加した元患者の男性が「少し、事件の話をしていいですか」と切り出した。
 事件後に初めて現場を訪れたときの衝撃。西沢院長やクリニックの思い出。時折、ふいに訪れるフラッシュバックのようなショック。「あれだけ多くの人が亡くなったのに、正直、今も現実感がないんです。それでも、報道で目にした当時の映像や画像を、まるで自分が経験したことのように思い出してしまう。何の予兆もなく、パッと出てくるんです。皆さんはどうですか」。
 投げかけられた問いを別の男性が引き取った。「フラッシュバックはないけど、僕も事件後は体調不良になったんです。でも、ここのサロンに来たら、リワークで同じ時間を過ごした方に再会できた。それで精神的にすごく落ち着いたんです。それがすごく大きかった」。耳を傾けていた直美さんが、さらに言葉をつなぐ。「私もそう。しんどい時もあるけど、ここで皆さんが頑張っているのを見ているから、頑張れるんです」
 うなずきながら話を聴く人。自身の体験を語る人。対応はそれぞれだが、一人一人が自分のことのように受けとめていた。「しんどいんですけど、こういう話をできる場所って他にないですよね。話を聞いていただけるだけで、ありがたいです」。最初に質問した男性は、少しほっとした表情を見せた。

 ▽「絶対に許されない。だけど…」

 事件発生から半年となった6月17日午後。祐一さんは再び、現場のビル前を一人で訪れた。花束と水を供え、犠牲者の冥福を祈る。そしてまた、数十秒間、じっと目を閉じて考えた。

川田祐一さん=3月

 祐一さんには、気がかりなことが一つある。事件を起こした谷本盛雄容疑者=当時(61)=のことだ。谷本容疑者は火を放った後、自身もその場にとどまり、重篤な一酸化炭素(CO)中毒になった。救急隊によって病院に搬送され一命を取り留めたが、約2週間後に蘇生後脳症で死亡。大勢の人を道連れにする「拡大自殺」を図ったとみられている。
 容疑者自身もこのクリニックに通院していた患者だった。家族との離別。11年前に起こした殺人未遂事件と服役。出所後の暮らし。昨年12月に事件を起こした時は1人暮らしで、仕事もしていなかったのだろう。安定した収入はなく、人とのつながりもうまく結べず、社会の中で孤立していた。容疑者が犯した罪は絶対に許されないが、同じような境遇に置かれたら、自暴自棄になる可能性は誰にでもあるのではないか。報道で知った容疑者の遍歴を振り返るたびに、そんな思いを巡らせる。

谷本容疑者がかつての勤務先だった板金工場でつけていた日誌

 何より痛感したのは、支援者として人に関わることの難しさだ。「正直、数百人の方に向き合っていると、一人一人に丁寧に関わり続けることは不可能に近い。途中で諦めそうになったり、燃え尽きそうになったりすることはいくらでもあるんです」。支援者が諦めたらそこで終わり。今回のような事件は防げないだろう。抱え込まず、投げ出さず、持続的に支える仕組みが必要だ。「人手を増やすことも大事ですけど、支援者がひたすら頑張ればいいっていう問題じゃない。そもそも、どんな人でも社会的に孤立してしまう前に、暮らしている地域の中で人と関われるようになればいいなって。でも、それってすごく難しいことですよね」。出口のない問いに、ずっと頭を悩ませている。

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