核禁会議 届けた「ナガサキの声」 日本政府の姿勢 世界が注視

感謝の思いを伝えた中南米の女性外交官と談笑する朝長さん(右)=ウィーン、オーストリアセンター

 スピーチを終えた被爆者で医師の朝長万左男さん(79)=長崎市=に、中南米の女性外交官が歩み寄った。「これまでの働きにお礼を言わせてほしい。ありがとう」。核兵器禁止条約第1回締約国会議2日目の22日。女性は胸に手を当て何度も感謝の言葉を口にした。その光景は記者に、ある記憶を呼び起こさせた。

 2017年3月。当時記者は大学生で「ナガサキ・ユース代表団」の一員だった。後学のために自費で米ニューヨークの国連本部を訪れ、核禁条約の交渉会合を傍聴した。あの熱気は今でも忘れられない。広島原爆の被爆者サーロー節子さんが被爆体験と平和への思いをスピーチすると、涙を流しながら聞き入る人がいた。会場に響く万雷の拍手。「世界が核廃絶に向けて動いている」。そう思うと体が震えた。
 ただ、唯一の戦争被爆国日本は会議に欠席。机の上には真っ白な折り鶴が置かれていた。それを見たNGO関係者は、写真を撮りながら小さなため息をついていた。被爆地の若者として申し訳なく思った。
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 あれから5年。「被爆者の悲願」とも言える核禁条約締約国会議開催にこぎ着けたが、日本不在の状況はあの時と変わらない。日本と同様「核の傘」の下にあるドイツやオランダなどがオブザーバー参加しても、会議前日に広島出身の大学生が現地で参加を求めて直談判しても、日本政府はかたくなに拒否した。
 83カ国の代表団やNGO関係者ら計約1100人が参加した締約国会議。会場は核廃絶を希求する人々の情熱にあふれ、ウィーンは「平和の都」と化したように思えた。一方で核軍縮の行方を冷静に見極めようとする空気も感じた。オブザーバー参加国はそれぞれの立場や条約に署名・批准できない理由を明確に示した。
 ドイツの担当者はウクライナ危機を念頭に「北大西洋条約機構(NATO)への加盟は核抑止力を含む。核禁条約には加盟できない」と断言。ただ「核兵器のない世界を実現するという目標を完全に共有している」とも強調した。
 ノルウェーも核禁条約への署名・批准はNATOの考えと「相いれない」と一線を画しつつ、核兵器廃絶に向け「異なる道筋や手段を選んだとしても全ての国と建設的な対話を模索する」。オランダは「核保有国の不在が条約の有効性を制限している」と問題提起した。
 条約に対する考え方や核廃絶へのアプローチに違いはあっても、オブザーバー参加各国のスピーチにも変わらぬ拍手が会場から送られた。多様な意見を交わすことが「生まれたての条約」を育てることにもつながると感じた。
 そういう意味では、日本政府はやはりオブザーバー参加すべきだった。主要議題の一つ「核被害者支援」では被爆者援護の知見が十分に生かせたはずだ。日本の不参加は締約国会議の損失とも言える。
 政府不在の中、長崎、広島両市長が被爆地の声を発信したのはせめてもの救いだった。「日本はこの場にいるべきだった。ただ(両市長のスピーチは)核廃絶を進める上でとても重要。ゴールに向かう後押しになり、私たちも共に前進できる機会になる」とベルギーのNGOに所属するシムズ・モンドさん(36)。8月に予定される核拡散防止条約(NPT)再検討会議で日本政府がどんな役割を果たせるか。世界が注視する。
 コロナ禍とウクライナ危機の中、ウィーンを訪れた長崎の被爆者や若者たち。ある人は感情を高ぶらせながら被爆体験を語った。ある人は手作りのビブスをかぶり、身ぶり手ぶりの英語で若者に語りかけた。
 締約国会議はまだ始まりの一歩に過ぎないかもしれない。それでも、「核なき世界」を求めるナガサキの声はきっと、世界の人々の心に届いたと信じる。

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