一家の生きた証し探す 南洋群島で戦禍、親族が情報提供呼び掛け

 太平洋戦争中、南洋群島で戦禍に巻き込まれ、一家8人が全滅した北谷村(現北谷町)出身の末吉清蒲(せいほ)さんの親族が23日、那覇市識名の南洋群島戦没者慰霊碑を訪れ、情報提供を呼び掛けた。親族の末吉淳さん(54)は「南洋の島で一家全滅したと聞いているが、それ以上の情報はない。70年以上経過し、手掛かりは少ないが、どこの島で、どのように暮らしていたのか、わずかな情報でもほしい」と戦没した家族8人が生きた証しを求めている。

 親族の淳さん、留美子さん夫婦によると、清蒲さんは淳さんの曾祖父の弟。戦前、北谷村から南洋群島に移り住み、妻のカナさんとの間に3男3女を授かった。その後、南洋群島で一家が全滅したこと以外は分かっていない。8人が生きていた証しは、名前が記された位牌(いはい)だけだという。

 淳さん、留美子さん夫婦は当時の名簿や手掛かりを求め南洋群島帰還者会のメンバーらを訪ねて回った。同会の安里嗣淳事務局長(77)によると、南洋群島で一緒に生活した県出身者や縁のある人たちの交流は減り、慰霊碑を訪れる人も減少傾向にある。帰還者の世代も移り変わり当時の情報は乏しくなっているという。

 淳さんと留美子さん夫婦は「8人の遺骨はなく、位牌だけを受け継いだ。南洋のどこの島なのかだけでも知りたい。いずれは8人の亡くなった島に供養に訪れたい」と話した。(高辻浩之)

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