街に住み続けたくなる気持ちの構造 麗澤大学客員教授 宗健

住みたい街と住み続けたい街は違う

毎年さまざまな調査元が住みたい街ランキングを発表しておりメディアに取り上げられることも多い。そして近年は、住み続けたい街についてもランキングが発表されるようになってきた。

しかし、筆者が企画・設計・分析している「いい部屋ネット街の住みここち&住みたい街ランキング」の結果を見ると、下表のように住みたい街・街の住みここち(が良い)・住み続けたい街の顔ぶれはあまり一致しない。

機能的価値と情緒的価値

評価項目によって街のランキングが大きく違うのは、当然だが評価軸が違うためだ。

住みたい街はその街に「住んでいない」人の認知度ランキングであり、街の住みここちと住み続けたい街は、その街に「住んでいる」人からの実際の評価である、という大きな違いがある。

そして、人気投票である住みたい街ランキングは比較的順位変動しやすいが、街の住みここちや住み続けたい街の評価は順位変動しにくい傾向がある。それは街への印象や人気はメディア報道等によって変わることがあるが、実際の住んでいる人たちの評価は、大規模な再開発等がなければあまり変わらないためである。

そして、街の住みここちの評価が、交通利便性や生活利便性といった街への「機能的価値」であるのに対して、住み続けたいという街への評価は、街に誇りがある、街に愛着があるといった「情緒的価値」に対する評価である、という違いがある。街の「機能的評価」は、再開発や道路整備、子育て支援策といった投資・政策対応で向上させていくことが可能だが、街への誇りや愛着といった「情緒的評価」を向上させるのは簡単ではない。

箱物に投資し、イベントを開催し、大規模なプロモーションを実施したとしても、必ずしも街への誇りが生まれるわけではないのだ。

街への誇りが起点

「いい部屋ネット街の住みここち&住みたい街ランキング」の個票データを用いて、「街に住み続けたいと思う」という設問に対する「そう思う・どちらかというとそう思う・どちらでもない・どちらかというとそう思わない・そうは思わない」の5段階評価の回答を目的変数にして、パス解析という統計手法を使って分析を行ったところ、以下のような構造があることが分かった。

起点となるのは「街への誇り(を持っている)」という気持ちであり、それが「街への愛着」を生み、「街への誇り」と「街への愛着」が「街に住み続けたい」という気持ちに繋がっている。

また、「地元出身(である)」という場合と年齢が60歳以上の場合は、「街への誇り」があるかどうかとは無関係に、住み続けたいという気持ちに繋がっている。

そして、「街への愛着」があると「街へ貢献したい」という気持ちに繋がっているが、「街へ貢献したい」という気持ちと「街に住み続けたい」には相関が見られなかった。

また、街のコミュニティの状況(知り合いが多い、地域の活動が盛ん等)と「街への誇り」や「街に住み続けたい気持ち」にも特段の相関は見られなかった。

一方で、そもそも「街への誇り」がどのようにして生まれるのかは、今回の分析では明らかになっていないが、街への誇りは歴史や伝統、景勝地や出身の著名人などさまざまな要因によって構成されるもののようだ。

そして注目されるのは、生活利便性や交通利便性といった街に対する機能的評価が、「街に住み続けたい」という気持ちに対して、直接の相関関係が見られなかったことだ。

現状維持の住み続けたい気持ちも

パス図を見ると、「街に住み続けたい気持ち」に至るルートが二つあることに気づく。

一つは「街への誇り」を起点とするルートであり、もう一つは、「地元出身」と「60歳以上」というルートだ。いわば、街への誇りを起点とするルートは、ポジティブな住み続けたい気持ちであり、地元出身、60歳以上というルートは消去法的な消極的なルートと言えるだろう。

このことは街に住み続けたい、という気持ちは街づくりに対して必ずしも肯定的な評価を与えるものではない可能性があることを示唆しており、人々の気持ちには多面的で重層的な構造があることに留意する必要がある。

住み続けたいことは正義か

ほとんどの人は、今住んでいる人たちや子ども達に、この街に住み続けて欲しいと思っているかもしれない。そして、それは正しいことだと誰もが思っているかもしれない。

しかし、大都市中心部などでは、住民の流動性の高さが街の活気を維持しているという側面がある。新しい住民が新しい人間関係を創り出し、イノベーションを生み出す、という構造である。

一方、住み続ける人が増えれば、高齢化が進むに従って、街全体が高齢化し、人間関係も固定化されていき、街の活気が失われ、新しい住民が入りにくくなることもあるだろう。

住み続けたいと思うことは、個々人には情緒的価値の高いことでも、街全体でみれば必ずしも絶対的正義ではない可能性もあるのだ。

2022/2/23 不動産経済Focus&Research

© 不動産経済研究所