【橋下徹研究⑪】「副市長案件」弁明の崩壊と橋下市長関与の証明|山口敬之【WEB連載第11回】 6月20日以降、ツイートがない橋下徹氏。ほとぼりが冷めるまで待つ方針かもしれないが、いつまで「副市長案件」で逃げ切るつもりなのだろうか。「副市長案件」「遊休地だった」と抗弁する橋下氏の弁明には何の説得力もないどころか、事実を歪曲し隠蔽する悪意がはっきりと浮き彫りになっている――。【※サムネイルは『実行力 結果を出す「仕組み」の作りかた』 (PHP新書)】

「副市長案件」で突っ走った橋下徹と維新

私は「Hanadaプラス」の連載記事【橋下徹研究⑧】を公開した5月31日のツイートで、松井一郎市長にこう呼びかけた。

松井市長がインターネット番組で、咲洲メガソーラー事業について「『副市長案件』であって、橋下徹市長はいかなる指示も出していないし、報告も受けていない」と弁明したことについて、その弁明はやめた方がいいと警告したのだ。

しかし、その後、吉村洋文府知事も当該副市長からヒアリングしたとツイート、松井市長の「副市長案件だった」との弁明を補強しようとした。

私の警告を無視して橋下徹氏と維新サイドが「副市長案件」で突っ走るのであれば、私としては「橋下徹市長の指示なくして咲洲メガソーラー事業はあり得なかった」ということを証明するしかない。

橋下市長の関与を証明した6月10日大阪市議会

松井市長が「副市長案件」を殊更に強調した理由ははっきりしている。2011年12月に就任した橋下徹市長が、2012年10月に決定された咲洲メガソーラーの事業決定に一切関与していないことを強調するためだ。

この弁明は、「港湾局が遊休地活用の観点から咲洲でもメガソーラー事業をやることにした」というストーリーから全てがスタートしている。

遊休地だったからこそ、
・不動産賃貸借契約という形式になり、
・賃料さえ入ればいいので、入札時にメガソーラー事業の実績などの調査も十分には行わなかった、
と説明しているのである。

しかし、上海電力がいまメガソーラー発電を行なっている場所は、決して遊休地ではなかった。

大阪市が国土交通省と経済産業省に対して、「分散型太陽光発電の実証実験を行う」と宣言していた土地だったのだ。この衝撃の事実を暴いたのが、6月10日の大阪市議会における前田和彦市議の質疑だった。

前田和彦市議

咲洲という地区、その当時の状況というのが結構特殊なんです。「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」というのが行われていました。

「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」というもののなかで、大きなエネルギーについての方向性が議論されていて、そして咲洲地区の全体の活用の仕方についてどういう方向性で行くか、どういう事業を行っていくかということが議論されています。

そして、咲洲のメガソーラーの事業者というのは、今回の入札で落札した事業者さんはどうなるかというと、「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」に入っていくことになるんです。この辺どんな風に実証事業と関係していたのか、そして実証事業をやっていく方向性を含めてご回答いただけますか?

大阪市環境局エネルギー政策課長

お答えいたします。「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」についてですが、咲洲地区は平成23年(2011年)3月に市が取りまとめました大阪市経済成長戦略におきまして、夢洲地区と共に、環境事業やエネルギー産業が集積し、成長著しい南・東アジアとのビジネス交流の交易拠点となるグリーンテクノロジーアイランドの形成を目指す、重点戦略エリアとされていました。

「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」は、低炭素の街づくり、防災力が強化された街づくりを目指し、国土交通省の補助事業の採択を受け、咲洲地区をスマートコミュニティ実験エリアとして、下水熱やバイオマス発電などの分散型エネルギーを活用しながら、建物間でエネルギーをやり取りする技術の実証や検討を行うもので、平成23年度(2011年度)に事業計画を策定、平成24年度から平成26年度にかけて、実証事業を実施したものであります。

同事業は平成24年(2012年)3月9日に認定を受けました、関西イノベーション国際戦略総合特区の計画に位置付けられてございます。

以下に示すのが、2010年当時、大阪市が国土交通省に提出した「咲洲地区スマートコミュニティ実証実験」の事業計画に関する資料だ。

当時政府は東日本大震災後の電力需給逼迫を受け、日本全国の自治体に対して再生可能エネルギーの普及に向けて「スマートシティ計画」なる事業を推奨し、具体的なプランを立てた自治体に対しては国土交通省都市局が事業認定を行い、補助金を交付していた。

大阪市は2010年度から再生可能エネルギー事業については「夢洲地区ではメガソーラー」「咲洲地区では分散型太陽光発電事業など」と棲み分け、具体的な事業計画を策定していた。

そして咲洲では「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」を策定、分散型太陽光発電については、埠頭内の4か所で分散型太陽光発電の実証実験を行うことを決め、国土交通省に「スマートシティ計画」として報告して補助金の交付を受けた。

そしてこの「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」は関西3府県3市(京都府、大阪府、兵庫県、京都市、大阪市、神戸市)が策定した「関西イノベーション国際戦略総合特区」の基幹事業としても経済産業省に報告され、その結果、2012年3月9日には特区認定も受けている。

橋下徹氏が市長に当選したのは、2011年12月19日だ。だから橋下氏は府知事時代から積極的に関与していた「関西イノベーション国際戦略総合特区」について、今度は大阪市長として「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」を行うことを前提として、政府から特区の承認を受けていたのである。

ところが、咲洲での分散型太陽光発電実証実験の予定地のうち、1か所だけ計画が白紙撤回された。それこそが、現在、上海電力日本がメガソーラー発電事業を行っている土地なのだ。

国土交通省に計画の詳細を報告した上で補助金の交付を受け、しかも他府県他市と共同で提出し承認を受けた「関西イノベーション国際戦略総合特区」構想にも記載されていた実証実験を変更すれば、補助金が交付されなかったり、特区認定の撤回という最悪の事態もありえた。

国に報告し補助金受給の根拠となったプロジェクトの一部白紙撤回というリスクの高い計画変更を、橋下徹市長以外の誰が決めることができたというのか。

咲洲など大阪湾でのメガソーラー事業について2012年9月19日、橋下徹市長はこんな発言をしていた。

僕はずっと知事時代から国際戦略総合特区、ベイエリアというものはこれからアジアに向けての拠点になる、そのキーワードはグリーン、(中略)環境ですね。特に蓄電池、太陽光発電等について、今非常に喫緊の課題となっている電力の問題について、ベイエリアを中心にしっかり国際戦略総合特区の中でアジアの拠点になるように引っ張っていこうと思っています。ですから、あの地域にメガソーラーを引っ張ってこれることになりました。

府知事時代の思い入れも込めて、新市長として大阪湾でのメガソーラー事業に該博な見識と並々ならぬ意気込みを開陳していたのである。

そして「関西イノベーション国際戦略総合特区」についても、直前の大阪府知事として、そして現職の大阪市長として、大規模特区の内容を熟知していたことがよくわかる。

咲洲メガソーラーは紛れもない「橋下徹案件」

こうして見てくると、咲洲メガソーラー事業の実現には行政的に2つの手続きが不可欠だったことがわかる。

(1) 「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」の事業計画変更
→分散型太陽光発電実証実験の一部白紙撤回
(2)白紙撤回した土地でのメガソーラー事業決定

咲洲地区での分散型太陽光発電実証実験を含む「関西イノベーション国際戦略総合特区」が特区認定を受けたのが2012年3月9日。

そして(2)については、6月10日の大阪市議会で大阪市側が「2012年10月10日の幹部会議で決定した」と答弁している。

ということは2012年3月9日〜10月10日に、(1)の分散型太陽光発電実証実験の計画の一部変更を大阪市が基幹決定し、国土交通省や経済産業省、そして特区のパートナー自治体に対して報告していたことになる。

そして咲洲メガソーラーと実証実験の関係について、6月10日の大阪市議会の審議で重大な発言が飛び出していた。

大阪市環境局エネルギー政策課長

咲洲のメガソーラー事業者との関わりにおきましては、咲洲メガソーラーにかかる市有地賃貸借契約の事業者入札時においては、すでに「咲洲地区スマートコミュニティ実証事業」は実施中でございまして、この実証実験の中で咲洲メガソーラーの電力を活用することはございませんでした。

「関西イノベーション国際戦略総合特区」で大阪市がアピールしたのは、
「分散型エネルギー供給拠点と融合EMS(エネルギーマネジメントシステム)」であって、

・複数の施設を対象としたエネルギーマネジメントシステムの構築と
・自立・分散型発電システム、蓄電・蓄熱システム導入・開発だった。

具体的には、咲洲地区内の施設が保有する電源、熱源の共有化とエネルギー需給の制御により、地域のエネルギー消費量の最少化やピークカットを行うエネルギーマネジメントシステムの構築を図る実証実験だった。

しかし、現在、上海電力が発電を行っている土地だけは、こうした先進的な実証実験には全く参画しなかったのである。

「やる」と言って国に報告し補助金まで受給した事業を「さしたる理由もなく」変更することなど、普通に考えれば絶対にあり得ないことだ。

この危険かつ強引な決断をしたのは一体だれか。橋下徹氏や松井市長は、これも「副市長案件」として当時の田中清剛副市長が決めたと抗弁するのだろうか。

そしてこんなに重要な計画のあった土地を「遊休地だった」と抗弁する橋下徹氏の弁明には何の説得力もないどころか、事実を歪曲し隠蔽する悪意がはっきりと浮き彫りになっている。

(つづく)

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山口敬之

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