今回のテーマは『書き鉄』――交通環境整備ネットワークは2022年6月11日、東京都墨田区の東武博物館で「地域鉄道フォーラム2022・鉄道を書く」を開催しました。鉄道ファンが情報を知る手段は、本サイトのようなインターネットのほか、新聞やテレビ・ラジオ、鉄道雑誌・書籍、鉄道会社のプレスリリース、YouTube、SNSとあれこれありますが当然、書き手(発信者)と読者(受信者)がいて、はじめて情報伝達が成り立ちます。
かつての書き手は、発表メディアを持つ限られた人だけでしたが、SNSが普及した昨今、ブログ、Facebookと〝誰もが発信者〟の時代を迎えています。送り手サイドから鉄道の魅力を解き明かした今回のフォーラム、「書き手は何を考えて書いているのか」、そんな視点でご覧いただければ、発信者の一人としてこれほどうれしいことはありません。
「鉄道の書き方、書かれ方」
主催者の交通環境整備ネットワークは、一般の人たちが鉄道に親しむ活動に力を入れます。フォーラムは、国土交通省鉄道局が後援しました。本コラムは、「鉄道の書き方、書かれ方」と題したトークセッションを中心に報告します。
セッションのパネリストはフォトライターの矢野直美さん、東武鉄道の高月京子執行役員・広報課長(※高ははしごだか)、月刊誌「鉄道ジャーナル」の鶴通孝副編集長の3人。作家/エッセイストで、鉄道関係の著書が多い茶木環さんがコーディネーターを務めました。
矢野さん、鶴さん、茶木さんの3人が「書く側」、高月さんが「書かれる側」ですね(皆さんフラットに、「さん付け」で紹介させていただきます)。
「分かりやすく、丁寧に紹介する」
鶴さんは、「都電沿線で生まれ育ち、小田急にのめり込んだ」が鉄道ファンのキャリア。大手出版社傘下の編集プロダクションに所属していた1989年、入社試験を受けて鉄道ジャーナル社に入社しました。インタビュー・取材記事は軽く100本を超えます。
その入社試験、鶴さんが強調したのは「分かりやすく、丁寧に紹介する」だったそう。鉄道雑誌の編集志望者となれば、鉄道に詳しいのは当たり前。でも難しいのは、知識をいかに分かりやすく読者に伝えるかです。
「楽な仕事じゃない編集者!」
鉄道に囲まれる鶴さん、友人や鉄道仲間からはうらやましがられます。「好きな鉄道で仕事できていいなぁ」。しかし、それはまったくの誤解。
「(取材現場に向かう)行きの車内では『取材先で何を聞こうか』と思いをめぐらし、帰りは『聞いた話を、どうまとめるか』で頭はいっぱい。編集者は料理人。仕入れた食材(取材した話)を、いかにおいしい料理(読んでもらえる記事やコラム)に仕立てるか。そこが腕の見せどころで、やりがいです」。
職業病でしょうか、原稿が書けない夢を見ることしばしば。「ファンの皆さんの興味の多くは車両。誌面では、車両から歴史や沿線に話題を広げて、鉄道を広く深く知ってもらえるよう努めている」と語りました。
「いかに鉄道に興味を持ってもらえるか」
続いて東武の高月さん。鉄道会社と記者やライター、そして読者(鉄道ファン)をつなぐのが、広報セクションが発表するニュースリリースです。記者クラブのデスクには日々、各社(もちろん鉄道だけでありません)のリリースが積み上げられます。マスコミで報じられるのは、ほんの一部です。
「いかに記者、そして読者の皆さんに、興味を持っていただけるか。基本は正確、簡潔。取材に対応したり、広報誌を編集するのも広報の仕事です」。
「SL大樹で広がる広報ネットワーク」
東武で最近、ファンを熱くさせるのは、もちろん「SL大樹」。本サイトにも多くのニュースが掲載されます。
運転開始は2017年8月。SLはJR北海道から借り受け、客車はJR四国、転車台はJR西日本が提供しました。乗務員養成に協力した、SLを運行する大井川鐵道、秩父鉄道、真岡鐵道をはじめ、〝オール鉄道の力〟でプロジェクトを実現させました。
「実はこの時、各社の広報の方とネットワークができ、SLの紹介方法などについて勉強させていただきました。大樹は、鉄道を支えるベテランの職人技を知っていただくいい機会になりました」と回顧。「最近、地方圏では『鉄道で移動する』の発想が薄れつつあります。鉄道を社会に認知してもらう、存在感を高めるのも広報の役目」と、企業と社会をつなぐ広報の機能を披露しました。
「編集者や読者のエールに背中押される」
写真を撮って文章を書く。フォトライターの矢野さんが、はじめて書籍を出版したのは2000年です。「当時、鉄道系ライターはほぼ全員が男性」。いわゆる〝女子鉄〟の草分けとして、汽車旅の楽しさや魅力を発信し続けてきました。
女子鉄の原点は、北海道在住だった小学生時代。はじめて1人で滝川(函館線)に旅行した際、国鉄職員や列車の乗客が皆さん親切で、鉄道に引き込まれたと言います。
撮り鉄として鉄道写真を撮影する方は多いですが、お気に入りのカットに文を添えれば、写真と文がお互いを引き立てます。そして、何より発表の機会が生まれます。
「書き手として煮詰まることも多いですがそんな時、背中を押してくれるのは編集者や読者の一言。『あの写真はステキ』『あの一冊は良かった』と言われると、新たなファイトがわきます」。エールは「いいね」。書き鉄なら、誰もが共感できる点でしょう。
レイルウェイ・ライター種村直樹さんの蔵書、津鉄によみがえる
話が後先になりましたが、フォーラム2022ではトークセッションに先立ち、〝津鉄のお母さん〟こと、津軽鉄道(津鉄)の澁谷房子社長付顧問(交通環境整備ネットワーク理事を兼任)の基調報告もありました。タイトルは「種村直樹汽車旅文庫の開設」。
本サイトをご覧の皆さん、種村直樹さんをご存じの方も多いでしょう。毎日新聞記者から1973年、鉄道専門のレイルウェイ・ライターに転身。「気まぐれ列車で出発進行」、「鈍行列車の旅」をはじめ一時代前、〝鉄道ファンのバイブル〟と呼ばれた多くの名著を世に送り出しました。
汽車旅文庫には書斎も再現
種村さんは2014年に78歳で亡くなりましたが、約3200冊の愛蔵書や遺品は交通環境整備ネットワークが仲介して津鉄に寄贈されることになり2021年11月、津軽飯詰駅に「種村直樹汽車旅文庫」が開設されました。
文庫は、地域住民グループ「飯詰を元気にする会」が運営します。開設は毎月1回。興味を持った方は、ぜひ飯詰を元気にする会のホームページでチェックしてみてください。
余談ですが、種村さんの2人のお子さんは「ひかりさん」と「こだまさん」。フォーラムにはひかりさんが出席して、津鉄の澁谷さんとともに津軽来訪を呼び掛けました。
夏目漱石や二葉亭四迷が鉄道文学の扉開く
ラストは、限られたスペースですが、セッションのコーディネーターも務めた茶木さんの基調講演を紹介します。
講演では、鉄道文学の誕生と歩みをたどりました。明治時代に鉄道網が全国に伸びて旅行が一般化するのに連動して、鉄道紀行が文芸としてのジャンルを確立。明治の文豪といわれる夏目漱石や二葉亭四迷が、鉄道文学の先駆者だったことを解き明かしました。
地域鉄道フォーラム2022のご報告は以上。「鉄道を書く」末端に位置する私も、パネリストの皆さんの話は「ライターあるある」、共感がすべてでした。
読者の皆さまがいらっしゃってはじめて成立するのが、本サイトをはじめとする鉄道系ネットメディア。今後もご愛読、よろしくお願いします。
記事:上里夏生