「せめて化粧させてやりたかった」沖縄戦77年、「白梅学徒隊」慰霊祭

77年前、沖縄戦の組織的な戦いが終わったとされる「沖縄慰霊の日」。最後の激戦地の一つ、糸満市真栄田にある「白梅の塔」で6月23日、沖縄戦で犠牲になった県立第二高等女学校の「白梅学徒隊」らを追悼する慰霊祭が行われた。新型コロナウイルスの感染防止対策のため3年連続で自主参拝という形で規模を縮小して行われた、高校生を含む40人が犠牲者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにした。(新聞うずみ火 矢野宏)

元学徒の中山さん(右)と武村さん(左)

戦前、沖縄には21の師範学校・中等学校があった。沖縄戦ではこれらすべての生徒たちが戦場に動員された。男子学徒は上級生が「鉄血勤皇隊」に、下級生が「通信隊」に編成された。女子学徒は当時15歳から19歳で、陸軍病院や野戦病院などで負傷兵の看護活動に従事した。

県立第二高女の4年生による学徒隊は、後に校章から「白梅隊」と呼ばれたが、沖縄師範学校女子部と県立第一高女による「ひめゆり学徒隊」や県立第三高女の「なごらん学徒隊」、県立首里高女の「瑞泉学徒隊」など八つの女子学徒隊があった。

白梅学徒隊は第24師団の第1野戦病院に看護要員として動員されたが、軍とともに南部に撤退。戦闘激化のため1945年6月4日に解散命令を受けた。「鉄の暴風」が吹き荒れる中、学徒29人を含む、教職員や生徒ら149人が命を落とした。

女子学徒を追悼する白梅の塔

この日、白梅の塔の前には犠牲になった女子学徒の写真が並べられ、遺族や関係者らが線香をたむけ、手を合わせて犠牲者の冥福を祈った。

元学徒の武村豊さん(93)は、同級生の写真を見ながら「乙女ですよ。せめて化粧ぐらいさせてあげたかった」と語った。

白梅学徒たちが亡くなったガマ

また、元学徒の中山きくさん(93)は、ロシアによるウクライナ侵攻に触れ、「この白梅の塔が平和の発信地としての役割を持ち続けてほしい」と語った。

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