【レビュー】フィル・ライノットの生涯と音楽を振り返るドキュメンタリー映画

Photo: Michael Putland/Getty Images

ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第60回。

今回は2022年6月24日に発売となった、フィル・ライノットのドキュメンタリー映画『フィル・ライノット:ソングス・フォー・ホワイル・アイム・アウェイ』について。

<YouTube:予告編>

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フィル・ライノットのドキュメンタリー映画

フィル・ライノットのドキュメンタリー映画『フィル・ライノット:ソングス・フォー・ホワイル・アイム・アウェイ』がBlue-ray+CD、DVD+CDで構成されたパッケージで発売になりました。ここ数年、多くの偉大なるアーティストのドキュメンタリーが届けられ、改めて知る事実と向き合いながら、アーティストの本音を知り、感動と切なさを味わっています。フィル・ライノットのドキュメンタリー映画もそんな作品の一つです。

彼がアイルランドを愛し、詩人としての言葉を音に託し、幼少の頃に体験したいじめを乗り越え、レジェンドとして名を残した姿が描かれています。そして多くのアーティストに影響を与えたことも……。

過酷な幼少期~青年期

1978年に発売された『Live & Dangerous』でシン・リジィの存在を知った私にとって、今作は幼少期のフィルを知ることができたドキュメンタリーです。南米英国領ガイアナ人の父とアイルランド人の母の間に生まれたフィリップは、7歳でダブリンに住む祖父母の元で育てられました。

50年代のダブリンは、まだ黒人の子供が珍しく、ブラッキー(blacky)と呼ばれ、壮絶ないじめを体験。ロンドンでも、“アイルランド人、黒人お断り”といったお店があった時代だったとドキュメンタリーでは伝えています。そんな環境が彼をクリエイティヴな人間へと育て上げ、70年代に入ると、いくつかのバンドを経て、シン・リジィとして活動を始めます。そんな過程は、差別を受けながらも、自分のアーティスト性を磨き上げてきたフレディ・マーキュリーと重なります。

フィルを尊敬するミュージシャンたち

このドキュメンタリーでは、ヒューイ・ルイスが熱くフィルを語っています。まだヒューイ・ルイス&ザ・ニュースとしての成功を得る前から、フィルは彼らをオープニング・アクトに迎え、サポートしてきました。そんな経緯から、ヒューイはフィルの絶対的支持者であり、その思いが爆発している発言に心が熱くなります。

また、ウルトラヴォックスのミッジ・ユーロの言葉には、いかにフィルとの繋がりが深いかを教えてくれます。シン・リジィ初来日公演では、ゲイリー・ムーアの突然の脱退劇の代役としてミッジ・ユーロがキーボード奏者として来日したことに、ちょっと腹を立てていた私は、このドキュメンタリーを見て、大いなる勘違いであったことに気づきました。長年にわたっての友人であり、あの時はフィルからのSOSにミッジが答えたという経緯があったわけです。ミッジは、「ロックに詩を持ち込んだ唯一のアーティスト」とフィルについて語っています。貴重な映像としては、日本公演以外で、ギタリストしてステージに立つミッジをこのドキュメンタリーで見ることはできます。

そしてフィルによって見出されたと言われているU2からは、アダム・クレイトンが登場。シン・リジィ・ヴァージョンの「Whiskey In The Jar」をカバーしたメタリカのジェイムズ・ハットフィールドもフィルへのリスペクトを語っています。

またスコット・ゴーハム、元バンド・メンバー、マネージャー、友人、元恋人、奥様、二人の娘さんも登場します。そしてアイルランド民謡「Whiskey In The Jar」がロック・ヴァージョンとして誕生した経緯、初めての「Top Of The Pops」出演、スコット、ブライアン・ロバートソンのツイン・ギターのユニゾンが生まれたきっかけ、(これが意外で面白い)貴重なライヴテイクなどが収められています。

詩人としてのフィル・ライノット

フィルが詩人であるという言葉は、ミッジだけでなく、多くの人がコメントしていますが、初来日時のU2のボノにインタビューした時に、「アイルランドには数多くの素晴らしい詩人が生まれている」と言っていた言葉をふと思い出しました。ボノが言う詩人の中にはフィルが入っているはずです。

10年前にフィギュアスケーターの羽生結弦選手がショート・プログラムの時に、ゲイリー・ムーアの名曲「Parsienne Walkways(パリの散歩道)」を使用して話題になりましたが、歌ヴァージョンはフィルが作詞し、歌い、ベースを弾いています。この曲の冒頭で、「I remember Paris in ’49」と歌っていますが、これは1949年に生まれたフィル、そして生まれてから会うことがなかった父の名セシル・パリスを織り込んだ歌詞となっているとのことです(結局後年父に会ったという話です)。彼は「Wild One」で母親への愛を歌っています。また娘への歌もあります。つまり、彼の歌詞のベースが愛であることを知るドキュメンタリーでもあります。

穏やかで、優しい人

1979、80年の来日公演はフル・ラインナップでのショウではありませんでしたが、ステージ中央に、長い足を開いて、ベースを弾き、上目遣いで歌う姿を日本で見ることができたことだけでもロック・ファンにとっては感謝しかありません。今回発売された商品には、1978年のシドニーでのライヴ映像が収録されていますが、これはゲイリー・ムーアが在籍していた時代の映像です。これまた貴重ですので、お楽しみください。

フィルは36歳の若さで亡くなりました。亡くなって36年の月日が流れました。今、天国でゲイリーと一緒に演奏を楽しんでいると思わずにはいられません。彼はアイルランドの英雄となり、ダブリンには銅像が建てられました。今年8月には、オーケストラが演奏するシン・リジィコンサートがダブリンで行われます。ゲスト・ヴォーカルも予定されていると言うことで、誰が参加するのかが話題となっています。

1979年のインタビューで、思いのほか穏やかで、優しい人だった、という印象を持ちましたが、ドキュメンタリー映像には、何度もフィルはシャイな人という発言がありました。私が会ったフィルの印象は、意外なのではなく、彼そのものだったのだと思えるようになりました。

Written By 今泉圭姫子

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『ソングス・フォー・ホワイル・アイム・アウェイ+「ヤツらは町へ」ライヴ・アット・シドニー1978』
2022年6月24日発売

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