【追う!マイ・カナガワ】湘南弁? 「だべ」を調べてみると…ルーツは平安時代? 「中居くん」のイメージも

コロナ禍、市民らに「自粛は闘いだべ。」と呼びかけた=2020年4月、JR藤沢駅南口(フジサワ名店ビル提供)

 「神奈川県内の方言で『じゃん』は有名ですが、『だべ』はいつから使われ、どこまで広まっているのでしょうか?」。逗子市に住む女性がFMヨコハマ「ちょうどいいラジオ」を通じて「追う! マイ・カナガワ」取材班に寄せた疑問。デスクから「君は湘南出身? 『だべ』の質問は多いんだよね」と記者に手渡された。湘南弁の「だべ」とは一体何なのか─。調査に行くべ。  

◆インパクト絶大

 「だべ」と言われ、自分も気になっていたことにあらためて気付く。そして、あるメッセージが刻まれた懸垂幕が頭に浮かんだ。

 『自粛は闘いだべ。』
 
 新型コロナウイルス禍が始まった2年前、藤沢駅南口の「フジサワ名店ビル」に垂れ下がっていた。昭和レトロを今に残すあのビルに向かおう。

 「『だべ』はスパッと出てきた」。名店ビル取締役の増田隆一郎さん(46)こそ、2020年4月の緊急事態宣言下に懸垂幕を掲げた本人だ。

 創業55年の名店ビルを「55歳の商店街のおじちゃん」と見立てて、「自分たちでしか言えないこと」を突き詰めた結果が、「闘いだべ」という言葉だった。インパクトが強かった分、反響は両極端で、「下品な言葉を使うな」と怒りの声も寄せられたという。

 下品かはともかく、湘南の「だべ」はヤンキー言葉として広く知られたことがある。ヤンキー漫画の名作『湘南爆走族』は作中で「だべ」が頻繁に使われ、映画化されるなど1980年代に人気を博した。

 作者の吉田聡さん(61)の出身地・藤沢市辻堂を歩いた。令和時代にヤンキーは見当たらないが、商店街で昔ながらの鮮魚店が目に留まった。戦後から続く2代目店主(75)は生まれも育ちも藤沢という。「だべ」を使うかと尋ねた。

 「子どもの頃から使ってる。方言じゃねえべ」

 店主は「親が『だべ』を使ってたから、言葉の隅々に『べ』が残っている」と続けた。自然と出るのかと聞くと店主は答えた。「そうだべ」─。店主の妻が隣でほほ笑んでいた。

◆東北の人は「中居くんみたい」

 記者はその週末、仙台市内で開かれた高校時代の友人の結婚式に出席した。昔話に興が乗る中、「2次会行くべ」と茅ケ崎市出身の友人(32)が言うと、「『べ』って言った! 中居くんみたい」と、東北人の花嫁は喜んだ。

 帰り道、肌寒い夜気を吸い込むと、藤沢市出身で元SMAPの中居正広さん(49)が「だべ」と話す姿が目に浮かんだ。

 やっぱり「だべ」と言えば「中居くん」のイメージが強い。話を聞いてみたい。多忙の身であっても目に留まればと、事務所に取材依頼のメールを送った。返事を待つ間、湘南爆走族を手に取ってみた。平成生まれの記者にとっては未知の世界だ。

 第1巻から「だべ」は登場する。主人公・江口洋助はライバルの恋路が邪魔されないように、「やさしい王子さまってことになってんだべ?」と、絡んできた多勢に1人で立ち向かう。簡単にはついていけない昭和の侠気(おとこぎ)の世界…。

 1987年公開の映画では、1文字違いの江口洋介さん(54)が主人公役に抜てきされてデビューしたことを知り、江口さんの事務所に連絡するも「そういう取材は…」と苦笑された。

 原稿の締め切りが近づく。いいコメントが集まらない。そんな折、お笑いコンビ「囲碁将棋」の文田大介さん(42)=茅ケ崎市出身=が「もちろん使うべ」と取材に答えてくれた。

 文田さんは「年上の方から、『シャリ、噛(か)むんべーか?』と食事に誘われた時はさすがに驚いた」と抱腹絶倒のエピソードも添えてくれた。

 「だべ」のルーツを湘南で探し歩いたが、謎は深まるばかり。その道のプロに話を聞いてみた。

◆方言が「コスプレ化」

 「湘南弁といった区域は方言学的にはないが、湘南の“方言コスプレ”に『だべ』はぴったり」。方言が近年、コスプレ化しているという説を唱える日本大学文理学部の田中ゆかり教授(57)は言う。

 県内など首都圏の若者を中心に2000年代以降に顕著な現象で、関西出身でなくてもそのイメージを使い「なんでやねん」などとキャラを演じるのが方言コスプレだ。1980年代以降、繰り返し起きているお笑いブームの影響もあるかもしれない。

 そもそも方言は、テレビ普及率が9割を超えた70年代に共通語が急速に広まり、方言矯正の動きも相まって一気に衰退した過去がある。東京や神奈川では共通語化の勢いが強く、横浜などの都市部では「だべ」も消失していったという。

 全国で共通語が当たり前になる中、若者たちが共通語にはない面白みを方言に見いだし、自分たちの言葉に取り入れる動きがあったことは興味深い。

 「だべ」が頻発する『湘南爆走族』の連載スタートが82年で映画化は87年。「だべ」を多用する中居正広さんらのSMAP結成が88年。80年代に方言がターニングポイントを迎えていたのかもしれない。

 主に少年らの仲間内で合言葉のように「だべ」は再生していった。

 県内の方言のフィールドワークを続ける国学院大学と横浜隼人高校の非常勤講師の坂本薫さん(38)によると、「だべは会話の中で『だべ?』と単独で出てくる特徴がある」という。

 田中教授は「地元らしさを振る舞い、悪ぶりたい年頃の男の子にとって、共通語の最後に付けるだけの『だべ』は便利なのでは」と指摘し、「最近はSNS(交流サイト)の打ち言葉などで女の子も『だべ』を使うようになっている」とも教えてくれた。

◆平安時代から次第に変化

 ところで、「だべ」とは一体何なのか。

 方言に詳しい国学院大学文学部の三井はるみ教授(60)によると、「だべ」の「べ」のルーツは、「べき」「べから」など複数の形や意味を持つ助動詞「べし」にあるという。平安時代から次第に変化していき、「だべ」の形でも使われるようになったとされる。

 三井教授は続けた。「だべは神奈川だけでなく、関東はもちろん、東北地方まで定着していったんです」

 東日本の広範囲で今も、共通語化が広まる前に育った世代や、共通語化の影響が少なかった地域で、「だべ」の前身「だんべー」なども使われている。

 残念ながら「だべ」は神奈川特有の方言ではなく、80年代以降に「だべ」が再生される過程で、湘南弁のイメージが強まっていった可能性が高そうだ。田中教授は「藤沢出身である中居さんが使う『だべ』が、湘南弁というイメージに、うまくはまったのかもしれない」と推測する。

 マイカナ取材班には「私は『だべ』を連発しますが、湯河原や真鶴では静岡方言『ら』がありますよね」との情報も寄せられた。

 坂本さんに聞くと、「静岡から流入したのか、小田原などの西部では『らー』と『べー』が併用されています。鎌倉の腰越などの漁師言葉には『イェー、危ないぞ』などと、『オーイ』の意味の『イェー』があります。三浦半島では文末に『べーじぇん』を付けることも」と話が止まらない。神奈川の方言も奥が深い…。    

◆取材班から

 何度か連絡した中居さんの事務所から返事はなかった。いつか思いが届き、「そんなの当たり前だべ」と言ってもらえる日が来るだろうか。皆さんからの「だべ」についての情報もお待ちしています。

© 株式会社神奈川新聞社