「おやじの分まで…」政界引退の渡辺喜美氏インタビュー 旧みんなの党「うまくいく寸前」

インタビューに応じる渡辺氏=28日午前、国会内

 22日公示の参院選に立候補せず、政界引退を表明した無所属の渡辺喜美(わたなべよしみ)参院議員(70)は28日、国会内で下野新聞社のインタビューに応じた。政界引退については「選挙に出ないという意味で、政治を諦めたわけではない。政治の分析や提言、人脈を生かした活動を続ける」と強調。金融危機への対応や旧みんなの党の運営など、20年以上にわたる国会議員活動での印象的な場面も振り返った。

 公示前日の21日に不出馬と政界引退を表明したことに関しては「第三極をつくろうとしたが、かなわなかった」と改めて説明した。出馬の可能性を探るために協議した相手やその内容、頓挫した要因については「関係者に迷惑がかかる」として明言を避けた。

 渡辺氏は1996年、衆院栃木3区に自民党公認で出馬し初当選。第1次安倍内閣などで行政改革担当相や金融担当相を務め、自民離党後は旧みんなの党代表として注目を集めた。

 「非常事態の時こそ、政治家の真価が問われる」と力を込めて振り返ったのは、新人議員時代に直面した90年代後半の金融危機だ。

 父の故美智雄(みちお)元副総理兼外相の考えを基に練ったという対策案を本会議場に持ち込み、記名投票のため登壇する中曽根康弘(なかそねやすひろ)元首相ら先輩議員に配った。その後「この提案をほぼ原案にした」金融安定化法が成立。「問題の本質を突いた提案が政策になると、身をもって体験した」と回顧する。

 第三極ブームを起こした旧みんなは「(政権を外部から動かす)てこの原理の実践だった」。一定の議席を獲得し、当時の第2次安倍政権と政策上の親和性もあったことから「影のキャスチングボートを握った」と総括する。ただ、持論である消費税増税の阻止に向け与党再編を画策すると、党内の反発を受け代表辞任や解党に追い込まれた。

 渡辺氏は当時について「ミッチー(美智雄氏の愛称)語録の『誰と組むかの前に何をやるかだ』を実現していたが、党内をまとめきれず不徳の致すところだ」と述べる一方、「うまくいく寸前までいったんだ」と悔しさも隠さなかった。

 初当選以来、一貫して「日本を成長国家に戻すための国家経営」を訴え続けた。現在の状況は「経済安全保障のため、ある程度市場メカニズムをコントロールせざるを得ない時代だ。日本のかじ取りはものすごく難しい」と指摘する。

 今年3月、70歳を迎えた。政治家人生の道しるべだった美智雄氏が闘病していた年齢だが「長生きすれば、培った知識や経験を生かすチャンスはいくらでもある。おやじの分まで生きてやろう」と意欲を語った。

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