唐揚げに肴…ケーキまで…メニュー50品超、63年つなぐ地元の味 さいたま市北区・三丁目にしや食堂

震災時、おにぎりと豚汁だけで店を開けた。「にしやに行けば何とかなると思ってもらえたらうれしい」と話す3代目(娘)の緒方恵美さん(後列左)。手前が弟の斎藤智則さん。後列右端が2代目の沼田幸子さん、2人置いて3代目(母)の斎藤弘子さん=埼玉県さいたま市北区日進町3丁目

 JR宮原駅西口から真っすぐに伸びる大通りを10分ほど歩いた道沿い。さいたま市立日進北小学校の並びに素朴な木彫りの看板を掲げた「三丁目にしや食堂」がある。開業から63年。3代目を務める母娘を中心に家族で力を合わせながら、地域に根差した手作りの味と憩いの場を提供している。

 「いらっしゃーい」。ランチ時に格子戸を開けると、にぎわう店内に3代目の斎藤弘子さん(68)と長女・緒方恵美さん(43)の明るい声が響く。

 同食堂は1959(昭和34)年、同所周辺で農業を営んでいた斎藤範之さん(享年84歳)が60歳の時に始めた。江戸時代から明治にかけての地名「西谷村」が屋号の由来。

 「当時は細い砂利道だけで、ほぼ唯一の食事場所。遠くからも出前の注文を受け、毎日バイクで配達していた」と話すのは、範之さんの長女・沼田幸子さん(78)。60年代半ば以降、夫の之夫(ゆきお)さん(享年79歳)と共に2代目を務めた。「主人は公務員だったから、両親は『継がなくてもいい』の一点張り。でも、ご近所の『もったいないよ』の後押しで勤めを辞め、30代から始めたの」と、懐かしげにほほ笑む。

 2007(平成19)年、60代となった2代目の沼田さん夫婦は、幸子さんの弟、斎藤泰(やすし)さん(69)の妻で義妹に当たる弘子さんに3代目を打診した。「20年以上給食センターなどで働き、食に関わってきた部分を『認めてもらえたのかな』とうれしくて。『いっしょにやらない?』って娘に声をかけた」と弘子さん。恵美さんは「母の誘いにびっくり。でも食堂のみそラーメンが大好きだったからすぐにおじちゃん、おばちゃんの見習いとして厨房(ちゅうぼう)に入り、唐揚げや野菜炒めと一緒に“にしやの味”を受け継いだ」と振り返る。

 その後、15年を経た店内には常連客らのリクエストに応じて増えた、約50品の手書きメニューがずらり。一番人気はボリュームたっぷりな「にしや御前」。メイン料理に、栄養バランスを考えた単品が6種類付く。

 3代目母娘の支えは、忙しい本業の合間を縫ってサポートを続ける家族の存在。泰さんが買い出しや配達などを手伝い、長男・智則さん(40)は夜間の調理とともに、酒の知識を生かした仕入れやつまみを担当する。お菓子作りが趣味の次男・雅紀さん(36)が腕を振るう甘さ控えめのケーキは、テイクアウトも含め世代を問わず好評だ。

 小上がりの座敷で会合を開いていた日進北小「にちきたおやじかい(会)!」の会長、中村哲男さん(45)らは「今日で168回目。いつも『お帰りなさい』の呼びかけとおいしい料理で迎えてくれる。気軽に集いボランティア活動を楽しめるのも、この街に『にしや』があってこそ」。テーブル脇の壁には、帰郷する学生らが書き記した感謝の言葉がびっしりと並ぶ。

 母娘は「初代と2代目がつないだ長い年月と歴史は、どこにも売っていないし買えない宝物。これからも地道に、心と体を満たす料理を届けたい」と笑顔を見せた。

【メモ】埼玉県さいたま市北区日進町3の225。電話048.663.0780。午前11時~午後3時、午後5時~同9時。日曜定休。

【左】昭和のたたずまいを感じる三丁目にしや食堂の外観 【右】創業時の「大衆食堂にしや」。看板には「喫茶」の文字も。後列左から4人目が初代、斎藤範之さん。同2、3人目が2代目の沼田之夫さん、幸子さん夫妻。前列左端が幸子さんの弟で3代目弘子さんの夫、泰さん=1959年ごろ(提供)

© 株式会社埼玉新聞社