「交通博物館」の記憶

 【汐留鉄道俱楽部】東京・汐留に復元された「旧新橋停車場」内にある「鉄道歴史展示室」は、気軽に鉄道の魅力に触れることができる楽しい無料の施設だ。いつも鉄道に関する企画展があり、会社近くなので時間があれば時々立ち寄っている。
 旧新橋停車場は1872年(明治5年)、日本で初めての鉄道が新橋―横浜間で開通した時の新橋駅外観を忠実に復元した建造物で、プラットホームも同様に再現されている。その駅構内の一部を展示室としているのだが、日本の鉄道史がこの地から始まったと知れば、鉄道ファンならずともちょっと室内をのぞいてみたくもなるだろう。

汐留に復元された駅舎とプラットホーム

 今春から続く企画展は「鉄道博物館100年のあゆみ」と題して、歴代の鉄道博物館の写真や展示物を紹介している。今でこそ大宮駅近くの巨大で近代的な「鉄道博物館」が全国的にも有名だが、博物館自体の歴史は古く、1921年(大正10年)10月に東京駅高架下に開館していたのが初代だとは知らなかった。100年も前から鉄道絡みの博物館があったとは驚きだ。高架下には資料類、上には実物の車両を展示していたという。多くの客でにぎわったとされるが、関東大震災で貴重な資料類も含めほとんどが焼失したという。
 その後、36年(昭和11年)、当時の中央線万世橋駅(千代田区神田須田町)に規模も初代より拡大して再開した。46年には鉄道のみならず船や自動車、飛行機など交通全般を展示、紹介する「交通文化博物館」に変わり、48年に「交通博物館」に改名した。
 私が記憶しているのはこの万世橋時代の交通博物館で、小学校低学年の頃、父親に連れられて以降、何度も行った。中に入ると巨大な鉄道模型のジオラマに目を見張った。ヘッドライトや室内灯をともして次々と発着する列車に長時間ガラス越しにくぎ付けとなった。HOゲージだったと思うが、ターミナルには多くの長大編成の列車が発車を待ち、風景にしてもビルあり、山あり川あり、トンネルありでとてもリアルだった。隅っこには列車をマイクで紹介したり操作したりする担当の人が立っていた。
 博物館で他に記憶に残っているのは国電のドア開閉を自分で操作できたこと。気分は車掌さんで、実際に本物の車両(京浜東北線の101系だったかな)のドアを開閉できるのだから子どもにとっては胸躍らす経験だった。「ドア閉めまーす」なんて言いながら開閉スイッチを操作すると「プシュー」という音とともに本当にドアが閉まるのは何とも本物っぽくて何度やっても楽しかった覚えがある。どこか優越感さえ感じてしまう操作体験だった。パンタグラフもボタンを押して本物を上下させていたような気もするのだが、果たしてこれは本当だったのかははっきりしない。ほかにも手動ポイント装置や信号機なども展示してあったことを記憶している。
 展示は鉄道以外でも豊富だった。旅客機の実物のコックピットがあったり、実物のスバル360があったりで一日中乗り物を楽しめるワンダーランドだった。70年代に入り、入り口には白地に青のラインが入った「夢の超特急」こと初代新幹線0系の正面部分が展示されるようになった。結局、学生時代までよく足を運び、2006年の閉館直前にも別れを告げに訪問した。
 憧れだった鉄道を見たり触れたりしてより身近な存在にしてくれた万世橋時代の交通博物館。自分と鉄道を結び付けた一つの橋渡し役だったと言って良い。
その意味でも今回の企画展は大変感動的な内容だった。

開業間もない東海道新幹線の0系車両の前に立つ筆者

 ちなみに、写真で夢の超特急を前に立っているのは筆者だ。裏に父親が「40・1・2」と記しているので東海道新幹線が開通してほどなくして見に行った時の撮影だろう。実際に乗車はしなかったと思うが、手にはおもちゃの拳銃を握る昭和そのものの子どもだ。60年近く前、まだ目新しい超特急を前に目を輝かせていただろう小1の自分が東京駅のホームにいたのは確かだ。

☆共同通信・植村昌則

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