<南風>営力と営為

 漂着した軽石にガジュマルと多肉植物を植えてみた。すくすく育っている。自然の営力の前に時として生き物は破局的ともいえる状況にさらされる。それでも、それをかいくぐってきたのが生き物だ。百年に一度の大噴火なら、百年に一度乗り越えれば良い。千年に一度の大津波なら、千年に一度乗り越えれば良い。自然にはさまざまな長さの周期があって、生き物はこれらの暦を刻み込んで生きてきた。

 サンゴはサンゴ礁地形を作る外的営力の一つとして働く。数千年単位の営力の結果、裾礁(きょしょう)は形作られる。裾礁そのものも含め生き物の活動が次々と新たなすみかを作り出す「住み込み連鎖」がサンゴ礁生態系の豊かな多様性を支えている。

 そこには多様な暦があって、梅雨の終わりを告げるサンゴの産卵もその一つだ。軽石は折からの夏至南風に吹き流されるようだが、サンゴの幼生たちはこの流れに乗って毎年北上してきた。旧暦の6月に入ればスクがやってくる。人の営みもまた、これらの暦を読み取ってサンゴ礁を利用してきた。

 これらの暦が今まさに、生き物の暦とは異なる速さで進行する文明という営為によって崩れようとしている。気候変動は不可逆的な進行によって暦を侵食している。人は自らの営為によって地形を変更する外的営力として働く。埋め立てという外的営力は暦を持たず周期を断ち切る。

 気がつけば暦の連鎖の中にある人そのものも置き去りにされようとしている。これにおびえた人々は営為を尽くして、暦に介入し修復を試み始めた。京都大徳寺の扁額(へんがく)に「自休」とある。自ら立ち止まって自らの行い行く末を自問せよという禅の教えだそうだ。わび茶の利休も一休禅師もこの一字をいただいている。夏至の蝉時雨(せみしぐれ)の中、吹き出る汗に自休したい。

(中野義勝、沖縄県サンゴ礁保全推進協議会 会長)

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