日本のFIREブームへの違和感、本当に早く退職することが正しいのか?

2010年以降にアメリカで起きたFIREブームと、現在の日本のFIREブームでは、底流にある考え方に大きな違いがあるようです。

シリーズ10万部突破の『株式投資「必勝ゼミ」』の著者・榊原 正幸 氏の新刊『60歳までに「お金の自由」を手に入れる!』(PHP研究所)より、一部を抜粋・編集してFIREの考え方について解説します。


なんで今さら!? FIREブームへの根本的な違和感

2010年以降、アメリカで「FIREムーブメント」が起こっているというのを聞いても、「なんで今さら!?」という感が否めません。なぜなら、2000年前後にはロバート・キヨサキ氏が「ヤンリタ」を提唱した本を出していますし、2005年にはヒロ・ナカジマ氏の本も日本でベストセラーになっているからです。

それなのに、FIREムーブメントは、2010年頃からアメリカのミレニアル世代の間で流行しているというのですから、言葉が「ヤンリタ」から「FIRE」に変わっただけで、結局、いつの時代も「経済的自由を確立して、早期にリタイアしたい」というのは、若者や中高年のハートをわしづかみにしてきたのだ、ということでしょう。

しかし、ここで大きな問題意識を提起したいと思います。

2000年代の「ヤンリタ論」や、2010年以降の「FIREムーブメント」の考え方を調べれば調べるほど、私には違和感が払拭できないのです。それは、「ヤンリタ論」や「FIREムーブメント」の底流にあるのが、仕事を「早く辞めたい」という思考だということです。

欧米では特に、宗教的なバックボーンからか、仕事そのものを「(神様から人間に与えられた)罰」と考えることが底流にあるような気がするのです。だから、一刻も早く逃れようとするのでしょう。

しかし、「早く辞めたい」ということは、よっぽど「イヤな仕事」をしているのだということです。実は、重要なのは早く辞めることではなく、「イヤな仕事」を「イヤじゃない仕事」に変えることなのです。充分なスキルを積んでから、慎重に転職するのであれば、それはオススメの一手です。

また、「イヤな仕事」でも、本当に粉骨砕身の努力をすれば、その仕事に楽しみを見出すことができるようになって、「イヤじゃない仕事」に変化していくということを言う人もいます。それをやってみるのも一手です。本当に粉骨砕身の努力をして、それでもその仕事に楽しみを見出すことができなかったら、その時は転職すればいいのです。

仕事は本当に「罰」なのか?

欧米人は、仕事を「罰」と考えることがあるようですが、本来、仕事は「罰」ではなく「社会貢献」です。日本語には、面白い表現があります。それは、「働く」とは「傍楽(はたらく)」ことだ、というのです。すなわち、「傍」の人(周りの人)が「楽」になるようにすることが、「働く」ことだというのです。

このように、働くということの本質は、「罰」ではなく「社会貢献」です。「社会参加」だという人もいます。ですから、「早くリタイアすること」には、本質的な価値はないのです。イヤな仕事からは一刻も早くイヤじゃない仕事に代わるべきだとは思いますが、何も若くして辞める必要はないのです(ここでいう「辞める」というのは、「転職する」ことではなく「リタイアする」ことです)。仕事がイヤだったら、若いうちは辞める必要はなくて、ただイヤじゃない仕事に転職すればいいのです。

イヤじゃない仕事か好きな仕事をして社会貢献と社会参加をしながら、60歳くらいまでは働いて、「お金が貯まって財力はついたが、気力と体力に自信がなくなった。そうなったら、その時点で辞める」というのが理想的な生き方だと思うのです。

「早くお金持ちになる」ではなく「お金持ちであり続ける」

「早くお金持ちになりたい」というのをよく耳にしますが、そもそも、お金持ちには「早く」なんてなれないのです。そんなのごく一部の才能のある人だけにしかできないのです。そうでもなければ、インチキか宝くじか遺産相続だけです。
早くいい思いがしたいのはわかりますが、普通は無理です。「早く」お金持ちになりたいというのではなく、ひとたびお金持ちになれたら「死ぬまで」お金持ちでいたいと考えるのが正解です。

普通の人がお金持ちになるには、どうしても(10年、20年といった)時間がかかります。でも、時間をかけるからこそ、本当にお金持ちになれるのですし、「死ぬまで」お金持ちでいられるようにもなるのです(この「死ぬまで」お金持ちでいられるということは、「エターニティ(Eternity)」ということでもあります)。

4つの基本的な提言

さて、話を戻して、ここで4つの基本的な提言をします。

(1)できるだけ「早く」、遅くとも40歳~45歳までには「イヤじゃない仕事」に就きましょう!

(2)25歳くらいから60歳くらいまでの長い時間をかけて、資産運用をすることによって、盤石の経済的基盤を構築しましょう!

(3)60歳までに、遅くとも65歳までには「経済的自由」の基盤を確立しましょう!

(4)60歳を過ぎたら、「お金のため、生活のために、仕方なく働く」ということを回避しましょう!

これらの4つが、基本的な目標でもあり、本書で掲げるスローガンです。それぞれについて、もう少し詳しく述べます。

できるだけ早く「イヤじゃない仕事」に就きましょう!

1つ目の提言は「できるだけ『早く』、遅くとも40歳~45歳までには『イヤじゃない仕事』に就きましょう!」です。

実は、「早く!早く!」と無理やり急いで大金を手にしようとすることよりも大切であり、より実現可能なことは、できるだけ早く「イヤじゃない仕事」に就くことなのです。できるだけ早くイヤじゃない仕事に就けば、無理に頑張って「ヤンリタ」や「FIRE」をする必要はなくなります。

もちろん好きな仕事に就ければ(または就いた仕事が好きになれれば)それに越したことはありませんが、それを狙うと実現の可能性が一気に下がってしまいますので、まずは「イヤじゃない仕事」に就くことを考えましょう。

長い時間をかけて、盤石の経済的基盤を構築しましょう!

2つ目の提言は「25歳くらいから60歳くらいまでの長い時間をかけて、資産運用をすることによって、盤石の経済的基盤を構築しましょう!」です。

できれば50歳くらいまでに盤石の経済的基盤を構築してしまえば、精神的にとても楽です。「辞めようと思えば、いつでも辞められる」というのは、とても楽なことなのです。私はこの「辞めようと思えば、いつでも辞められる状態」のことを「Exit Optionを持っている」という言葉でずっと捉えてきました。「Exit Option」とは「出口を選択する権利」と訳せます。

「盤石の経済的基盤」を構築してしまえば、この「Exit Option」を持てます。これが重要なことなのです。「Exit Option」を持った上で、あえて働くのです。なぜなら、「イヤじゃない」から。

この状態になれば、とても楽に仕事をすることができます。「辞める」のは最後の手段でいいのです。

「Exit Option」という言葉を私が初めて聞いたのは

以下は少々余談です。「Exit Option」という言葉を私が初めて聞いたのは、私が青山学院大学に着任して1年目のことでした。今から15年以上前のことです。

当時の研究科長(私たちが所属していた組織の長)が、やや横暴なやり方を私たち教員に求めてきたことがありました。

その時に、(私は鈍感なので気づきませんでしたが)やや派閥的というか学閥的な動きが出てきたようでした。「研究科長に反対の人は、みんなで派閥を組んで対抗しよう!」みたいな動きです。

それを敏感に察知した、ある年輩の教授が「我々も『海外PhD組』として結束しよう!」と言い出して、私たちの研究科に所属していた教員の中で、海外でPhD(博士号)を取った人材を集めて食事会のようなことをしたことがありました(そもそも、海外でPhDを取ろうとするような人は、私も含めて、派閥や学閥のようなことが大嫌いで海外に飛び出している人が多いので、この集まりは、「1回限り」になりましたが。笑)。

その食事会は、研究科長の運営方針について気に入らない点を整理しようという主旨で集まった会合だったので、食事会での話題は当然ながら、当時の研究科長に対する不満に及ぶわけです。いくつかの意見(不満)が出たところで、ある准教授がこう言いました。

「いや~、まぁ、ホントに不満ならば、私たち海外PhD組には『Exit Option』がありますから、どこか他の大学に移ればいいんですよ」

海外でPhDの学位を授与された人材というのは、(今はどうかはわかりませんが)当時は比較的レアだったので、「移籍を希望すれば、どこかの大学では採用してもらえる」という意識を持つのも無理もない感じだったと記憶しています(やけに「上から目線」ではありますけど)。

この発言を聞いた時、「うわ~、エリート意識が強い人は、こんなことを考えるんだな~」と思い、ちょっと引きましたが、この発言の中にあった「Exit Option」という言葉だけは、やけに心に残りました。

ここで言いたいことは、「Exit Optionを持っていると、まずは、職場でイヤなことがあっても耐えることが容易になる」ということです。いつでも逃げ出せるからです。

また、この准教授が言った「Exit Option」の意味は不完全なものだったと今では思います。というのも、この准教授が言ったのは、「イヤなら他の大学に移れる」ということでしかなく、「イヤなら辞められる」という意味ではなかったからです。「イヤなら他の大学に移れる」といっても、移った先の大学でもイヤな思いをしたら、また移るの?それで、どこに移っても、どこもかしこもイヤだったらどうするの?こんな疑問が生まれますよね。

完全な意味での「Exit Optionを持っていること」というのは、「イヤなら辞められる(引退できる)」という状態であると思います。そのためには、「盤石の経済的基盤」を構築する必要があります。「ほぼ間違いなくどこかの職場で採用してもらえる学位や資格」を持つことよりも強力なのは、どこの職場に行かなくても、生活していけるだけの「盤石の経済的基盤」を持っていることです。

「Exit Option発言」をした准教授も、「海外のPhD」は持っていましたが、「盤石の経済的基盤」は持っていなかったと思います(その准教授の正確な経済状態は、知る由もありませんでしたが)。

「ほぼ間違いなくどこかの職場で採用してもらえる学位や資格」を取ることも「盤石の経済的基盤」を構築することも、どちらも困難なことではあります。しかし、私の経験では、「ほぼ間違いなくどこかの職場で採用してもらえる学位や資格」を取ることよりも、「盤石の経済的基盤」を構築することのほうが簡単です。

簡単なのに強力。ならば、それを狙うのが得策ですよね。

60歳までには「経済的自由」の基盤を確立しましょう!

3つ目の提言は「60歳までに、遅くとも65歳までには『経済的自由』の基盤を確立しましょう!」です。

好きな仕事なら60歳以降も、もちろん続ければいいと思いますが、イヤじゃない仕事であれば、60歳くらいが辞め時です。人間、60歳くらいになると、それまでイヤじゃなかった仕事でも、「イヤ」になってきます。身体は疲れやすくなりますし、仕事には完全に飽きますし、気力も萎えてきます。

経済的な必要性から、辞めたくても辞められないのであれば話は別ですが、60歳までに「経済的自由(Financial Freedom)」の基盤を確立してあれば、やはり60歳くらいが辞め時だと思うのです。

日本人である我々には、「そんな子供みたいなわがままを言っちゃ、ダメ!」というような倫理観が刷り込まれていますから、なかなか正直になりにくいですが、「経済的自由」を前提にして、本当に素直な気持ちに従うならば、好きな仕事でない限り、60歳前後で撤収したほうがいいでしょう。そのために60歳までに、遅くとも65歳までには「経済的自由」の基盤を確立しましょう!というわけです。

60歳を過ぎたら、「仕方なく働く」をやめましょう!

4つ目の提言は「60歳を過ぎたら、『お金のため、生活のために、仕方なく働く』ということを回避しましょう!」です。

本書の目的は、「60歳を過ぎても、経済的な必要性から、仕事を辞めたくても辞められない人」をできるだけ少なくすることです。30代や40代で、いわゆる「ヤンリタ」をする人というのは、「人生で余暇を楽しむ」人です。ですから、はっきり言ってしまえば「そんなこと、できてもできなくてもどっちでもいいこと」です。

一方、60歳でヤンリタするのは「不本意な苦痛からの解放」ですから、これは「ぜひともできるようになりましょう!」ということなのです。

著者 榊原 正幸

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定年延長に年金の不安もあり、多くの人が60歳を過ぎても働かざるを得なくなっている昨今。しかし、本来なら限りある定年後の時間は「自分が本当に生きたいように生きる」ための時間として使いたいもの。
そのためには60歳までに、もう働く必要がないほどの「お金の自由」を手に入れる必要がある。本書はまさに、その具体的な方法を説いていく1冊。

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