日本を渡り歩いて、たどり着いた定住の地。旅好きの地域おこし協力隊が伝える、利尻島の魅力とは?

札幌・丘珠空港から、飛行機で55分。島の西側にある利尻町と、東側にある利尻富士町のふたつの町からなる利尻島は、真ん中に名峰・利尻山を有する自然豊かな島です。リゾートバイトをしながら日本各地を転々としてきた梅村みゆきさんは、ウニ剥きのアルバイトで利尻島を訪れ、その数年後に地域おこし協力隊として利尻富士町に移住しました。

いまは移住コーディネーターとして島の魅力を伝え、移住希望者にリアルな島暮らしをイメージしてもらえる企画を考えています。梅村さんが移住して改めて感じる島の魅力、そしてこれから実現させたいことなどについて、お話を伺いました。

目次

1.新しい世界を教えてくれる「旅」に魅了されて。
2.移住者の視点が生きる移住コーディネーターに。
3.自然に抗わず、素の自分のまま生きることの心地よさ。
4.「島にあったらいいな」と思うものを実現させたい。
5.島の課題を拾い上げて、解決に導いていくおもしろさ。

新しい世界を教えてくれる「旅」に魅了されて。

富山県で生まれ育った梅村さんの趣味は、旅。京都の大学に進学してからは、国内外関係なく、時間を確保しては旅に出る生活を送っていました。

「ひとりでタイに行ったり、卒業旅行でイタリアに2週間滞在したりと、学生時代はいろいろな挑戦をしました。新しいものを見たり、初めて出会う人と話したり、自分が知らなかった世界を知れるのが旅の醍醐味ですね」

タイにて、朝食中に仲良くなったシンガポールのみなさんと。いまでもFacebookで繋がっています。
イタリアひとり旅。中世の街並みが美しい、オルヴィエートという街で。

卒業後は旅好きが高じて旅行会社に就職したものの、多忙を極め、本来の趣味である旅になかなか行けなくなったことから、半年で退職。その後はリゾートバイトで全国を転々としながら、趣味と実益を兼ねた生活を続けていました。

「軽井沢、湯布院、久米島、会津若松、八丈島、丸亀、ニセコ…。観光地では主にホテルやレストラン、テーマパークなど、観光客と関わる仕事をしていました」

ニセコでは焼肉屋に勤務。お客様と撮影した一枚。

そのなかで、利尻島だけは別でした。ウニ剥きのアルバイトで「地元の人と働く」という、これまであまりなかった経験をしたのです。

シーズンが終わって一度は利尻島から離れ、また別の町でアルバイトを始めましたが、コロナ禍で移動しづらくなり、富山に帰郷。どこかの町に定住を考え始めたとき、自然と「また利尻島に行きたい」と思ったと言います。

「他のエリアと比べて、地元の人と関わる時間が長く、利尻島に住むイメージが湧いたんですね。一緒に働いている仲間や漁師さんと仲良くなって食事に連れて行ってもらったり、沖釣りに誘ってもらったり、いただいた魚をさばいて郷土料理を作ったりと、ああこんなふうに暮らしていくんだな、と思えたのが大きかったです」

おいしい利尻昆布を食べて育つ利尻島のウニは、当然おいしいに決まっています。

そして2020年の夏にウニ剥きのアルバイトで再び利尻島を訪れ、秋には正式に移住。通年安定して働けて、さらに地域のことを深く知れる、地域おこし協力隊に着任することになりました。

移住者の視点が生きる移住コーディネーターに。

「現在は移住コーディネーターとして、移住のポータルサイト『利尻富士ぐらし』の企画・運営をしています。求人や住宅への問い合わせ対応、ワーケーション・移住体験の受け入れが主な業務です」

移住希望者にはウニ剥きを体験してもらうほか、観光地としてではなく居住地としての利尻島についてリアルなお話をするなど、自身が移住者であるからこそ生きる仕事で活躍しています。また、梅村さんが「利尻島に来て初めて口にした」というホッケのかまぼこを、実際に作ってみるというオリジナルの体験メニューも。

「島では意外に魚を買える場所が少ないんです。島民が食べる魚はもらうことが多く、ほとんどは島外に出荷されてしまいます。そこで私が漁師さんからホッケを仕入れてさばくところから始め、体験者と一緒にホッケのかまぼこを作って食べる、というメニューを考えました。地元の人が食べているおいしいものを自分の手で作る、という体験ができたら、おもしろいんじゃないかと思って」

ホッケのかまぼことは、すり身ににんじんと玉ねぎを加え、味付けしたものを揚げてつくる郷土料理。できたてが一番おいしいうえに、おみやげとして買って帰ることもなかなかできないことから、調理体験は非常に喜ばれているそうです。

自然に抗わず、素の自分のまま生きることの心地よさ。

移住して2年弱。梅村さんが住んでみて改めて感じる、利尻島の魅力とはなんでしょうか。

「満員電車に乗らなくていいなど、ストレスを感じない生活が快適なのはもちろんですが、実際に住んでみて思ったのは、人間は自然に抗えないということ。島では、風が強くて船や飛行機が欠航すると予定を変更せざるを得ませんし、その日の仕事がなくなることもあります。また雪の朝は、通常業務に取りかかる前に雪かきという仕事が待っている。そういう体験を重ねると、人間は自然の中に住まわせてもらっている、ということを改めて実感するんです」

都会暮らしをしていたときは「あれもこれもやりたかったのに、今日はできなかったな」などと反省をすることが多かったそうですが、島暮らしをしていると「これでいいんだな」「今日はできなくても仕方がない」と、自分を許すことも増えました。自然の厳しさを感じつつも、緩やかで穏やかな時間が流れる島暮らし。焦らず急がず、この時間感覚で過ごしていていい、と感じることも増え、安心感が増したと言います。

そして、豊かな自然環境も、もちろん大いなる魅力。

「島のシンボルである利尻山のことは、住んでいる人はみんな気にかけますね。利尻山がきれいに見える日は『今日、山すごくきれいだね』という話題が必ず出るんです。てっぺんだけ雲がかかっていたり、曇りの日は姿がまったく見えなかったりと、山の全景が見えていることが案外少ないからこそ、何十年とここに暮らしている人でも『今日は山がきれいだね』と口にする。山が愛されている証だなと思います」

「島にあったらいいな」と思うものを実現させたい。

梅村さんは役場に常駐しながらも、島内で複数のアルバイトを掛け持ちして島暮らしを楽しんでいます。島の人たちとさまざまな場所で関わっていると、島の新たな一面も見えてくるそうです。

「夜はバーでアルバイトをしているのですが、常連さんに私の顔を覚えてもらったり、知らなかった町の情報が聞けたりと、とても有意義な時間を過ごしています。私が今後やっていきたいことについて、たくさんの人に知ってもらえる貴重な場でもあるんです」

協力隊の任期満了まで、あと1年と少し。卒業後も、移住定住分野の仕事に関わっていく予定です。

「加えて、観光ではなくもっと島の深いところまで見られるようなツアーを作りたいと思っています。たとえば私は島の人に誘われて釣りをすることもあるのですが、釣り具のレンタルショップが町にないんです。私の目線で、こういうものがあったら楽しいな、と思えるものをどんどん実現させていきたい」

ウニと同じくらい有名な、利尻昆布です。

利尻島には子どもだけで遊べる場がない、という意見がよく聞かれることから、子どもたちが参加できる体験学習プランを立てたいとも考えています。

「釣りや山登りなど、大人と一緒に行う遊びはありますが、子どもだけで楽しんでもらえる場所が利尻島にはないんです。そもそも交通手段が少ないので、遊び場があっても結局大人が車で送ってあげなければいけない。たとえば夏休み、両親がワーケーションをしている間に子どもが体験学習する、という流れができたら、長期滞在もしやすいですよね。島を訪れた家族の子どもを受け入れて、SUPやキャンプなどのアクティビティを通じて、島だからこそできる体験をしてもらえるようなプランを作りたいと思っています」

島の課題を拾い上げて、解決に導いていくおもしろさ。

利尻島に興味を持った人が梅村さんを通してお話を聞いたり、体験をしたりしたあと、必ず言ってくれるのが「観光だけでは見られないものが見られて、わからなかった話も聞けて、おもしろかった」ということ。同時に「利尻島っていいところですね」「住んでみたいです」などと言ってもらえることも増えてきたそうです。「その言葉にうれしさを感じたとき、ようやく自分も島の一員になってきたのかな、と思うんです」と、梅村さんは笑います。

ウニ剥きのリゾートバイト時代、漁師さんの船の新造祝いの際、船に乗せてもらって撮った記念の一枚。

ないものが多いからこそ「こんなものが島にあったらいいな」が見つけやすい。課題が見えるからこそ、解決するためのアイデアが湧いてくる。それも、島のおもしろいところだと梅村さんは話します。実現に向けてさまざまな障壁もありますが、協力隊の仕事やアルバイトなどを通じて人脈を広げ、周りの人に助けてもらいながらようやく挑戦できる土台ができあがってきました。

「島にとてもよくしてもらったから、恩返しをしたいんです」と梅村さん。本州はもちろん、北海道の人たちにとっても憧れの利尻島が、若き移住者によってさらなる魅力を増す日も近いはずです。

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ライタープロフィール

仲野聡子

生まれも育ちも日本一人口の少ない鳥取県。高校卒業後に上京し、東京に20年ほど住んだのち、2017年8月に喜茂別町に家族と移住しました。羊蹄山麓の澄んだ空気や豪雪を楽しみ、日々人の温かさに触れています。

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