映画『わたしは最悪。』- 理想と現実のあいだで揺れ続けながら、自分らしい人生を選択していく女性の恋と失敗と成長の物語

『母の残像』(2015年)、『テルマ』(2017年)のヨアキム・トリアー監督の新作、『わたしは最悪。』が公開。本作は第74回カンヌ国際映画祭でレナーテ・レインスヴェが女優賞に輝き、第94回アカデミー賞では脚本賞と国際長編映画賞にノミネートされた。 大学生のユリヤ。医学を学んでいるが、何かパッとしない。身体ではなく心だ、自分には心理学が向いているのだ! と心理学に転向。でもここもパっとしない。本当にやりたいことはなんだろう? フォトクラファーだ! と、軽やかに自分探しをするユリヤの、20代から30代にかけての物語。この映画は小説のように進む。だってユリヤは人生という物語の主役になりたいのだから。脇役じゃダメだ。主役だ。 ノルウェーの首都、芸術の都オスロで、ユリヤは自分が輝ける場所を探す。ひと回り以上年上の男性と出会い、共に暮らし、将来を話す。年上の男性はユリヤに妻と子どもの母親というポジションを与えたいと思う。え? 妻? 子ども? ユリヤからしたら、自分が主役でなきゃダメなのに妻とか母親とか、そんな役はやりたくない! ってことだろう。 そして自分にピッタリで、カッコイイ、自分を主役にしてくれる男性との出会いを待つ、いや待ってられない、突っ込んでいく。新しい恋がまた始まる。そしてその恋は? その先は?

自分が自分であるために、自分に正直に自由に、自分らしく生きていこうとしているユリヤ。それは自分の人生の主役になるってことで、主役はカッコ良くないとダメだ、なんて思っている。だから自分に正直なつもりでも、カッコつけて本心は隠していたりする。 ユリヤだけじゃない。年上の恋人も、若い恋人も、欠点があったり失敗したり。20代から30代に歳を重ねていくユリヤの環境も、10年弱の間の社会も、気づかぬうちにキッチリと進み変わっている。そしてユリヤはその世界で生きていく。アップデートしていく快感としんどさ、両方とも知ったのだから。 私自身、ユリヤとは全然違う! と思うけれど、思えば思うほど、実はわかるわ~って心の現れだったりするのかもしれない。

原題は『THE WORST PERSON IN THE WORLD』、邦題は『わたしは最悪。』。ユリヤはいろいろ最悪なのだが、シリアスとユーモラスが共存し、魅力的でリアリティある人物像が浮かぶ。美しいオスロの街の、夜を彷徨い、夜明けを2人で過ごし、朝に走るユリヤ。詩的な表現はヨアキム・トリアー監督ならでは。ハッピーエンド? バッドエンド? どちらにしても、なぜか爽快な気分にさせられた。(text:遠藤妙子)

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