JAXAを退職した宇宙飛行士・野口聡一さんの死生観を変えた「無の世界」 3度の飛行、宇宙で見つめた命の尊さ

思いを語る宇宙飛行士の野口聡一さん=6月7日、東京・丸の内

 6月1日付で宇宙航空研究開発機構(JAXA)を退職した宇宙飛行士野口聡一さん(57)が、共同通信の単独インタビューに応じた。1冊の読書体験をきっかけに宇宙を目指し、3度の飛行を実現した野口さん。その過程で生じた心境の変化や今後の展望を尋ねた。(共同通信=七井智寿)

 ―宇宙飛行士を目指したきっかけは何ですか。

 「高校3年の時に読んだ、ジャーナリストで評論家の立花隆さんの本「宇宙からの帰還」が印象に残っています。宇宙に行った米航空宇宙局(NASA)の飛行士のルポルタージュで、極限的な生と死の場面に立ち会うことが及ぼす内面世界への影響にフォーカスしていました。すごく新鮮な切り口で、そこからずっと、宇宙に行きたいと思っていました」

 ―人の死生観という考えが最初にあったのですか。

 「立花さんの本で宇宙を意識した飛行士は多いですが、僕が特殊だったのは、宇宙に行く直前に米スペースシャトル『コロンビア』の事故(2003年)がありました。同級生が犠牲になり、死ぬかもしれない場所と分かった上で、まだ行こうとするのかという問いを突き付けられました。宇宙は人間にとって危ない場所で、死ぬかもしれない。宇宙観の明確な起点で、動かせないスタートポイントです。宇宙は死の場所という感覚はそこから来ています」

「日の丸」の模様が付いた白い宇宙服を着て船外で作業する野口聡一飛行士=2021年3月5日(NASAテレビから)

 ―その気持ちをどう乗り越えましたか。

 「恐怖を克服したわけではありません。ただ、ずっとおびえているわけでもありません。受け入れる、当然のものとして許容するということです。圧倒的に死しかない世界で、ごく限られた生が同居しています。宇宙は限界まで死に近い場所ですが、帰ってくる方法はあります」

 ―野口さんの死生観に変化はありましたか。

 「生きていることは奇跡で、地球も奇跡のような星です。(現代は)生の感覚が満ちていて死の恐怖はほとんどない社会です。普段生活していて、死の恐怖はあまりないでしょう。例えば新型コロナウイルス感染症。かかったら大変ですが、自分は帰らぬ人になるかもしれないという感覚はないと思います。(宇宙では)放っておくと自分は死ぬ、うまくいけば生きられる。命を続けることがいかに大変かを認識できます。宇宙船の外側に船外活動で出ているときは、手袋の先はもう死の世界です。(死生観は)概念ではなく、きわめて即物的なものになります」

米スペースシャトル「ディスカバリー」の気密室で、2回目の船外活動(宇宙遊泳)の準備をしながら手を振る野口聡一さん=2005年(NASAテレビ・ロイター=共同)

 ―船外活動は孤独な作業だと思いますが。

 「国際宇宙ステーションの端まで行くと、何も物がありません。概念としてではなく、目の前の事象として分かります。360度広がる景色で、何も光が返ってきません。夜の世界であれば星が見えるはずですが、見えないのがポイント。(作業は)昼間で、足元の地球はこうこうと照らされています。背後のステーションはまばゆいばかりに光っていて、手すりも太陽の光が当たって熱いぐらいの時間帯です。それなのに、端まで行くと(その先に)何もないのが本能的に分かります。一歩進めば何も存在しない世界に入ってしまう。恐怖です。手を離すと、無の世界に行ってしまうかもという感覚になるのは予想していませんでした」

ソユーズ宇宙船でカザフスタンの草原に帰還した野口聡一さん=2010年6月2日(NASA/JAXA/Bill Ingalls提供)

 ―ステーションの中や地球とは別世界ですか。

 「ステーションには機械があり、パソコンがあり、人がいます。(宇宙からみた地球は)すごくダイナミックで、いろいろな表情があります。水の惑星なので、海であれ山であれ、水がつくる景色が、地球に命があることの証しだと感じました。講演会では『家に帰るまでが遠足』とよく話すのですが、ステーションの端っこまで行ったときに、自分はここからが遠足の帰り道で、生還しないといけないと思いました。仲間の命も、自分の命もなくさずに帰らなければなりませんでした」

米宇宙船クルードラゴンの発射台へ向かう野口聡一さん=2020年11月(JAXA/NASA提供)

 ―JAXAを離れた現在の心境は。

 「本当に温かい組織で、育ててもらったなと思います。今後は宇宙に行くことで得られる知見を(民間人としての立場で)広めていくことができるとよいと思いました」

 ―どんなことを伝えたいですか。

 「新型コロナの流行もあり、ウクライナ情勢も含めて、世界中に先行き不透明感があります。ここ数年は将来に向けて、明るい展望が描けないと感じる学生や子どもが多いと思います。宇宙が必ずしも回答にはならないことはよく分かっています。ただ宇宙の活動を通じて新しい可能性を探ろうとする大人がいるよと伝えたいです。地面だけを見ていたら見えない解決法、普段気付かない視点からの見方で解決することはあるのではないかと思います」

 ―宇宙開発の現状は大きく変化しています。

 「米スペースXに代表される民間企業が動き始めています。従来の国策としての宇宙は、失敗しないことを目標にしてしまい、非常に慎重になりました。失敗をさせない組織に、進歩はありません。失敗を恐れずに挑戦する企業が成長し、世界の宇宙産業を引っ張っています。ロシアのソユーズ宇宙船しか使えない時にウクライナ情勢が起こったら、ステーション計画はおしまいでした。たまたま2020年にスペースXが打ち上げに成功したので、今も続いているのです。ちょっと前なら東側や西側、第三国と言われていたのが、今は民間企業が第3勢力として仲裁役を担いつつあります。そこが面白いなと思います」

野口聡一さん=6月7日、東京・丸の内

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 1965年、横浜市生まれ。6月1日付でJAXAを退職。2021年から東京大先端科学技術研究センター特任教授。

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