復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉7 月2日「経企庁、開発地域の基地縮小は必要」―琉球新報アーカイブから―

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
 

 日本「復帰」直後の1972年7月2日の琉球新報1面トップは、「県議会議長に平良氏(社大)推薦/与党合同会議で一致/公明党にも協力要請へ/委員長人事、自民の意向を打診し結論」との見出しで、新生沖縄県議会の議長人事などの調整経過を紹介している。
 復帰後の沖縄開発振興計画をめぐる沖縄県と国の協議を巡って「開発地域の基地縮小は必要/経企庁/自然環境の保全を/喜久川企画部長、振興計画、新しい観点で」との見出しで伝えている。記事では県側の代表として上京している喜久川企画部長が較差是正、基地縮小、地元産業の育成、自然環境の保全などの要望を出したところ、経企庁側からは「当面、開発に必要な地域の基地縮小は必要」との考えが示されたという。
 全軍労が解雇撤回などを求めて48時間ストを敢行したが、米軍側からは新たに就労時間の短縮が示されたことに関連して「〝時間短縮〟の撤回求める/前田部長上京/間接雇用問題で折衝」との見出しで、沖縄県から国に要望していく方針を示している。
 中央政局の自民総裁選について「反福田三派で同盟/田中、大平、三木候補/きょう政策協定」との見出しで、福田赳夫氏とそれ以外の大平正芳、三木武夫、田中角栄の3氏の構図に固まりつつある情勢を伝えている。
 
 
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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。  

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