『リコリス・ピザ』徹底解説! 実在の人物・元ネタ・時代背景 あなたを1973年の夏に導く青春映画

『リコリス・ピザ』© 2021 Metro-Goldwyn-Mayer Pictures Inc. All Rights Reserved.

リコリス・ピザ=アナログレコード

ポール・トーマス・アンダーソン監督(以下、PTA)の9作目の長編映画となる『リコリス・ピザ』。少年ゲイリーと大人の女性アラナの出会いと恋、そして奇妙な冒険を、1973年のハリウッド郊外、サンフェルナンドバレーを舞台に、これまた奇妙な人物たちをちりばめて描いていく物語である。

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まずこの謎のタイトル“リコリス・ピザ”だが、こんな味のピザがあったらマズそうだ……ということではなく、これはアナログレコードのスラング。レコードの見た目がリコリス(独特な香りのする甘草科の生薬)で作ったピザを想起させるからだ。また、“LP”と掛けたシャレでもある。

本作が影響を多々受けている青春映画の名作『初体験 リッジモンド・ハイ』(1982年)は舞台も同じサンフェルナンドバレーだが、そのオープニングには<リコリス・ピザ>の名を冠したレコード店も登場する。

サンフェルナンドバレーには映画スタジオも多く存在していた、という場所柄からか、2人の行く手には当時の映画界の有名人を想起させる人物やエピソードが頻出する。そこにはPTAの過ぎ去ったハリウッドの時代への想いが詰まっている。

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強烈な登場人物には全て実在のモデルがいる

少年ゲイリーは後にハリウッドの名プロデューサーに

そもそも主人公の少年、ゲイリーのキャラクター自体がハリウッドのプロデューサー、ゲイリー・ゴーツマンがベースになっている。彼は子役出身で18人の大家族映画『合併結婚』(1968)に出演、その後ウォーターベッドやピンボール販売など様々な事業を手がけた……と、映画まんまの経歴なのだ。彼は今、トム・ハンクスとプロダクション会社<Playtone>を運営している。

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ショーン・ペン演じるベテラン俳優はウィリアム・ホールデンがモデル

当時のハリウッドスターや映画作品の引用も多数登場する。ショーン・ペン演じる大物俳優、ジャック・ホールデンはどう考えても『サンセット大通り』(1950年)などのウィリアム・ホールデンがベースだ。アラナが受けるオーディションはクリント・イーストウッドが監督した『愛のそよ風』(1973年)の台詞をまんま使用しており、その主演はホールデンだ。

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トム・ウェイツ演じる映画監督のベースはサム・ペキンパー

トム・ウェイツが演じる映画監督レックスは、サム・ペキンパーを想起させるキャラクターだ。もちろんペキンパーは、ウィリアム・ホールデンとは『ワイルドバンチ』(1969年)でおなじみの間柄。二人が語る思い出の作品「トコ=サンの橋」はウィリアム・ホールデンが主演した朝鮮戦争映画『トコリの橋』(1954年)がベース。台詞はこちらも『トコリ~』本編からまんま持ってきている。

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バイクスタントの英雄、伝説のイーブル・クニーブルも引用

酒の勢いで展開する、唐突でダイナミックなバイクスタントのシーンは、PTAが昔聞いたことのある、「ビバ・ニーベル」(1977年)で有名な伝説のスタントマン、イーブル・クニーブルのエピソードに由来している。ハリウッドの伝説もうまく織り込んでいるのだ。

ブラッドリー・クーパーが演じるのは『スタ誕』の個性派プロデューサー

ブラッドリー・クーパーが怪演している謎の人物、ジョン・ピーターズはなんと実在する。作中で語られる通り彼はバーブラ・ストライサンドと交際しており、ストライサンド主演の『スター誕生』(1976年)のプロデューサーだ。ここで思い出して欲しいのが、レディ・ガガ主演の『アリー/スター誕生』(2018年)。演じるクーパーはこの作品の監督、主演、プロデューサー……つまり2つの『スター誕生』をかけたギャグ的なキャスティングでもある。

ちなみに、クーパーと子供たちが対面するのは現場が初めてで、どんな格好なのかも全く知らされていなかった。というわけで、彼の怪演に対する子供たちのおびえたリアクションは本物。そこも見物だ。

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ディカプリオの父(!)も怪人物を好演

ウォーターベッド販売の怪しげな男、Mr.ジャックを演じるのはレオナルド・ディカプリオの実の父親ジョージその人である。彼はこの当時から、カリフォルニアのアングラアート文化の有名人だったそうで、当時の西海岸的な陽気で胡散臭い雰囲気を表すのに最適なキャスティングだ。

ハリウッドの夢の残滓……PTAの映画愛が炸裂!

中には「なぜこの映画を?」というような、直接関係のない作品からの引用もある。選挙事務所の外から怪しい男が見ているシーンは『タクシードライバー』(1976年)そのまんま。舞台はニューヨークだし時代も異なるので直接の関係はないが、あの完コピぶりはPTAが好きな映画のシーンを自由にぶち込んだ、夢の空間を産み出そうとしている証拠ともいえるだろう。

ホールデンにせよペキンパーにせよ、70年代初頭のハリウッドには新しい流れに乗り切れない人々が数多くいた。彼らや、スターになりたい者たちの夢の残滓がそこら中に日常的風景として存在する……そんな不思議な場所を舞台としたのは、PTAの出世作である、ハリウッドのはずれでポルノ映画に夢を描けた人々に目を向けた『ブギーナイツ』(1998年)と同じ視点とも言える。

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作中に唐突に現れては強烈で不思議な印象を残して退場していく登場人物たちに困惑し「???」となる観客もいるかもしれないが、そこには彼らに対しての、過ぎていった時代、絶滅した希少動物を懐かしみ愛でるようなPTAの視点が存在しているのだ。

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『リコリス・ピザ』誕生秘話と驚きのキャスティング

『リコリス・ピザ』を形作るもう1つの要素が私小説的要素だ。芸能人の群像劇だけなら、今までも業界事件などを織り込んだ映画は存在しただろう。PTAはここに、さらに自分の個人的なエピソードや体験を大量投入している。よりドキュメンタリー、ホーム・ムービー的な作品といってもいい。

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そもそもこの映画の物語は20年前、PTAが近所の学校の近くを通りかかった際、中学生くらいの子供が女性スタッフを大人のように口説いているのを目撃して、これがもしデートに発展したらどうなるか、と考えたのがきっかけだ。彼はこの物語を暖め続け、ほかの作品が息詰まるとこの作品の脚本を少しずつ書いていた。

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主演2人はフィリップ・シーモア・ホフマンの息子&姉妹バンド・HAIMの末っ子

そして主演の2人は、両者ともこれが映画デビュー作である。クーパー・ホフマンは夭逝したPTAの盟友、フィリップ・シーモア・ホフマンの息子である。公私ともに密接な関係だった両家、クーパーのことは赤ん坊の頃からプライベートフィルムでも撮影しているほどの付き合いだった。

クーパーはPTAに誘われるまで役者になるつもりはなかったそうだが、父の面影を宿しつつ、夢見がちながらもどこか確信的な不敵さも持ち、少年らしい心の揺れも演じられる、堂々たる役者デビューぶりで今後が楽しみすぎる。彼の母親ミミ・オドネルも選挙のインタビュアーとして顔を出している。

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そしてアラナ・ハイムだ。彼女は3人の姉妹からなるバンド、HAIMのメンバーで末っ子。PTAはバンドのミュージックビデオを数多く監督している。彼女の演技も初主演とは思えぬ堂に入ったもので、閉塞した町から逃れようと抗う姿は現代女性も共感するところがあるだろう。ハイム一家は全員(バンドメンバーの姉2人も)この映画に出演している。

PTAはハイム家とも浅からぬ関係にあった。彼が子供の頃、姉妹の母であるドナ・ハイムが小学校の美術の先生だった。映画の着想はドナ先生ともめたエピソードからも得たそうだ。さらに、ハイム姉妹はクーパーのベビーシッターをしていたことがある、と主役同士も知り合いの関係なのだ。

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友人や家族が多数出演! 物語の背景にもPTA人脈

さらにこの映画、背景にいる人々のほとんどがPTAの役者の友人や家族で占められている。謎の日本人妻が登場するのだが、若い女にだけ妙に厳しいなどの不思議なキャラ造形も、PTAの義理の母であるキミコ・ルドルフ(笠井紀美子)がベース。キミコ自身もレストランのシーンに夫のリチャードと孫たちに共に出ている。作中で重要な舞台となるレストラン<Tail o the Cock>は1987年までサンフェルナンドに存在し、PTAも通っていた。かようにPTAの実際の人生と作品との関係性も濃厚なのである。

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また、ベニー・サフディが演じるジョエル議員は、実在の議員がモデルである。彼の選挙用テレビCMを撮影していたのは、後に『羊たちの沈黙』(1991年)等で有名となるジョナサン・デミであった。デミは子供のころからPTAのあこがれの存在で、映画監督になってからも師匠で友人だった。『ファントム・スレッド』(2017年)を亡くなったデミに捧げたPTA、ここにも師とその時代への愛情がある。ちなみにデミの孫も、最初の学校のシーンに登場させている。

当時の雰囲気を出すためか、PTAはこの映画の色調調整は自分自身で行った。それだけでなく、この映画は全編フィルム撮影され、70年代の空気感を出そうとしている。本作への並々ならぬ思い入れは、映画完成後も自分の幼少期からのお気に入りの映画館<リージェンシー・ヴィレッジ・シアター>だけで全国公開に先行して『リコリス・ピザ』を上映していたあたりからも伺うことができる。

PTA作品の集大成! 放課後課外活動感あふれる青春描写

PTAの過去作品との関係性も随所に感じることができる。『ハードエイト』(1996年)、『ブギーナイツ』と同じ街を舞台とした物語、不器用な恋愛は『パンチドランク・ラブ』(2002年)、突発的に起こる災厄的な事象は『マグノリア』(1999年)。ハリウッド特有の坂道を使った、今までにみたことのないサスペンス溢れるカーチェイスシーンは、PTA作品特有の後半にぶち込まれる怒濤のアクション(アラナは本当にトラックを運転しているので緊迫感はいや増す)……。さながら現代を舞台としたPTA作品の集大成的な感が強い。

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もちろん『アメリカン・グラフィティ』(1973年)などの名作青春映画から影響を受けているシーンも多々存在する。しかし、単に孫引き的な引用で美化した過去を描くのではなく、現代から見た70年代の問題点、グロテスクさもきちんと描いている。作中、印象的かつ象徴的にに用いられるデヴィッド・ボウイの「Life on Mars?」の歌詞のように、閉塞感のある残酷な世界から抜け出したい、とアラナが奇妙な世界の中で苦闘するさまは現代人の心にも迫るはずだ。

さらにあまたの青春映画と違う点は、ありがちな大人になりかけの青年が主人公の物語ではなく、少年からの目線から描かれているのがポイントだ。あくまで子供の視点で、年上の女性に憧れ、ヤキモキし……。また、一攫千金を狙ってウォーターベッド販売に乗り出しても地域の子供フェス(学園祭とコミケが合体したようなもの)に持って行ったり、ピンボールマシンのゲーセンを作ったり……あくまで少年視点で、よりユースカルチャーとの関係性に着目している。この辺、すぐドラッグや性的な結びつきが主眼となる他作品とは一線を画している。この放課後課外活動感は、ウェス・アンダーソンの『天才マックスの世界』(1998年)にも通底する、他にはあまりないテイストだ。

本国版のキーアートワークにはピンボールマシンが採用されていて、宣伝用に実際の機械も製作された。2人の主人公がピンボールの球のようにあっちゃこっちゃ弾き飛ばされ、予測もつかないところにいったりする。PTAの不器用な恋愛を描いた『パンチドランク・ラブ』的に言うと「ピンボール・ラブ」的な作品である。

「むかしむかし、ハリウッド郊外で……」

最近は、過去を振り返る映画、自分たちの青春や子供時代をプレイバックし、その時代に起こった事件などを平行して描く作品がトレンドだ。ジョナ・ヒルの『mid90s ミッドナインティーズ』(2018年)やケネス・ブラナーの『ベルファスト』(2021)など。それらはリアルな幼少期の追憶に満ちたものもあれば、タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2018年)のような銀幕のスターたちが闊歩する、自分の夢の世界を再現するものもある。これらの過去追憶系映画群は大まかに2タイプに分けられるが、『リコリス・ピザ』は、その両方の要素を持っている作品だと言える。まさにPTA版『ワンアポ』、言ってみれば「むかしむかし、ハリウッド郊外で……」と言える作品である。

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タランティーノのハリウッドという「資産」への想いと、それを消去した者への憎悪『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

さらに言えば本作は、当時を知らない我々を1973年の夏に導いてくれるタイムマシン的な装置であるともいえる。映画途中で訪れる、この当時全世界を襲った一種の「世界の終わり」の中で展開される、まるで時が止まったかのような瞬間……。大林宣彦作品でも『ゾンビ』(1979年)でも、各々思いつく作品があるだろう。この夢のような「永遠の夏休み感」は、映画作品の中に稀に産まれることのある、言わば奇跡のような時間である。

行ったこともない世界とそこでの出来事を追体験させられ、まるで自らの想い出のように心に残る……。映画の持つ効能を久し振りに堪能できる、『リコリス・ピザ』はそんな1本だ。

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文:多田遠志

『リコリス・ピザ』は2022年7月1日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開

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