不遇の時代を乗り越え、97歳まで描き続けた熊谷守一の人生に片桐仁も脱帽!

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週金曜日 21:25~)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。4月8日(土)の放送では、「豊島区立 熊谷守一美術館」に伺い、熊谷守一の半生に迫りました。

◆模索の日々を送る不遇の実力者

今回の舞台は、東京都・豊島区千早にある豊島区立 熊谷守一美術館。ここは画家・熊谷守一の住居兼アトリエでしたが、次女で彫刻家の熊谷榧によって美術館に。そんな豊島区立熊谷守一美術館を案内するのは、熊谷守一の魅力を現代に伝える学芸員の高崎真樹さんです。

守一は1880(明治13)年に岐阜県の裕福な家庭に生まれ、東京美術学校の西洋画専科を首席で卒業。将来を嘱望されるも絵は売れず、画風を模索しながら長らく極貧生活を送り、97歳まで絵を描き続けました。

片桐はまず、守一が37歳の頃の作品「風」(1917年)を鑑賞。「写実的で、背景の虹がいいですね」と感想を述べつつ、「完璧なデッサン。絵がキッチリしていますよね」とその技術の高さに注目します。

30代までは持ち前の技術を活かし、写実的な作風だった守一ですが、40代になると一変。「風」から10年後に描かれた「人物」(1927年)を前に、片桐からは「だいぶ変わりましたね」と驚きの声が。

荒々しい筆致で何色も色が重ね合わせられた分厚い作品からは、光の見え方を模索していたことがわかります。また、晩年の作品に多く見られる"輪郭線”を強調する表現も垣間見え、変化の途上にあることも。画風を変えていく守一ですが、一向に絵は売れず。当時は友人の紹介で絵の講師をしながら、自らのスタイルを模索し続けました。

50代になるとさらなる変化が生じます。布のキャンパスではなく、板の上に描かれた「松原湖」(1938年)は、洋画作品に多く見られた立体的な表現は希薄になり、むしろあえてそうした描き方から離れた感が。片桐は「だんだん自分の画風ができてくる感じですね」とその変化を実感します。

◆西洋画家・熊谷守一を変えた日本画との出会い

西洋画・油絵というフィールドで試行錯誤を重ねていた守一ですが、50代後半に大きな転機が。同館の2階には、それが窺える作品が多数展示されています。

「(1階とは)全然違いますね」と驚嘆する片桐の眼前にあったのは日本画と書。当時、守一の生活苦を見かねた友人の作曲家・チェロ奏者の信時潔や洋画家・山下新太郎などが収入のために手早く描ける水墨画を勧め、販路を開拓。多くの仲間が守一を支援していたそう。

そのひとつ「蟻」(1960年)は、守一がモチーフとして好んでいた蟻を芽吹いたばかりの双葉の力強さとともに描いていますが、これまでの西洋画との違いに片桐は「全然別の人の絵みたいですね!」とビックリ。

守一にとって墨絵や書は伸び伸びと描くことができたそうで、それは油絵にも影響を与え、さらなる変化を促します。また、作品のモチーフも豊島区に居を移して以降、庭で自然を観察しながら身近なものを描くようになると同時に、仏様を描くことも。それが「文殊菩薩」「観世音菩薩」(ともに制作年不詳)で、その出来栄えに片桐は「ちょっと日本人離れしていますよね。この色で文殊菩薩を描く日本人はいない」と唸ります。

観世音菩薩の表情も非常にやさしいタッチで描かれており、片桐は「この口と鼻と目が。漫画みたいですもんね」と述べつつ、「この線の力強さとリズム感みたいなものがいいですね~。これは描けない。(普通は)ここで終わらせられない、文殊菩薩だぜ(笑)」と思わず笑みがこぼれます。

◆97歳、死ぬまで描き続けた熊谷守一

日本画と出会い、より自由に作品を描くようになった守一はその後、油絵に回帰。84歳のときの作品「曼珠沙華」(1964年)を見た片桐は「こうなりましたか!」と膝を打ち、「日本画からの影響を思い切り受けていますね」と目を見張ります。

「曼珠沙華」は赤い輪郭線が特徴的。それは守一が当時、赤鉛筆などで下書きをし、そこを塗りつぶすような形で周りに油絵を塗っていくような描き方をしていたからで、70代半ばあたりからはこうした作品が散見。それらはフォービズムの作家であるマティスなどと比較されることも多く、守一の場合、その背景に見られるのはやはり日本画であり、こうした色彩、線と面でできたシンプルな構成は「守一様式」と呼ばれ、ここから一気に作品数を増やしていきました。

そして、次なる作品は守一の代表作のひとつ「白猫」(1959年)。大の猫好きだったという守一。それは自宅に猫のための通り道を作るほどで、白猫以外にも三毛猫や黒猫などさまざまな種類の猫を飼い、多くの作品を残しています。

「守一様式」を確立した後も、守一は精力的に活動。片桐が「構図的には日本画っぽい」と評していた「桜」(1964年)は、守一84歳の作品ですが、これは同年パリで開催された個展に出品。その際、画廊主が購入したものの、豊島区立 熊谷守一美術館10周年にその画廊主から譲り受けたとか。

その後、96歳でクロアゲハとフシグロセンノウを描いた「アゲ羽蝶」(1976年)を完成させます。これは97歳で亡くなった守一の油絵としての絶筆となりますが、「最後の油絵でもエネルギッシュですね」と思わず息を呑む片桐。

このフシグロセンノウのオレンジはとても発色の強い色となっていますが、これは印刷で表現することが難しく、ポストカードと見比べると一目瞭然。片桐は「本当だ! 緑を含めてこれは再現できないんですね。油絵は実物を見ないとわからないですからね」と感慨深そうに語ります。

さらに、画中のクロアゲハをよく見ると、前羽と後羽の色合いは若干異なり、前羽には艶感が。これは実際のクロアゲハも同じだそうで、守一は晩年になってもモチーフの特徴をよく捉えていることが明らかで「こだわりを感じますよね……」と片桐も感服。

今回、守一の作品を年代ごとに鑑賞した片桐は「激動の人生と言っても過言ではないですよね」と彼の生涯の印象を語り、「画家として苦悩を重ね、家族や周囲に支えられ58歳でブレイクって、すごい人生ですよね」と脱帽。さらには「エネルギーがすごくて。だから画風が変わったり、画材だったり、日本画だったり、書になったりしても、絵に対する姿勢、真剣さみたいなものが、最後まで変わらなかったのがすごいなと思いました」と感嘆。

そして、「97年の人生、苦悩を超え、作風を次々と変えながらも自分のスタイルを貫いた熊谷守一、素晴らしい!」と称賛し、生涯をかけ常に模索し続けた芸術家に拍手を贈っていました。

◆今日のアンコールは、「夕暮れ」

豊島区立熊谷守一美術館の展示作品のなかで、今回のストーリーに入らなかったものから、学芸員の高崎さんがぜひ見てもらいたい作品を紹介する「今日のアンコール」。今回選ばれたのは「夕暮れ」(1970年)です。

守一が太陽をモチーフにした作品は多数あり、それらは「太陽シリーズ」と言われています。今作に関して、片桐は「夕暮れ!? バームクーヘンのよう」と若干のとまどいが。ただ、太陽を描いた作品は、守一に近い人間もあまり理解できなかったとか。

しかし、本作は守一自身が"自画像”だと言い、アトリエに亡くなるまで展示されていたそうで「ご本人にしかわからない世界はありますよね。これも懐の深い作品。ぜひ実際に来て、見てもらいたいですね」と片桐。

最後は誰でも利用できるミュージアムショップ兼カフェへ。店内には守一作品の絵ハガキがズラリ。

片桐は「やっぱり守一さんの絵は、絵ハガキ映えがすごい。この色面が、相性がいいんですね」と感心しつつ、意外と人気だという「文殊菩薩」の絵ハガキを購入。

そして、「これは女子人気高いでしょうね」と話していたのは、猫が描かれたポーチ。「どうしようかな猫ポーチ、最近、買いすぎなんだよな……」と購入を迷う片桐でした。

※開館状況は、豊島区立 熊谷守一美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:堀潤モーニングFLAG
放送日時:毎週月~金曜 7:00~8:00 「エムキャス」でも同時配信
キャスター:堀潤(ジャーナリスト)、田中陽南(TOKYO MX)
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/morning_flag/
番組Twitter:@morning_flag

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