近年「ユナイテッド移籍を断った」9名のスター選手

アレックス・ファーガソン監督の下で世界を席巻したマンチェスター・ユナイテッド。当時は「このクラブの誘いを断る者はいない」というほどの存在だった。

しかしながら、ファーガソン監督が勇退してからは成績が低迷。プレミアリーグの覇権も失ってしまい、なかなか補強もうまく進んでいない。

今回は『Planet Football』から「ファーガソン監督が退任した後、マンチェスター・ユナイテッドの誘いを断った9名のスター選手」をご紹介する。

ギャレス・ベイル

2013年にギャレス・ベイルがトッテナムを離れることになったとき、彼が加入したのはレアル・マドリーであった。

しかしながら、当時マンチェスター・ユナイテッドの監督を務めていたデイヴィッド・モイーズ氏は彼の獲得を熱望し、クラブもそれに応えて「レアル・マドリー以上の額の移籍金、ウェールズの先輩ライアン・ギグスとともにプレーできる」というメリットで説得しようとしたとか。

ただそれも十分ではなく、ベイルはスペイン行きを決断した。モイーズ氏は後に「彼を連れてくるため練習場にヘリコプターを用意する用意もあった」と話していたほどだ。

サディオ・マネ

セネガルのスターFWは、2016年にサウサンプトンからリヴァプールに移籍して大きな成功を収めた。ただ、彼がもしマンチェスター・ユナイテッドに加入していたら状況は大きく変わっていただろう。

マネは2019年に「ユナイテッドがオファーをくれていたが、その後でクロップ監督が電話をくれた。そして『こちらのほうが正しいクラブだと思うよ』と言ってくれたんだ」と話している。

「たくさんのクラブを見たが、クロップは僕にとって適切な指導者だったし、リヴァプールに移籍する適切な時期だった」とマネは振り返っている。

ディミトリ・パイェット

プレミアリーグを電光石火の勢いで席巻し、電光石火の勢いで去っていったパイェット。ウェストハム・ユナイテッドでのプレーはまさにキングと言えるものだったが、強行に移籍を希望してマルセイユに戻っていった。

マンチェスター・ユナイテッドは彼が移籍の要求を出していたとき、すぐに獲得の打診を行っていた。ジョゼ・モウリーニョ監督が引き入れを熱望していたからだ。

ただパイェットは「マンチェスター・ユナイテッドなどが誘ってくれたが、僕は個人的かつ家族的な選択をしてマルセイユに戻ることを決めた。それは最高の決断だった」と後に語っている。

セスク・ファブレガス

アーセナルで若くしてキャプテンを務めた稀代のプレーメーカーは、少年時代の夢を追ってバルセロナへと復帰していった。しかし、彼はイニエスタやチャビ・エルナンデスらの牙城を崩せずにいた。

そこでマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を検討していたとされており、かなり深く結びつきがあったという。ただ最終的にセスクはバルセロナであと1年チャンスを待ちたいと、デイヴィッド・モイーズ監督の誘いを断って残留を決断したとのこと。

ただ、結局セスクは後にチェルシーへと移籍し、プレミアリーグを2回優勝するという成功を手にしている。

ジュード・ベリンガム

イギリスの「10代のスター」ベリンガムは、2020年にバーミンガム・シティからボルシア・ドルトムントへと移籍し、ブンデスリーガで大ブレイクを果たした。

18歳だった彼はその時マンチェスター・ユナイテッドの練習場であるキャリントンにも訪れていたのだが、すでにそのときにはドルトムントからの誘いを前向きに考えていたそうだ。

ベリンガムは後に「ご存知のようにユナイテッドは素晴らしいチームを持っているが、僕はドルトムントからの関心に集中していて、満足していた。だからそれが最初の選択になった。最高のものを見つけたら、他の全てを無視するものだよ」と語っている。

エンゴロ・カンテ

2016年にレスター・シティでプレミアリーグのタイトルを獲得した直後、彼はチェルシーへと移籍していった。ただその時、ジョゼ・モウリーニョのマンチェスター・ユナイテッドも彼を獲得したがっていた。

ポグバ、イブラヒモヴィッチ、ムヒタリャンを加えたチームに、さらに守備の要を加えることによって強力なスカッドを形成しようとしていたが…カンテはユナイテッドの誘いを断った。

「モウリーニョに電話をいただくのは素晴らしいことだったよ。なぜユナイテッドに行くべきなのかという議論に耳を傾けた。ただ僕はすでにレスターに残るかチェルシーに行くかという点で躊躇していたんだ」とカンテは振り返っていた。

アルバロ・モラタ

2017年に5500万ポンドもの移籍金でチェルシーへと加入することになったスペイン代表FWアルバロ・モラタ。その時マンチェスター・ユナイテッドは「ルカクにするか、モラタにするか」を迷っていたという。

最終的にユナイテッドはオファーを送っていたとのことだが、モラタはその誘いを断ってチェルシーへの移籍を決断。ロンドンでの生活を行うことになった。

ただ結局チェルシーでのモラタも、マンチェスター・ユナイテッドでのルカクも、そして改めて後にチェルシーに戻ったルカクもうまくいかなかった。

ペドロ

バルセロナの下部組織で育成され、トップチームでも長くウインガーとして活躍を見せたペドロ。2017年に新しい挑戦を志し、2200万ポンドでチェルシーへと移籍することになった。

ペドロは「マンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティなど他のクラブからもオファーがあった。彼らはもっとも興味を示してくれたクラブだった」と記者会見で明かしていた。

そして、「チェルシーはバルセロナのようにタイトル争いをしているクラブなのでとても嬉しい。モウリーニョの下で働くために行ったわけではなく、ロンドンという街が僕を魅了したし、チェルシーには友だちもいる」と加入の理由を語っていた。

アーリング・ハーランド

オーストリアのレッドブル・ザルツブルクで大ブレイクを果たしたハーリング・ハーランド。2020年1月にブンデスリーガのボルシア・ドルトムントへと移籍し、スターへの階段を登っていった。

ノルウェーの先輩であるオレ・グンナー・スールシャール監督は、当時マンチェスター・ユナイテッドの指揮官としてハーランドを説得しようとしていた。しかしハーランド自身が2020年にこう語っていた。

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「ここで心地よかったからドルトムントを選んだ。大きなクラブだし、好きなクラブだ。その様子が好きだから笑顔になる。だからだよ」とのこと。そして今季は青いユニフォームを着てマンチェスター・ユナイテッドと対峙することに。

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