<書評>『琉精物語』 沖縄の精神医療従事者描く

 「この病院の職員はみんなこの病院が好きなんじゃないかな。ぼくにはそう見えるよ。みんな生き生きしている」。この感慨は本土から「琉精病院」に派遣された医師の言葉だ。琉精病院とは「琉球精神病院」のことだ。ここに至る草創期の沖縄の精神医療に携わった人々の奮闘ぶりを描いたのが本書だ。

 沖縄戦が終わった1945年、宜野座村に米軍キャンプができる。戦争で心身に傷を負った人々の収容所である。ここに精神不安定な人々を収容する20床のテントがあった。これが「宜野座病院精神科」だ。やがて精神科は金武浜田に移転され「沖縄精神病院」となり、52年には琉球政府立「琉球精神病院」となる。戦後の数年間は沖縄で精神科医療を受けられる唯一の施設となる。

 医療器具やスタッフも十分でない環境で、多くの人々の努力により、65年にはもう一つの政府立病院「清和病院」が設立される。私立の精神病院を加えると6病院659床にまで充実する。この経緯を医師、看護師、家族会の3者にスポットを当てて詳細に描いている。

 中でも看護師の知念ハナが作品展開の重要な役割を果たす。ハナは従軍看護師であったが、戦争で父と長兄夫婦と赤ん坊、さらに妹2人を喪(うしな)っている。傷心のハナが未来へ希望を失わずに奮闘する様子が作品の中心となる。著者田仲一枝はハナの娘であることが明かされているが登場人物への気配りが温かい。

 本書の特徴は自由に往還する作品の妙味と具体的な事例を検証して物語を展開したことにあるだろう。それ故に沖縄戦後史の貴重な証言にもなっている。

 著者は小説と冠しているが安易に想像力に凭(もた)れない。自明とされる小説の枠組みを揺らす新しい文学のスタイルをも顕示した作品と言えるかもしれない。

 読後には登場人物の努力にウチナーンチュとしての誇らしさも感じる。文学の営為は時代の変遷に置き去りにされた無名の人々の行為を浮かび上がらせることにあるのではないか。こんな役割をも示唆してくれる好著だ。

 (大城貞俊・作家)
 たなか・かずえ 1949年那覇市生まれ、金武村(当時)育ち。琉球大卒業後、県内高校で国語教師を務めた。

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