愛媛県西予市の山あいにある野村保育所は、2018年7月の西日本豪雨で園舎が水没し、全壊した。園児は無事だったが、新しい園舎が再建されるまでの2年余り、間借りの児童館、仮設園舎と転々として過ごした。被災当時の所長、宇都宮恵子(うつのみや・けいこ)さん(62)は「あの時は何もかも流されてなくなったように思えた。でも一番大事な子どもの命が残ったから、ここまで来れた」と保育所が再建されるまでの長い道のりを振り返った。(共同通信=坂野一郎)
▽天井まで水が押し寄せた
18年7月7日早朝、降り続いた豪雨により貯水量が急激に増えた保育所近くの野村ダムが緊急放流し、1級河川の肱川(ひじかわ)が氾らん。川の脇にあった園舎は天井まで水が押し寄せ、全壊した。園児と保護者は無事だったが、自宅を失った家庭もあった。保育所のある野村町地区では5人が犠牲になった。
宇都宮さんら保育士も避難所の運営など災害対応に追われていたが、被災から3日後には保護者から「保育の再開はいつになりそうか」と問い合わせが入った。必死の思いで場所を探し、保育所は児童館が入る町内の施設を間借りできることになった。10日後に園児120人の保育を再開したものの、いろんなものがなくなったことに気付いた。落ち着いてお絵かきをしようと思っても「画用紙流されました」、騒いでるからお遊戯をしようと思っても「CD流されました」。園舎にあったおもちゃは水につかって泥まみれになり、すべて廃棄になっていた。
園児は「流されたもんね」とか「壊れたもん!」と笑っていた。手狭な環境に加えしてあげたいことをしてあげられず心配だったが、園児は別の学年だった子と遊んだり、小さな子と添い寝してあげたりと元気に振る舞ってくれた。「子どもの心のケアや、園舎の再建を考えると現実的にはこれからどうしようという気持ちも大人たちにあったが、子どもに支えられ頑張れた」
▽仮設で過ごした時間
2018年12月、町の高台にある運動公園にプレハブの仮設園舎が完成し、間借りしていた児童館から引っ越した。児童館にはなかった園庭と遊具が戻り、子どもたちは大喜びだった。
「走れるー!」と叫びながら年長の男の子が走り回ると、保育士もうれしくて一緒になって走った。すると小さい子たちもみんなの後を追ってわぁっと走り出した。
仮設に移って半年がたった頃、記者は野村保育所を訪れていた。「見て見て、ブランコこんなに高くこげる!」「将来ね、プリキュアになりたいの」。園庭で遊び回る子どもたちが駆け寄ってきた。
保育所のすぐ隣には豪雨で自宅を失った人々が暮らす仮設住宅がある。住民の男性がにこにこと子どもたちの様子を眺めていた。この子たちには本当に元気をもらってるよ、と男性は言っていた。
仮設住宅の間を園児たちがお散歩したり、そこで住民の人たちに声をかけてもらったり。仮設の園舎も住宅も元の暮らしに比べれば手狭だったが、大人も子どももみんなで一緒に過ごした「仮設の時間」があった。
▽壊れた園舎の前で子どもたちは…
保育の維持に奔走し、少しずつ日常を取り戻していく中で所長の宇都宮さんは、壊れた園舎をいつか子どもたちに見せたいとずっと考えていた。「ぐしゃぐしゃのままやけど、形はまだある。知らん間にないなっとる、ではなくて、その場所にちゃんとあったんだって忘れてほしくなかった」
周囲には「ショックを与えるのでは」「わざわざ見せなくてもよいのでは」と反対意見もあり、宇都宮さんは悩んだ。だが子どもにも区切りを付ける機会があった方がいいと考え、解体されてなくなってしまう前に、壊れた園舎と園児のお別れ会を開くことに決めた。
「さよならしに行こうなー」。解体が始まる直前の19年2月、宇都宮さんは園児を連れ、旧園舎を訪れた。壁がはがれ、室内も泥だらけ。天井まで迫った水の跡が残ったままだった。年長さんくらいの園児はここが元の園舎だと分かっていて、あそこには砂場とブランコがあった、あそこは先生たちがおった部屋だ、と指さした。そしてしばらくすると、普段楽しそうに過ごしていた子どもたちも、悔しさがこみ上げてきたようだった。
「せっかく僕が育てた野菜が流れてしもうとる、くそー!」「雨のばかー!」
壊れた園舎を前にして、子どもたちは思い思いのことを口にした。ひとしきり思いをはき出したら、川の音が聞こえる旧園舎の前で、子どもたちに伝えた。「川は楽しいこともあるけど、あの時みたいに怖い川になることもあるけん」「一回一回の避難訓練を大事にしようね」。そして最後に、みんなで大きく口を開けて、声を張り上げて園舎に言った。「保育所さん、ありがとうー」
「大雨が降って、川があふれて、みんなで避難して。園舎が壊れて、児童館に移って、仮設で過ごした。そういう、みんなで過ごした時間があったことを忘れてほしくなかった。子どもも我慢して頑張ったし、大人も子どもを守るために頑張った。見せるかどうかはすごく悩んだんですが、今は何が起きたか分からなくても、いつか大きくなって整理ができて、防災や命について考える材料になるかもしれない」
▽今も風景の中に
今年6月、旧園舎跡は砂利の空き地になっていた。「あの時見せてよかったと思います。子どもも大人もみんなで頑張った時間をいつかふと思い出すきっかけになるといいな」。宇都宮さんは言う。
仮設園舎跡は雑草が生えた広場だった。再建や引っ越しで、仮設住宅からもすべての住民が去ったという。ここが廊下で、ここが職員室で、ここがブランコで、と宇都宮さんは静かになった広場で次々と指さす。
残っているものもあった。隣の野球場からボールが保育所に入らないように設置した防球ネット、おじいちゃんおばあちゃんたちが腰かけて子どもたちを眺めていた木のベンチ。ただの広場に見えても、歩き回るとみんなで過ごした跡が見つかった。
「子どもたちのおかげで大人たちは頑張れた。本当に感謝しかないです」。真新しい園舎で、宇都宮さんは豪雨の後の日々をあらためて振り返る。再建された園舎では今、100人の園児たちが過ごしている。雨が上がった園庭に目をやると、午睡から目覚めた子どもたちが鉄棒でくるくる回って遊んでいた。