長崎・伊王島、架橋11年 炭鉱から観光へ転換 人口減止まらず リゾートと住民の共存を模索

伊王島灯台を展望する観光客=長崎市伊王島町1丁目、岬カフェ

 「しまルポ」のコーナーですが、今回は「元離島」のお話。2011年3月、長崎市の伊王島と本土が橋でつながって11年。かつての炭鉱の島は観光の島へと姿を変えた。人の往来が増えた半面、人口減少に歯止めはかからず、今年4月時点でピーク時の10分の1以下に。「島」はこれからどこへ向かうのか。伊王島のこれまでと、これからを追った。
 5月下旬の週末。伊王島町2丁目の沖之島漁港で開かれた朝市には、大勢の人が詰めかけ、駐車場は車で埋まった。多くは伊王島大橋を渡ってやって来た本土の人たちだ。「目当ての品が売り切れていた」。島内に住む広瀬さつきさん(90)はがっかりしながらも、元気に駆け回る子どもたちを優しく見守った。
 ■閉山機に半減
 もともと炭鉱で栄えた伊王島。1941年の開山以降、人口が急増し62年に1788世帯、7416人とピークに。ただ72年の閉山を境に急減。同年3月の6490人が翌月には3155人に半減した。
 炭鉱から観光へとかじを切ったのが89年。県と町(当時)、松早グループなどによる第三セクターが運営する「ルネサンス長崎・伊王島」が華々しくオープンしたが、長引く不況で2002年1月に閉鎖。翌03年7月、町が施設を買い取り、ホテルや温泉を展開する「長崎温泉やすらぎ伊王島」に衣替えした。
 町は、カトープレジャーグループ(KPG)の子会社に運営委託していたが、05年の市町合併で所有権は長崎市に移り、17年、市は施設をKPGに移譲した。18年に「アイランドナガサキ」に名称変更し、リニューアルオープン。20年、スパテーマパーク「長崎温泉アークランドスパ」を開設し、現在に至る。

多くの来場者でにぎわう朝市=長崎市伊王島町2丁目

 ■恩恵は救急車
 島の観光にとって、伊王島大橋開通の効果は絶大だった。KPG担当者によると開通前の10年、14万4千人だった施設利用者は、翌年20万人超と大幅に増加。コロナ禍でも年間20万人以上が訪れ、今年は6月時点で昨年の2倍のペースで推移しているという。
 好調な観光とは裏腹に、人口は今年4月時点で654人。伊王島地区連合自治会の髙田正男会長は「地元住民は高齢化が進み、若者が増える見込みもない」とため息をつく。ただ、本土と橋でつながった「恩恵」は小さくない。住民の多くが口をそろえるのが「いつでも救急車が来てくれること」。
 架橋前、急患が出ると、救急船で搬送していたが、運航は天候次第。島で目にすることがなかった救急車やタクシーは今では島の風景の一つとなった。一方、夜間に訪れた車のエンジン音に悩まされるとの声も。地元で土産店を営む女性(61)は「観光客あっての商売」とあきらめ顔だ。
 ■地元サービス
 KPGは近年、社会貢献活動として住民に寄り添ったサービスにも力を入れている。具体的には月数回の移動販売や島内カフェの無料開放など。伊王島小に通う児童の誕生日には家族全員を宿泊に招待し、災害時は避難所として施設を開放。他にも月に1回、行政と住民らとの情報交換も進めている。「アイランドナガサキは住民に慕われているように感じる」と市伊王島地域センターの荒木豊文所長。リゾート施設と地元住民が共存し、今後どうやって地域を盛り上げていくか。模索が続く。


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