アトランタ・ポップ・フェスティヴァルを振り返る:失われたアメリカの夏フェス

© ユニバーサル ミュージック合同会社

1969年の夏は、まさにロック・フェスティヴァルの夏であった。暑い夏の季節の間、アメリカとイギリスを始めその他北半球にある多くの国々のどこかしらで、ほぼ必ずと言っていいほどに週末にはギグが行われていた。

7月最初の週末、ジョージア州ハンプシャーのアトランタ・インターナショナル・レースウェイで行われたアトランタ・ポップ・フェスティヴァルには、真相は定かではないものの14万人もの観客が集まった。会場となったレース場の名前は、そこから20マイル北に位置する都市アトランタから採られている。

非常に熱い最中であったにもかかわらずイベントはトラブルや暴力沙汰に見舞われることもなかったが、初期の野外イベントの多くがそうであったように、まともな食事を手に入れることはほぼ不可能であった。そのため地方紙アトランタ・ジャーナル・コンスティチューションの1面は、「暑さ、ワイン、ドラッグで秩序を保った音楽ファン達」という見出しを掲げた。

マサチューセッツのメドフォードを拠点にするハンリー・サウンドの供給によるPAシステムと、エレクトリック・コラージュ・オブ・アトランタの手になる照明が使用されたが、この2社は1年後に再び同じ役割を果たすことになる。

Grand Funk Railroad in 1969

延べ2日間に渡るこのフェスティヴァルには、ブッカー・T&ザ・MG’s、ザ・デイヴ・ブルーデック・トリオ・ウィズ・ジェリー・マリガン、デラニー&ボニー・アンド・フレンズ、グランド・ファンク・レイルロード、テン・ホイール・ドライヴ、トミー・ジェイムス・アンド・ザ・ションデルズ、シカゴ・トランジット・オーソリティ、そしてレッド・ツェッペリンなどが出演した他、ジョー・コッカー、バターフィールド・ブルース・バンド、キャンド・ヒート、スィートウォーター、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、ジョニー・ウィンター、そして約1ヶ月後に行われることになるウッドストックにも出演したジャニス・ジョプリンなど多数のミュージシャンが参加している。

その翌年、同フェスティヴァルはジョージア州バイロンのミドル・ジョージア・レースウェイに場所を移し、期間を3日間に伸ばして開催された。主催者側はウッドストックに倣って当初はチケットを14ドルで販売したが、同じくウッドストック同様にやがて無料へと変更し、膨大な数の人々が開場時に押し寄せることで危険が増すだろうとプロモーター達を大いに危惧させることになった。

会場の外で「フリー!フリー!フリー!音楽はみんなのもの!」と合唱しながら待つ群衆が、オルタモントと同様に会場警備のために雇われたバイカーズやヘルス・エンジェルズを脅し威圧していた。20万人から60万人と推定される人の群れだ。

開催期間が伸びたことで、出演するバンドの数も増加した。ジョン・セバスチャン、ラヴィ・シャンカール、ジョニー・ウィンター、マウンテン、リッチー・ヘヴンズなど、ウッドストックにも出演を果たしたビッグ・ネームが登場したが、中でも最大級だったのがジミ・ヘンドリックスだ。フェスティヴァルを統括したアレックス・クーリーが彼について語っている。

「4日の0時ちょうど、ジミ・ヘンドリックスが“アメリカ国歌”を演奏する時に向けて全て準備を整えておいたんだ。ステージ上の花火に点火するのに時間の余裕が必要で、彼に演奏が終わる10分前になったら合図をくれるよう言っておいたんだ。でもジミはソロを弾くのに没頭してしまってそのことを忘れてしまってね。彼は花火のことも覚えていなかったと思う。最初の花火が上がった時、彼は10フィートぐらい跳び上がっていたからね!」

ウッドストックに出演したことでアメリカで大人気になっていたテン・イヤーズ・アフターが呼び水となって、モット・ザ・フープル、ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース、ジェスロ・タル、プロコル・ハルム、そしてテリー・リード(レッド・ツェッペリンのリード・シンガーの座を加入寸前に断り、そして余りにも不当な評価を受けている不遇なアーティスト)といった、イギリスのパフォーマー/グループも大挙してやって来ていた。

ご当地お気に入りのオールマン・ブラザーズ・バンドを始め、BB・キングやボブ・シーガー・システム、カクタス、チェンバーズ・ブラザーズ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、スピリット、そしてモータウンが契約を交わした初の白人バンドであるレア・アースといったアメリカ勢も集結した。今やアメリカでビッグ・ネーム級に成長していたグランド・ファンク・レイルロードは再度の登場、素晴らしいネーミングのキャット・マザー・アンド・ザ・オールナイト・ニュースボーイズも参加している。

ちなみに、アトランタ・ポップ・フェスティヴァルの撮影を依頼されていた会社は、同フェスティヴァルの終了から1週間で倒産してしまった。しかしながら同社が撮影した映像は、今もフィラデルフィアのどこかの倉庫に眠っているはずだ。

Written By Richard Havers