独自の進化を遂げた沖縄のバスケットボール、その軌跡を辿る 日本復帰50年、米国統治時代から人気

昨季Bリーグの琉球で活躍した並里(右)=4月23日、沖縄アリーナ(C)B.LEAGUE)

 日本に復帰して半世紀がたった沖縄県では、米国統治時代からバスケットボールが人気だ。公園などで気軽に楽しめる環境があり、ジュニア世代の実績は輝かしい。男子Bリーグでは琉球ゴールデンキングスが屈指の人気と実力を誇り、来年の男子ワールドカップ(W杯)の試合も行われる。独自の進化を遂げ、花開いた沖縄のバスケット文化に迫った。(共同通信=長谷川大輔、桑原雅俊、木村督士)

 ▽米軍基地を通じ「本場」の影響

 「(軍の駐留で)米国の人たちが住んでいた現実がある。そのバスケット文化が沖縄にしみ出してきた歴史がある」。Bリーグ琉球の元取締役で地元財界の一員として支えた白石武博さん(60)は語る。米軍基地を通じ、競技の「本場」の影響を強く受けてきた。
 日本に復帰した1972年頃、既にバスケットは身近なスポーツだった。沖縄県協会の日越延利専務理事(66)によれば「米軍からボールの提供を受けた」。各地の公民館にはガジュマルの木の柱に鉄の廃材をくくりつけるなどした簡易なリングが作られ、そのボールで子どもたちが遊んだ。

那覇市内で取材に応じる沖縄県バスケットボール協会の日越延利専務理事=4月

 体育館など施設の整備は遅れていたが熱意ある指導者も多く、競技は盛んだった。レベル向上に一役買ったのが、高校生や大学生が招待されて基地内の米国人と対戦する試合。地元高校生との「琉米親善」は1954年に全国高校総体に出たコザ高が、嘉手納基地内に招かれたのが始まりとされる。
 復帰前に参加した元沖縄県協会会長の和仁屋松輝さん(78)は「至れり尽くせりだった」と述懐する。当時は珍しかった体育館で、チアリーダーが華やかに踊り、保護者の熱のこもった声援が響いた。食べたことがなかった甘い菓子パンや給水タンクも用意され、送迎は軍用トラックだった。

 日本復帰後も交流が続いた。日越さんは身長190センチを超える相手の守備に「どこにスペースがあるのか」と衝撃を受け、工夫を凝らしてフェイントを磨いた。本州渡航が船の長旅だった時代に貴重な出稽古となった。

 ▽地上波でNBAの試合

 テレビの地上波では基地向けに米国の番組が映る「6チャンネル」があり、地元の人たちは日常的に米プロNBAの放送を見ることができた。子どもたちは世界最高峰の技に興奮し、近所の公園や公民館でプレーを再現しようとボールを手にした。Bリーグ・サンロッカーズ渋谷監督の伊佐勉さん(52)は「ビデオで撮って、すり切れるぐらい見ていた」と語る。特に名ガード、マジック・ジョンソンのノールックパスは何度もまねした。

Bリーグの千葉ジェッツ戦で指示を出すサンロッカーズ渋谷の伊佐監督(中央右)=5月7日、船橋市総合体育館(C)B.LEAGUE

 こうした沖縄独特の土壌から、個人技に優れた選手が数多く育まれた。1970年代からジュニア世代の活躍が目立ち、全国中学校大会の男子では80年のコザ中の初制覇を皮切りに沖縄勢は6度優勝。78年の全国高校総体男子では、平均身長170センチに満たない小兵ぞろいの辺土名高が旋風を起こして3位に入った。

オンライン取材に応じるBリーグ・サンロッカーズ渋谷監督の伊佐勉さん=5月3日

 大柄な選手は少なく、スピードや技術で勝負するのが沖縄のスタイル。地元開催の87年国体少年男子で優勝した沖縄代表の一員だった伊佐さんは「小さな島のチームで、本土のチームに勝ちたいという気持ちは相当あった」と負けじ魂も原動力だったと振り返った。

 ▽Bリーグトップの観客動員数を記録

 新時代をもたらしたのはBリーグの琉球ゴールデンキングスだった。2007年に男子プロのbjリーグ(現在はBリーグに統合)に参入した。15年にホームタウンになった沖縄市はコザ中やコザ高があり、多くの公園にリングが設置されているなど、県内でもバスケ熱が高い土地柄だ。

那覇市中心部の公園でバスケットボールをする男性=4月

 21年にはバスケットで8千人を収容できる沖縄アリーナが誕生。「キングスが持つエンターテインメント性やスポーツの力は、地域活性化の原動力となる」と沖縄市が162億円をかけ整備した。本場米国のアリーナのようなすり鉢状の観客席、天井からつるされた510インチの巨大映像装置も備える最先端の施設だ。
 バスケット好きの県民に支えられ、ゴールデンキングスは昨季Bリーグトップの観客動員数を記録。ガードの岸本隆一(32)、並里成(32)ら地元出身選手を擁し、準優勝に輝いた。岸本が「歴代の先輩方が築き上げてきたものの象徴」と表現するチームは、今や沖縄バスケのシンボルだ。

琉球ゴールデンキングスの本拠地、沖縄アリーナ=4日、沖縄県沖縄市(C)B.LEAGUE

 フィリピンなどと共催する2023年男子ワールドカップ(W杯)では、沖縄アリーナが日本で唯一の会場となる。日越さんは「ここを『聖地』にしたい」と夢を語る。沖縄市の桑江朝千夫市長(66)は「沖縄アリーナを次の世代につないでいくことは、私どもの責任だ」と力を込めた。

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