上田綺世加入のセルクル・ブルッヘ「こんな名選手が所属していた」10人

今夏のマーケットで上田綺世が加入したベルギー1部のセルクル・ブルッヘ。ASモナコが所有しているフィーダークラブとしても知られている。

そんなクラブに所属した「名選手10名」をピックアップして特集してみよう。

ウィリアン・カルヴァーリョ

セルクル・ブルッヘ所属:2012~2013年

ポルトガル代表の名アンカーであるウィリアン・カルヴァーリョ。スポルティングで長くプレーし、現在はリーガのレアル・ベティスに所属している。この2つのクラブの印象が強いが、実は才能を開花させたのがセルクル・ブルッヘだった。

スポルティングのトップに上がったものの出番がなく、2012年1月にセルクル・ブルッヘへローン移籍。ベルギーで1年半を過ごして出場機会を獲得すると、素晴らしいプレーを見せて評価を高め、復帰後に大ブレイクを果たしている。

エイドゥル・グジョンセン

セルクル・ブルッヘ所属:2012~2013年

そして、ウィリアン・カルヴァーリョとほぼ同時期に所属していたのがあのアイスランドの名ストライカーであるエイドゥル・グジョンセン。チェルシーやバルセロナでプレーした万能戦士は、オリンピアコスで腓骨を骨折する大怪我を負ってリハビリを終えたあと、セルクル・ブルッヘに加入した。

所属したのはわずか3ヶ月であったが、13試合で6ゴールと見事な成績を残し、そのまま同地域のライバルであるクルブ・ブルッヘへと移籍していった。

トーマス・ブッフェル

セルクル・ブルッヘ所属:2008~2009

小野伸二がフェイエノールトに所属していたときに活躍していたベルギー代表FW。オランダで多くのゴールを決めて評価を高めたものの、グラスゴー・レンジャースで膝の致命的な怪我に苦しめられたあと、復活を期して加入したのが、ユース時代を過ごしたセルクル・ブルッヘだった。

体調をなんとか取り戻した彼は2009年夏にトレードで名門ヘンクへと移籍。見事にキャリアを復活させ、38歳まで現役でプレーし続けた。昨季はセルクル・ブルッヘのアシスタントコーチを務めつつ、ベルギーU-21代表も指導していた。

ドリネル・ムンテアヌ

セルクル・ブルッヘ所属:1993~1995

ルーマニア代表で134試合に出場した名選手のドリネル・ムンテアヌ。ドイツのケルンやヴォルフスブルクでのプレーがよく知られているが、その前に所属していたのがセルクル・ブルッヘだった。

ディナモ・ブカレストで才能を開花させた彼が初めて国外に挑戦。セルクル・ブルッヘで2シーズンを過ごして13ゴールを決め、ドイツへとステップアップしていった。引退後は指導者となり、現在はオツェルル・ガラツィの監督を務めている。

ウワ・エチェジレ

セルクル・ブルッヘ所属:2018

ナイジェリア代表の左サイドバックとして2010年、2018年のワールドカップに出場したウワ・エチェジレ。ポルトガルリーグのブラガに所属していたころは「エルダーソン」という名前でも知られていた。

セルクル・ブルッヘの親会社でもあるモナコからのローンで2018年に加入。ただわずか2試合しか出場せず、モナコへと復帰後にフィンランドのHJKへと移籍している。

ディディエ・シクス

セルクル・ブルッヘ所属:1980年

世界のビッグネームであるフランス代表52試合出場の名ウインガー。「才能は素晴らしいものの一貫性がない」というロマンある選手だった。1978年、1982年とワールドカップ2大会でプレーし、1984年にはEURO制覇に貢献している。

RCランスとマルセイユで活躍した後、1980年にセルクル・ブルッヘへと加入。12試合で7ゴールと素晴らしい結果を残し、その後は国内外の様々なクラブでプレーするジャーニーマンとなった。引退後は監督として主にアフリカで活動している。

モアテン・オルセン

セルクル・ブルッヘ所属:1972~1976

デンマーク代表チームを15年間にわたって指揮していたことで知られている名監督。もちろん選手としても有名で、現役時代は欧州でも有数のセンターバックとして活躍し、代表チームでもキャプテンを務めていた。

ただ、彼がセルクル・ブルッヘに所属したのはキャリアの初期。デンマークはまだプロリーグではなかったため、若くしてベルギーへと移籍。ゴールキーパー以外のポジションをすべてこなすユーティリティプレーヤーとして活躍し、飛躍のきっかけを作った。

ベスニク・ハシ

セルクル・ブルッヘ所属:2007~2008

アルバニア代表の名選手として知られるベスニク・ハシ。センターバックや守備的MFとしてヘンクやアンデルレヒトで長く活躍した経験を持ち、ベルギーリーグのレジェンドである。

彼がセルクル・ブルッヘに所属したのは引退前の1シーズンのみだが、レギュラーとして31試合に出場した。引退後はすぐにアンデルレヒトでアシスタントコーチに就任している。

カルシャ・ブワルヤ

セルクル・ブルッヘ所属:1985~1988

現在ザンビアのサッカー協会で会長を務めている名ストライカー。同国最高のレジェンドといえる存在であり、サッカー界を揺るがした飛行機事故を逃れた「生き残り」として特別な人物である。

代表の主将として戦っていた1993年、ザンビアの選手たちを乗せた飛行機がガボン沖で墜落。乗員乗客全員が死亡するという悲劇となったが、偶然ブワルヤは別行動を取っていたために難を逃れた。

チャーリー・ムソンダ

セルクル・ブルッヘ所属:1986~1987

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そして、カルシャ・ブワルヤと同じザンビアの悲劇を逃れたムソンダもセルクル・ブルッヘから羽ばたいた選手の一人だ。彼は膝の怪我のために帯同することができず、偶然墜落した飛行機に乗っていなかった。

セルクルからアンデルレヒトへとステップアップしたあと4度のリーグ優勝を経験するなど活躍したものの、膝の怪我のために20代後半になるとほとんどプレーできなくなり、29歳で現役引退した。息子はチェルシーでプロになったあのチャーリー・ムソンダ。

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