グラスゴーのロック少年はいかに真のロックスターになったのか? 『ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid』の日本語版が7月17日刊行!

ジーザス&メリー・チェイン、プライマル・スクリームの活動で知られるボビー・ギレスピーの自伝の日本語版『ボビー・ギレスピー自伝 Tenement Kid』が7月17日にイースト・プレスより発売される。 パンクへの目覚め、ジーザス&メリー・チェイン加入、プライマル・スクリーム結成、アンドリュー・ウェザオールとの出会い、歴史的名盤『スクリーマデリカ』誕生──プライマル・スクリームのフロントマンがセックス、ドラッグ、ロックンロールのすべてを語り尽くす一冊だ。

「ギレスピーはロックンロールのオリバー・ツイスト。パンク・ロックのお伽話は剃刀のように鋭く、階級闘争と音楽とスタイルに切り込む。そしてここには世界最高のバンドのひとつが導きだした、他にはない世界観がある。読むのをやめられなかった」──コートニー・ラヴ

「ロックンロールのスピリットをひとりの人間に閉じ込めたら、ボビー・ギレスピーになるだろう。この本はロックする人生だけでなく、それを形成した労働者階級文化の美しさを肯定している。私は読みながら喜びの涙がこみあげ、同時に我々が失ってしまったものに大きな怒りを感じた」──アーヴィン・ウェルシュ(小説家、『トレインスポッティング』原作者)

【ストーリー】

1961年の夏、ボビー・ギレスピーはグラスゴー・スプリングバーンの労働者階級の一家に生まれる。16歳で退学し、印刷工の見習いとして働きだした彼は、フィル・ライノットから稲妻のようにロックンロールの啓示を受ける。運命は、セックス・ピストルズとパンク・ロックの登場で決定された。それは階級制度に反抗する、聖像破壊のヴィジョンだった。そしてボビーはついにアーティストとなり、ジーザス&メリー・チェイン、さらにはプライマル・スクリームを始動する。 90年代へ移ると、ボビーの旅はさらに加速する。サマー・オブ・ラブ、ボーイズ・オウンのパーティ、アンドリュー・ウェザオールとの運命的な出会い。新たなエレクトロニック・ソウル・ミュージックがイギリスの意識を動かし、「90年代を始めた」と言われるアルバム『スクリーマデリカ』をリリースする。それは世紀末ブリティッシュ・ポップの未来を過激に作り変えた、ロックンロールの使徒の喜びと驚きに溢れた一枚だった。

【著者プロフィール】

ボビー・ギレスピー Robert “Bobby” Gillespie

1961年6月22日生まれ、スコットランド、グラスゴーのスプリングバーン出身。シンガー、ソングライター、プライマル・スクリームの創設メンバー。1982年、ジム・ビーティとともにプライマル・スクリームを結成。アンドリュー・イネスとロバート・ヤングが加入後、1987 年にデビュー・アルバム『ソニック・フラワー・グルーヴ』をリリース。1989年に『プライマル・スクリーム』、1991年には歴史的名盤『スクリーマデリカ』を発表。その後、『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』(94年)、『バニシング・ポイント』(97年)、『エクスターミネーター 』(00年)、『イーヴル・ヒート』(02年)、『ライオット・シティ・ブルース』(06年)、『ビューティフル・フューチャー』(08年)、『モア・ライト』(13年)、『カオスモシス』(16年)と、計11枚のアルバムを発表。“ローデッド"、“カム・トゥギャザー"、“ムーヴィン・オン・アップ"、“ロックス"、“カントリー・ガール"、“コワルスキー"などのヒット曲がある。プライマル・スクリーム以前は、オルタード・イメージズ(ドラム)、ザ・ウェイク(ベース)、ジーザス&メリー・チェイン(ドラム)などでも活動。セルティックFCのサポーターでもある。

萩原麻理 Mari Hagihara

1967年兵庫県生まれ。東京外国語大学卒業。主な訳書にジョージ・バーガー『CRASS』(河出書房新社)、ビル・ドラモンド『45——ザKLF伝』、バーナード・サムナー『ニュー・オーダーとジョイ・ディヴィジョン、そしてぼく』(ともにPヴァイン)、ハワード・スーンズ『27クラブ』(作品社)など。

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