<コロンビア写真報告>元左派ゲリラ大統領はなぜ誕生したのか? 武力紛争続く現地を行く

選挙戦最終日に演壇に立つペトロ氏。勝利後のスピーチでは「平和とは、私のような人間が大統領になり、(農村出身でアフリカ系の女性である)フランシアのような人間が副大統領になれることだ」「平和とは、互いに殺し合うことをやめることだ」と国民に語りかけた。(ボゴタ市 2022年5月)

2022年6月19日、南米コロンビア史上初めて、左派候補のグスタボ・ペトロ氏が大統領選で勝利した。2016年に、当時最大の反政府ゲリラ・コロンビア革命軍(FARC)との和平交渉により大統領のマヌエル・サントス氏がノーベル平和賞を受賞してから6年が経つ。国内では期待された「和平」への道筋は挫折し、再び農村が紛争に飲み込まれている。現在最も大きな被害を受ける地域の一つであり、ペトロ氏が圧勝したナリーニョ県を訪ね、選挙結果の背景を追った。(文・写真 柴田大輔

ナリーニョ県の山岳地帯に立てられた左翼ゲリラELNの旗。コロンビアには現在、90以上の違法武装組織が活動するといわれている。(ナリーニョ県2022年6月)

◆「ペトロ氏は最後の希望」 再びゲリラに支配される農村

谷を見下ろす丘の上に、赤と黒に二分された大旗がはためいている。中央には「ELN」の文字。コロンビアに90余あるとされる非合法武装組織の一つで左翼の「民族解放軍」の略称だ。

大統領選挙を間近に控える6月、コロンビア南西部ナリーニョ県リカウルテ市の山岳地帯を訪ねると、集落へ続く道の入り口に立てられていたのがこの旗だった。住民によると、今年に入りELNが立てたもので、彼らは住民にこう話したという。

「この国を変えていくため我々の活動に協力してほしい。今後、住民以外の人の出入りは我々に報告すること。軍、警察での勤務経験がある住民はここで暮らすことはできない。出て行くこと」

山岳地帯の学校で教鞭を取り23年目を迎えるヘンリーさんは「これ以上子どもたちが犠牲になってほしくない」と強く願っている。(ナリーニョ県2022年6月)

政府とつながる人物や、その危険のある人物が地域から排除されることとなったのだ。彼らの意に反すれば殺害されることもあるという。街で出会ったある女性は「私の孫は元警察官。私たちはもうこの村で暮らすことはできなくなった」と声を落とす。外国人ジャーナリストである私の到着は、彼らの協力者を通じて事前にELNへ報告されていたが、ゲリラ部隊は地域外に移動しており接触することはなかった。

この状況に、地元の学校で教鞭を取るヘンリ・レベロさんが憤る。

「まるで昔に戻ったようです。結局、この土地で『和平』なんて言葉だけだったことがよくわかりますよね?」

山間に展開する政府軍に、ゲリラと同一視されることを住民は恐れてきた。(ナリーニョ県2014年6月)

◆ゲリラから議員、市長に転じたペトロ候補

大統領選挙が翌週に迫っていた。第一回投票で、左派のグスタボ・ペトロ氏がトップで決選投票に臨もうとしていた。彼は元左翼ゲリラであり、武装解除後、国会議員を経て首都ボゴタ市長を務めた政治家だ。

これまでコロンビアで左派が政権を担ったことは一度もなかった。19世紀の独立以来、社会を支配してきた層がその後も国の政治・経済を握ってきたことで、大土地所有制など植民地時代からの社会格差が引き継がれ、社会の末端に置かれた市民の政治参加は阻害されてきた。こうした社会構造が反政府ゲリラの興隆を招くという、現在に至る紛争の要因の一つとなってきた。

麓の町で暮らす女性は孫が警察官だったことから山を降りざるを得なくなった。これまでも日常的に耳にした銃声が頭に焼き付き夜眠れず、頭痛や指先の腫れなど、数年前から崩れた体調が回復しないと話す。(ナリーニョ県2022年6月)

「ペトロは私たちにとって最後の希望です。これまでの政府は戦争を終わらせることは一度もできなかった。それどころか彼らは私たちをゲリラと同一視し、『敵』と見做して銃弾を打ち込んだ。もしペトロが負ければ、またここで多くの人が死に、土地を追われることになる」。ヘンリさんは危機感を募らせていた。

山の斜面に広がるコカ畑。コカインの原料として栽培地が広がっている。(コロンビア・ナリーニョ県2022年6月)

◆若者たちが殺し合う「もう、戦争はたくさんだ」

一時、国土の3分の1を実効支配したとされる左翼ゲリラFARCと政府が和平に合意したのが2016年。それまでリカウルテ市一帯は、1990年代後半からFARCの支配下にあった。2000年代に入り近隣で麻薬生産が活発化すると、それを資金源とする右派民兵組織が支配地を拡大しFARCと激しく対立した。政府軍、民兵組織、左翼ゲリラ間の戦闘で多くの住民が犠牲になった。

2006年、最初の危機的状況となった当時をヘンリさんが振り返る。

「あの日、政府軍が山に攻め込んでくると伝わってきました。住民は家を出て、食糧を持ち寄り学校に集まりました。FARCゲリラがこう叫んでいました。『地雷を撒く。山を出たい人は今のうちに出ていくこと』。翌日、政府軍が学校に押しかけました。彼らは私たちに銃を向け言い放ちました。『お前たちはゲリラだ。ここから出ることはできない』。

3つの武装組織の間に置かれる麓の町では昨年から殺人事件が増えており、夜7時を過ぎると人影がなくなっていた。以前は遅くまで音楽が鳴り、酒を提供する店が空いていた。(ナリーニョ県2022年6月)

その夜、山に激しい銃声が響きました。早朝、私たちは山を降りたい人を募り、暗いうちに学校を出ました。100人あまりがはぐれないよう固まり、一列になって山を降りました。私は先頭に立ち、白いシーツを棒の先に括り付け掲げました。1日かけ街につくと、赤十字がスープを炊いて待っていてくれました。あの味は忘れられません」

決選投票でのペトロ氏勝利の知らせ聞き、支持者たちが街にでて歓声をあげた。(コロンビア・ボゴタ市2022年6月)

「その後、戦争はさらに激化しました」と言うと、学生が写る写真を見せながら亡くなった若者たちを指差した。地雷を踏んだ女性、ゲリラに殺害された兄弟。「これだけじゃない。多くの若者がゲリラに入り、政府軍、民兵組織にも入っていった。教え子たちがこの山で殺し合ったんです。こんな経験は2度としたくない。もう、たくさんです」

2016年。4年に及んだ政府とFARCが和平合意に至ったことで、FARCは武装解除に応じ、政府軍も山を降りた。90年代後半以来、初めて日常から武器が消えた瞬間だった。

副大統領に就任するフランシア・マルケス氏は、資源開発や紛争によって生活が脅かされる地域で暮らしてきた。農村の現状を理解する人物として期待が寄せられている。(コロンビア・ボゴタ市2022年5月)

しかし、平和は長く続かなかった。今、一帯は別の左翼ゲリラや麻薬組織など、複数の武装組織が割拠する。山にはELN、麓には旧FARCをルーツとする再武装組織や、「マリワーノ」という麻薬を資金源とする組織が勢力を争っているという。2月には、支配地をめぐりELNと旧FARCが激しく交戦した。数十キロ離れた沿岸部では、国内有数のコカ栽培地であることから、他の武装組織が少なくとも3つ存在するとされている。

2018年、政府とFARCの和平合意後に大統領に就任した右派イバン・ドゥケ氏執政下の4年間で、最重要課題の一つであった治安問題が全く解決されなかったどころか、かつてFARCが活動した土地を政府が全く統治することが出来なかったことが明らかになった。

決選投票の結果を色分けした地図。紫色がペトロ氏、黄色がエルナンド氏が勝利した地域。紛争が続くコロンビア国内の周縁地域でペトロ氏が支持を得たことがわかる(2022年6月20日 EL PAIS紙HPより)

◆紛争地域で圧勝したペトロ氏

6月19日、大統領選決選投票の日、投票が締め切られて1時間後の17時、ペトロ氏の当選確実が報道された。雨が降るボゴタ市中心部では、濡れながら路地に溢れる支持者の歓声と、通りを走る車やバイクから喜びを表すクラクションが夜空に響き渡った。

全国の自治体ごとの投票結果を色分けした地図がある。コロンビアは、地図上の中心部分に、国の政治経済を支配する主要都市が集まっている。この地図からは、主要都市から離れた周縁地域の自治体で、ペトロ氏の優勢が強かったことがわかる。もう一つ、国連人道問題調整事務所(OCHA)が作成した2022年1月から4月にかけてコロンビア国内で発生した武力紛争による国内避難民が発生した地域を色付けした地図がある。約2万3500人が、この4ヶ月の間に避難民化した。この二つの地図を重ねると、地理的に周辺に位置する地域で危機的状況が続き、そこでペトロ氏が勝利したことがわかる。

2021年に武力紛争による国内避難民が発生した地域が青で塗られており、ペトロ氏が票を得た地域と重なることがわかる。全国で発生した約2万3500人の国内避難民の内、ナリーニョ県では最も多い9800人余りが避難民となっている。(2022年3月17日 国連人道問題調整事務所(OCHA)より)

コロンビアの山奥で聞いた「戦争はもうたくさんだ」と語る人々のように、コロンビアの広い地域に平和への期待を裏切られた人々が今も明日の命の危機を感じながら暮らしている。こうした人々の思いが、ペトロ氏を後押ししている。

<プロフィール>
柴田大輔(しばた だいすけ) 1980年茨城県出身。2006年よりニカラグアなど、ラテンアメリカの取材をはじめる。コロンビアにおける紛争、麻薬、和平プロセスを継続取材。国内では茨城を拠点に、土地と人の関係、障害福祉等をテーマに取材している。

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