<社説>安倍元首相銃撃・死亡 言論封殺 断じて許さない

 自民党の安倍晋三元首相が、選挙応援演説中に銃撃され亡くなった。参院選挙最終盤に、元首相の命を奪うという前代未聞の蛮行である。民主主義の根幹である選挙において暴力で言論を封殺することは、民主主義の破壊であり、断じて許すことはできない。

 さまざまな意見があってこそ民主主義は成り立つ。意見や立場、利害の違いがあっても、議論を尽くすことが求められる。批判する自由は守られなければならない。暴力を許さず民主主義、言論表現の自由を守り抜くこと、そして暴力には決して屈しないことを、改めて決意する。繰り返される暴力

 政治家に対する暴力は歴史的に繰り返されてきた。戦前には、海軍将校らに犬養毅首相らが暗殺された1932年の五・一五事件などテロの嵐が吹き荒れた時代がある。この事件などによってテロが肯定され、戦前の日本の政党政治は終わりを迎えたといわれる。

 戦後も、60年に演説中の浅沼稲次郎社会党委員長が右翼の17歳少年に刺殺された。90年には長崎市長だった本島等氏が右翼団体の男に銃撃され、全治1カ月の重傷を負った。88年に市議会で「(昭和)天皇の戦争責任はあると思います」と発言したことに対し、右翼らから激しい抗議を受けた。発言撤回を拒否し続けた結果起きた事件だった。

 2006年には加藤紘一自民党元幹事長の山形県の実家と事務所が、右翼団体の男に放火される事件があった。当時の小泉純一郎首相の靖国神社参拝を批判したことへの反発が理由だった。加藤氏は「言論テロには決して屈しない」とひるまなかった。

 選挙中に政治家が襲われ命を奪われた例として、07年の長崎市長選のさなかに4期目を目指した伊藤一長市長が暴力団幹部の男に銃殺された事件がある。不当な要求を拒否した市の対応を恨んでの犯行だった。

 一方、県内では1967年3月、沖縄教職員会の政経部長だった福地曠昭さんが、右翼に刺され重傷を負った。当時、教職員会は教職員の政治活動を禁止する教公二法の成立に組織を挙げて反対していた。福地さんは運動の中心人物だった。その後、福地さんをはじめ教職員会は暴力に屈することなく、復帰運動をリードしてきた。

脅かされる自由

 暴力で言論を封じる凶行は、政治家だけでなく出版社や新聞社にも向けられてきた。

 1961年には、雑誌に掲載された小説が不敬だとして右翼少年が出版社社長宅を襲い、2人が死傷した「風流無譚」事件が起きた。87年の憲法記念日5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃された事件では、散弾銃によって記者が1人死亡、1人が重傷を負った。

 事件後、報道機関に送り付けられた犯行声明は「赤報隊」を名乗り「反日分子には極刑あるのみ」などと記されていた。名古屋本社の社員寮や東京本社への銃撃、静岡支局の爆破未遂も相次いで発覚したが、2003年までに全て公訴時効が成立した。

 海外でも暴力による言論弾圧は後を絶たない。国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」によると、昨年12月時点で少なくとも43カ国・地域で357人のジャーナリストが投獄されている。殺害された記者は昨年だけで39人に上る。

 言論や表現の自由はかつてないほど脅かされている。しかし、五・一五事件、二・二六事件を経て議会政治が骨抜きになり、言論活動が萎縮し、暴力と恐怖が支配した時代に後戻りしてはならない。

 今回の事件の動機はまだ未解明だ。政治家を狙うことはもとより、街頭での銃撃は民主主義そのものに向けられたと言っても過言ではない。言論、表現の自由は最大限尊重されるべきである。いかなる理由にせよ、暴力で自分の意思を押し通そうということを断じて認めることはできない。安倍氏の冥福をお祈りする。

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