<南風>英語塾事始め

 私が英語塾を開くようになったのはあることがきっかけだった。1977年当時、中堅企業の経営者だった私は総合商社との年間契約を結ぶため上京した。契約締結後に、その商社の常務から誘われて銀座のレストランへ同行した。その席に2人の男性が合流した。名刺を交わした。一人は当時の文部省官僚、もう一人は日本の高等教育視察のため来日中のミシガン大学教授だった。和やかな雰囲気の中で、その教授が日本復帰後5年目の沖縄の状況をいろいろと質問してきた。私は英語で丁寧に説明した。

 すると文部省の人が「実は先月、沖縄の教育視察に行きました。沖縄は戦後27年間、アメリカの統治下にあったので県民の英語力は極めて高いだろうと思っていましたが実情は逆でした。英検2級・3級の合格率は全国最下位レベルで、1級は数年に1人しか合格者は出ていないですね。沖縄の英語力を上げるには澤田さんのように高度のバイリンガルが教えないといけないと思います」と力説された。同席の教授も常務も「同感です」と言った。

 帰宅後、妻に東京での話をすると、妻は「前々から米留帰りの私たち夫婦に英語塾を開いてほしいとの要請を地元の人たちから受けているので考えても良いじゃないの」と言った。

 熟慮した結果、グローバル時代の英語立県を目指す沖縄にとって有意義な教育事業だと確信し会社経営を続けながら妻の協力も得て英語塾を開くことにした。

 1978年1月、西原町立坂田小学校向かいに「英検専門校澤田英語学院」第1号の坂田校を開校した。「高度に使える英語人材の育成」がモットーである。2000年からは企業経営を退き英語教育に専念することにした。第1号の開校以来、今年で44年。これまでに英検合格者延べ2万人余を輩出している。

(澤田清、澤田英語学院会長 国連英検特A級)

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