「安倍晋三元首相は、わずかな笑みを残したまま崩れ落ちた」 共同通信の取材記者が記録した、事件発生からの2日間

奈良市の近鉄大和西大寺駅前で街頭演説する自民党の安倍元首相。この直後に銃撃された=8日午前11時半ごろ

 「被害者は、安倍晋三元内閣総理大臣。殺人事件に切り替え、全容の解明に努める所存であります」。7月8日午後、奈良県警が記者会見で発表した内容は、分かっていても衝撃的だった。歴代最長政権を築いた元首相が、1人の男が放った銃弾で命を落とした。享年67歳。誰も予期しなかった突然の死は、国内外に大きな衝撃を与えた。
 「総理!頑張れ!」「晋ちゃん、晋ちゃん!」火薬のような臭いの中で飛び交う怒号、血だまりで続いた懸命の心臓マッサージ、恐怖や悲しみに震える人々。民主主義を揺るがす大事件はどのように発生し、誰が何を語ったのか。あふれる情報の中で改めて事実を整理するべく、取材記者たちの記録で振り返った。(共同通信取材班)

 ▽血だまりの中、必死の心臓マッサージ

 8日午前11時半。例年にない猛暑が続いた参院選の最終盤で、安倍氏は奈良選挙区の応援演説に入った。にこやかな顔で元首相が登場すると、集まった数百人の聴衆が沸いた。マイクを握り、軽妙な語り口で話を始めた数分後、一人の男が安倍氏の背後に向かって歩き出す。ポロシャツに茶系のズボン、白いマスクを着けた山上徹也容疑者(41)が、黒い物体を体の前に掲げた瞬間、ごう音が全ての音をかき消した。

奈良市で街頭演説中に男に銃撃され、路上に倒れた自民党の安倍元首相(中央)=8日午前11時32分

 「ドーン!…ドーン!」。間隔を空けて、大きな音が2度響き渡った。現場にいた記者が状況を理解したのはその数秒後。聴衆の視線を受けとめるように、表情にわずかな笑みを残したまま、安倍氏はその場に崩れ落ちた。「きゃー」。一斉に上がる悲鳴。周囲には火薬のにおいが立ち込めていた。
 「医療関係者はいませんか!」。陣営スタッフが何度も声を張り上げた。現場近くでクリニックを営む中岡伸悟医師(64)は、患者の家族が上げた大声で事件の発生を知ったという。「安倍晋三さんが撃たれた!」。驚いて駆け付けると、あおむけで倒れた安倍氏のシャツは血で赤く染まっていた。周囲からは「銃で撃たれた」という声が聞こえた。かなり出血しているのは間違いない。内臓や大動脈が損傷している可能性もある。「設備の整った病院に搬送しないといけない」。瞬時にそう判断した。

自民党の安倍元首相が街頭演説中に男に銃撃され、騒然とする現場付近=8日午前11時41分、奈良市

 救急車が来るまでに、できることは何かないか。持参した自動体外式除細動器(AED)を使ったが、電気ショックは起きなかった。けいれん状態の心臓を正常に動かすための装置で、完全に心停止した場合は作動しない。看護師や選挙スタッフが交代しながら心臓マッサージを繰り返した。背中側には血だまりができていた。どれくらいの時間がかかったかは覚えていないが、中岡医師にはかなり長く感じられた。実際に救急車が到着したのは約5分後。身動き一つしない体に「総理頑張れ。総理頑張れ」という言葉が飛ぶ。多くの人の祈るような声に見送られ、安倍氏は奈良県立医大病院(奈良県橿原市)へと運ばれていった。
 一方、銃撃を図った山上容疑者は近くのバスターミナル付近で体を地面に押し付けられたまま、捜査員と淡々と言葉を交わしていた。空を見つめるうつろな目からは、怒りや興奮といった感情は読み取れなかった。

安倍元首相が搬送された奈良県橿原市の県立医大病院=8日午後1時53分

 ▽「晋ちゃん!」繰り返し名前を呼んだ

 安倍氏が病院に到着したのは午後0時半ごろ。治療に当たった奈良県立医大病院の福島英賢医師によると、安倍氏は搬送時から心肺停止状態だった。首のやや右側には銃創が2カ所あり、心臓の心室には銃弾によるとみられる大きな穴が開いていた。病院は胸部の止血や大量の輸血を行ったが「大量出血で既に血液も凝固する力を失っていた」。

 「深刻な状況だ。一命をとりとめることを心から祈る」。午後2時45分ごろ、官邸で記者団の取材に応じた岸田文雄首相は、言葉を選びながら、神妙な面持ちでこう語った。
 厳しい容体だという情報が出回る中、午後5時前に安倍氏の妻、昭恵さんが病院に到着する。搬送から既に4時間半が経過していた。

安倍元首相が搬送された奈良県橿原市の県立医大病院に到着した昭恵夫人=8日午後

 「晋ちゃん、晋ちゃん!」。自民党関係者によると、昭恵さんは安倍氏の枕元で何度も繰り返し名前を呼んだ。福島医師らは昭恵さんに病状と経過を説明した。一度、停止した心臓が再び動き出すことはなかった。最終的に昭恵さんは「蘇生は難しい」と判断し、35年連れ添った伴侶の最期をみとった。死亡時刻は午後5時3分。昭恵さんの到着からわずか数分後だった。

 ▽守れなかった命、「警察人生最大の悔恨」

 その約1時間後、奈良県警が開いた記者会見によって、事件の詳細が徐々に浮かび上がってくる。銃撃に使われた凶器は長さ約40センチ、高さ約20センチの手製の銃だった。

山上徹也容疑者の自宅に、家宅捜索に向かう捜査員ら=8日午後5時13分、奈良市

 自宅からは、手製とみられる銃がさらに数丁見つかった。安倍氏の遊説日程について、山上容疑者はホームページなどで把握していたと供述しているという。
 捜査関係者の話によると、凶器の銃は金属製の筒2本を粘着テープで束ねた構造。弾丸はカプセルのような小さな容器に入れ、それぞれの筒から発射させる散弾銃に似た造りだった可能性がある。山上容疑者が「母親が宗教団体にのめり込み、恨みがあった。その団体と安倍元首相がつながっていると思ったから狙った」という説明をしていることも分かった。事件前日の夜には、安倍氏が演説していた岡山市民会館を訪れた趣旨の供述をしていることも判明。計画性の有無や動機の解明が焦点になりつつある。
 県警は総力を挙げて捜査を進める一方、事件を防ぐことができなかった警備体制の問題点については多くを語らない。
 翌日になって記者会見した県警トップの鬼塚友章本部長は「27年余りの警察官人生で最大の悔恨、痛恨の極み」と絞り出すように話した。山上容疑者が安倍氏の背後数メートルのところまで近づけたこと、1発目の発砲音が鳴るまで不審な動きに気が付いていなかったことなど、警察への批判も出ている。鬼塚氏は「極めて深刻かつ重大な事案。警護警備に問題があったことは否定できない」とした上で、「前日に急に(安倍氏の遊説日程が)入った。計画書に目を通し、承認したのは当日午前中だった」と明らかにした。修正は指示せず、原案通りに警備することになったという。

奈良県警本部で記者会見する鬼塚友章本部長=9日午後6時31分

 会見で鬼塚氏が、時に目に涙を浮かべて天を仰いだり、肩で息をしたりする場面もあった。「事案の全容究明が急務。捜査を指揮するとともに警護の問題を早急に洗い出すのが私の責任だ。捜査を尽くすことが、安倍元内閣総理大臣に対する最大の弔いになる」と述べ、自身の進退については言及しなかった。

 ▽支持者でなくとも…

 「安倍1強」と呼ばれる圧倒的な権力体制を確立し、通算で9年近くにわたって政権を率いた安倍氏。その影響力の大きさゆえに、森友学園や「桜を見る会」の疑惑では官僚の忖度を招き、強引な手法には批判も多かった。市民の評価は分かれるが、事件現場の献花台には、政治信条の違いを乗り越え、安倍氏を悼む人たちが集まる。

安倍元首相が銃撃された事件現場近くの献花台で手を合わせる人たち=9日午前11時43分、奈良市

 事件翌日の9日は、朝から途切れることなく人が訪れた。日差しが照りつけたかと思えば、一転、土砂降りになるような不安定な天候でも、時に500人近い人が並び、献花台は手向けられた花束や飲み物であふれた。

 母親と献花した京都市の高校2年の女子生徒は「私の中で、首相といえば安倍さんだった。長い間お疲れさまでしたと伝えたくて来ました」。大阪府泉大津市の男性(71)は「いろいろ批判もあったが、安倍さんが好きだった。本当に無念だ」と涙を拭った。奈良県生駒市の女性(71)は「安倍さんの支持者ではないが、撃たれて亡くなるのはやっぱり違うと思う。まだ若く、したいことがあったでしょうに」と故人をしのんだ。

安倍元首相が銃撃された現場付近に設置された献花台に飾られた写真=9日午後5時27分、奈良市

© 一般社団法人共同通信社