傷ついた中年ヒーローの優しい成長譚 『ソー:ラブ&サンダー』茶一郎レビュー

はじめに

お疲れ様です。茶一郎です。今週の新作は当然『ソー:ラブ&サンダー』。マーベル・シネマティック・ユニバース=MCU最新作にして、次回監督作は「スター・ウォーズ」新作、前作でシリーズを良い意味で無茶苦茶にしたタイカ・ワイティティ監督が再び「マイティ・ソー」シリーズを手掛けます。「ソー」というキャラクターの美味しい調理法は完璧にモノにしています。前作『ソー:ラグナログ』で確立したコメディマシマシ。前作に増してより混沌とした神々の遊びが繰り広げられる一方、心の傷に気付けなくなった男が心の鎧を脱ぎ捨てる壮大な宇宙セラ ピー。私は冒頭で泣いてしましました。一体、どんな作品なのか?という事で、今週の新作は『ソー:ラブ&サンダー』(以下、『ラブ&サンダー』)でお願い致します。

あらすじ

まずはあらすじというよりシリーズの基本設定ですね。MCUの世界では北欧神話の神々が宇宙人だ と。アスガルドという惑星に住んでいるという設定になっています。本作で4作目となる「マイ ティ・ソー」シリーズの主人公は、その北欧神話の雷の神様=ソア、ソーです。本作では「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のメンバーと共に救難活動をしながら自分探しの旅をしているという所から始まります。そんなソーの前に、神様殺しを企む悪役ゴアが現れる。またソー、元恋人ジェーンと再会を果たすという…『ソー:ラブ&サンダー』です。

ソーの物語4作目 - 主人公の心の傷

作品全体の感想より先に本作、MCUの単独作品では最長のシリーズ4作目となる作品ですから、観客がソーというキャラクターをどれくらい好きかというのが、大きな評価軸になるのは当たり前です。「ソー最近、どうよ?」と。どう変化して本作に至っているか。そういう意味で、リアルタイムで全作品見ている私としては、まず冒頭からソーの現状に心抉られるというか、落涙しましたね。とにかく現在のソーの状況、精神状況というのが冒頭で語られるんですが、これが切ないですね。感情が麻痺して自らの心の傷に向き合う事を避けている。愛を失う事を恐れて他人を愛する事すら避けていると、ひたすらに瞑想をして、一緒に宇宙で救難活動をしているガーディアンズのメンバーに呼ばれた時だけ戦闘に参加して、戦いで心を癒している。癒しているというか麻痺させているようにすら見えたんですが、そんな現状が語られる訳ですね。「え、こんな事になっちゃっているの?」という。

シリーズをご存じない方に、映画ではこれまでのソーの心の傷の原因、喪失が紹介されます。ソーは今までの作品を通じて、友人、仲間、弟との死別、またかつての恋人ジェーンとの別れ。故郷の惑星アスガルドの崩壊。ソーはMCU史上最も多くの喪失、心に傷を負ったキャラクターと言ってもいい。そんなソーは、『エンドゲーム』の後、ガーディアンズのメンバーと仲良くヒーロー活動しているのかな…と勝手に作品と作品の空白を埋めてたんですが、そうでもないというか。仲間を失う事を恐れて、どこかガーディアンズのメンバーにも深入りしないような距離感を保っているというのもつらかったですね。自分から主体的に戦闘に参加するのではなく、呼ばれたら行く、でもそのお呼びの声を瞑想して待ち続けている。ガーディアンズのメンバー同士の「絆」を羨ましいと言う。かなり深刻な主人公ソーの精神状態が提示されている冒頭に驚きました。先ほども言いましたが、「こんな事になってるの?ヤバくない?」という感じでしたね。

またこの現状とソーの今までの喪失の歴史を、タイカ・ワイティティ監督演じるソーのバディである岩宇宙人コーグというキャラクターがコメディ的に語る。同時にソーは、前作で確立した演じるクリス・ヘムズワースのコメディ演技で見せますので、一見、悲惨そうには見えない・・・けど!みたいな。異化効果じゃないですが、コメディでソーの心の傷の原因が処理されている分、余計、ソーの精神状態の厳しさが際立っている印象もありました。監督パンフレットのインタビューで素晴らしい表現をしていて「ソーは心の中を整理する過程で今までの悲劇を『宇宙規模のジョークでしかないと捉えている』。凄い表現ですね、悲劇をまさしくコーグの語りのようにジョークとして心の中で処理していると。一見、コメディなんですけど、「ソー大丈夫か?」という精神状態。武器で、筋肉で、鎧で心の傷を隠している男が真に自分を見つめ直すと、そういう物語が『ラブ&サンダー』でございました。

MCUの「フェーズ4」と呼ばれる作品群のテーマは「セラピー」だと。対話によって登場人物たちが心の傷を癒していく過程ばかりを描いているというのは、何回も言ってきました。これは前のフェーズ、フェーズ3の『インフィニティ・ウォー』で、宇宙規模の大きな災害的な悲劇が起こって、その結果、多くのキャラクターが心に傷を負うことになってしまった。その悲劇後だからこそ、その悲劇で負ってしまった心の傷を癒す物語がフェーズ4を占めることになったと。奇跡的なタイミングだったのは、まさしくこのフェーズ4のタイミングで全世界的にコロナ禍になってしまったということですね、現実と作品内の出来事が偶然にもリンクしたということも、このフェーズ4の「セラピー」の物語の語る意義を強めていると思います。

実際、フェーズ4の一作品である『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』という作品では撮影がコロナでストップしている間に製作陣がコロナ禍の要素を作品に反映したという、意図的にリンクさせていている所もあります。そんなフェーズ4。悲劇の後、どう人は心の傷と向き合うのか?という物語ばかり。本作『ラブ&サンダー』も例から漏れていないでしょう。「ヒーローとはありのままの自分を受け入れる事」とは『エンドゲーム』でソーの母親がソーに言ったセリフですが、まさしくありのままの自分、心の傷と向き合う宇宙セラピー『ラブ&サンダー』。まずソーの現状に感情移入しすぎて泣いたというお話ですね。

作品全体のテイスト - パワーアップする

こうまとめるとシリアスな映画に見えなくもないですが、めちゃめちゃコメディです。さすが、タイカ・ワイティティ。前作で好評だったコメディ要素をよりパワーアップして再現している。前作で好評だった劇中演劇。茶番劇もしっかりパワーアップしています。前作で言う、グランドマスター的奇怪な集団のボスも出てきます。ほとんど前作と同じ物語構造ですね。前作の発明で得た貯金をやや切り崩す形ですが、本作でもまだちょっと味が残っているガム。まだ噛めるぜと。前作同様コメディSFアドベンチャーとしてシリーズ4作目を作っていました。

一応、シリーズご存知ない方にご説明しておくと、元々『マイティ・ソー』の段階から、宇宙人が地球に来るという、神々の文化と地球人の文化との違い、カルチャーギャップコメディ的な要素がある1作目だったんです。が、それでもしっかりとした硬いヒーロー誕生譚だった。しかし本作の監督タイカ・ワイティティがメガホンを取った前作『マイティ・ソー バトルロイヤル』は、今までのシリーズ、マイティ・ソーというヒーロー像を解体する無茶苦茶な作品だった訳ですね。タイカ・ワイティティがマーベル上層部にプレゼンした際に提示した作品は、ジョン・カーペンター監督の『ゴーストハンターズ』という作品だったと。『ゴーストハンターズ』という作品は、今までアメリカンヒーローを演じてきたカート・ラッセル演じる主人公がほとんど役に立たないと。一方でサイドキック、ヒーローをサポートするはずの相棒の少年の方が活躍するという、ヒーローとサイドキック=相棒を逆転させた意図的なアンチ・ヒーローコメディ。これをプレゼン段階で出した。実際、出来上がった本編『マイティ・ソー バトルロイヤル』も、ソーのトレードマークとも言えるハンマー=ムジョルニアを冒頭で破壊して、前の作品で培ってきたソーのヒーロー像を徹底的に解体する。ほとんど劇中でソーは捕まっていると、何もできないというコメディに仕上げました。おまけに、元々ご自身がコメディアンでもある監督、俳優たちにアドリブをさせまくった。明らかにストーリーを逸脱する量のアドリブ、ギャグを詰め込んだ作品が『マイティ・ソー バトルロイヤル』でした。で、その路線を引き続き、本作でもやっています。

『ラブ&サンダー』でも、「え、これ本編と関係なくない?」という明らかにアドリブであろう役者さん同士のナンセンスなやり取り、ノリが要所要所で挟み込まされます。今回は前作に増して多かったですね。この演出はどれくらい真剣に話に入り込んで良いのか分からない、観客の好き嫌い分かれるあたりでしょう。元々、MCUはお馴染みのキャラクターがあーだこーだやりあっているアンサンブルというでしょうか、本筋と関係ないキャラ萌えみたいなものこそが魅力的なシリーズでもあるので、ちょっとこの自由な感じ、最近のMCU作品では久々で懐かしさも感じましたね。 ちょっと個人的には「やり過ぎじゃない?」という所もありましたが。『ゴーストバスターズ』から前作『エンドゲーム』で見せたクリス・ヘムズワースのコメディ俳優としての才能を楽しむコメディ映画として、しっかりパッケージされています「ジャンルは何?」と聞かれたらSFアドベンチャーコメディと迷わず答えます『ラブ&サンダー』。『マイティ・ソー バトルロイヤル』ほどのフレッシュさは失われていますが、「大将いつものアレ」なコメディは十分に楽しめる作品になっていると思います。

!!以下は本編ご鑑賞後にお読みください!!

物語のテーマ - 中年の危機

『ソー:ラブ&サンダー』の軸となるソーの自分探しの物語ですが、ここで一つキーワード、テーマとなる「中年の危機」「ミッドライフ・クライシス」ですね。というのもタイ カ・ワイティティ監督、元々、前作から続編を作る予定はなかった所、何か語るべき物語があるかと模索して「中年の危機だ」と。ジェイソン・アーロンのコミック『ソー:ゴッデス・オブ・サンダー』でジェーンがソーのハンマー=ムジョルニアを手にしているビジュアルを見て、「ソーにとっては自分の立場・ポジションが奪われたような心理的危機を感じるはずだ」と、このビジュアルから「中年の危機」のモチーフを見出したという事です。「中年の危機」というのは、中年期に自分の能力の限界を感じたり、また自分より成功している同僚を見て劣等感を感じたり等々、そういった不安障害、第二の思春期と呼ばれるものですが、ここに監督はソーの二回目の物語のテーマをフォーカスしたという事だそうです。

まさに予告でも印象的に使われています「マイティ・ソー」の代名詞、アスガルドの王の象徴とも言えるムジョルニアが、自分ではなく、別の人を選んだ。その様子を見てソーは「俺こそソーに、ムジョルニアにふさわしいんだ」と言わんばかりに鎧、鎧兜を装着する。新アスガルドにおいてもアスガルドの人々はソー以上に、新しいソーであるジェーンに尊敬の眼差しを向けている。どちらかというとソーは建造物を壊しまくる、災害の神として厄介がられているという。自分以上の「ソー」が目の前に現れる。やや自分のポジションを奪う存在ジェーンが、ソーにとっては「元恋人」という設定が乗っかってしまっているので、実は監督が意図している「中年の危機」というテーマが薄れている感覚はありました。中年期の不安というより、ラブストーリーが浮き出てしまっているというのは設定上の欠陥かなとは思います。

ともかくこの「中年の危機」「ミッドライフ・クライシス」は、とても最近多いですね。しかもヒーロー映画で。偶然にもMCUとしては前々作の『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス(MoM)』がそうでしたね。中年のヒーローが主人公で、かつての恋人が自分ではなく他の人と結婚する。自分の人生は「本当に幸せなのか?」「今の世界で満足しているか?」というテーマでした。印象的なセリフとしては自分でしか「メス」を握らなかった男が、愛を受け入れ「メス」を他人に託す事で成長すると。まさに『MoM』におけるセリフの「メス」が今回の「ムジョルニア」「ソーというポジション」と重なってくる訳です。他の作品を挙げたらキリがないですが、スター・ウォーズのドラマ『オビ=ワン・ケノービ』も、あまり上手くは語れていなかったですが、「メス」「ムジョルニア」が『オビ=ワン』では「フォース」もしくは「ライトセーバー」になっていました。ドラマ『ザ・ボーイズ』シーズン3でのホームランダーというキャラクターの物語も類似します。今までチームのリーダーだった彼が別の若い女性のヒーローにポジションを奪われてしまう。偶然にも作品のテーマがリンクしています。

物語のテーマ - 監督過去作から見る本作

今まで王として、闘いのため、勝利のため、復讐のために生きてきた男ソーが、『エンドゲーム』で一旦の復讐を終え、大きな目的を失う。おまけに自分のポジンションを別の人に奪われてしまう、改めて「自分と何か?」を自分の心に問う物語が『ラブ&サンダー』ですね。タイカ・ワイティティ監督の過去作と本作を比較して見ると、より本作の輪郭を明確になります。一番、個人的に思い出したのが監督の長編映画デビュー作の『イーグルvsシャーク』という作品でした。この『イーグルvsシャーク』では復讐のために人生を費やした男がその復讐が、闘いが無意味だったと気付いてしまう、自分の時間だけ止まっていたんだ、そんな絶望の中、男は目の前の女性、愛に、まさに「ラブ」に気付くという、凄く似ています。監督作品は特に、主人公が「強くあれ」「弱さを見せる な」「闘い続けろ」という男性性、そういった男性的な世界に憧れる主人公が、そこではない別のものに価値を見出していくという物語が多いですね。

しかも男性的なものの象徴を毎回、タイカ・ワイティティ監督ご自身が演じているというのが面白いです。これは監督の出世作の『ボーイ』とアカデミー脚色賞を獲得した『ジョジョ・ラビット』です。どちらも子供が主人公の物語で、その子供が男性的な存在に憧れていると、『ボーイ』では監督演じる主人公のお父さん。『ジョジョ・ラビット』では主人公の脳内にいるヒトラー。どちらも主人公に「強くあれ」「闘い続けろ」と言う。しかしそこではない所、やはり愛、ラブの美しさに気付いていく。『ボーイ』の父、『ジョジョ・ラビット』のヒトラーです。

本作『ラブ&サンダー』における主人公が憧れる男性的な存在は、ラッセル・クロウが最高の怪演を見せていますゼウスでしたね。そもそもこのゼウスという神様自体が、ギリシャ神話において浮気しまくりのダメダメ男なんですが、それをラッセル・クロウという役者に演じさせるというこの楽屋オチ感。最近『アオラレ』とか『ナイスガイズ!』とか暴力男ばっかり演じているラッセル・クロウですが、ご自身もプライベートで暴力沙汰を起こしまくっている方ですから、そんな俳優にゼウスを演じさせるという笑えないブラックなキャスティングですね。しかもそれに憧れているソー、そのソーの様子を見て呆れるジェーンとヴァルキリーと。キャスティングと構図がギャグにもなっていました。ソー、お前が憧れるその闘いの世界に本当に価値はあるのか?

本作『ラブ&サンダー』の鏡写りとも言える作品は、タイカ・ワイティティ監督が1話の監督とプロデューサーを務めているドラマ『海賊になった貴族』“Our Flag Means Death”。これも地主階級(ジェントリ)の主人公が中年になり、子供の頃から憧れていた海賊の世界に足を踏み入れる。まさしく「中年の危機」がテーマとしてありますし、海賊という男性的な世界に憧れる主人公、しかもここで主人公が憧れる男性的な存在をまたまたタイカ・ワイティティ監督ご自身が演じていると。しかしそんな男性的な世界、海賊以上に主人公が人生の価値を見出していくという。これも本当に美しいラブストーリーなんですよ。ほぼ同じテーマ、題材を同時期に『海賊になった貴族』と本作『ラブ&サンダー』でやっているというのが面白いですね。

ただ何度も言いますが、「中年の危機」モノのドラマとしては『海賊になった貴族』よりは若干弱い、ピンボケしているなという印象ですね。ソーが心の傷に向き合うドラマと並行して、もう一人の主人公とも言えるジェーンの物語もかなり深く描かれます。ジェーンも実はソー同様に「男性性」の呪いに苦しんでいるという描写ですね。これも驚きました。今回、重病を抱えている中、休まないといけないのに研究をし続ける。みんな大好きダーシーが「休もう」と言うけれども「私には私のやり方がある」と。なぜジェーンは休まないのか、これには亡き母親の「闘い続けなさい」という言葉。母の存在が影響していると描かれます。

ジェーンとソーが抱えるのは「男性性の呪い」、何なら「ムジョルニアの呪い」と言っても良いかもしれませんね。「強い王」の象徴であるムジョルニアに見出され、ジェーン自身も闘い続けることで自分の病と向き合うことを避けていると。ソーとジェーン、実は同様の苦しみを抱えている。この設定はかなり興味深かったんですが、あまり有機的に絡まなかったのが残念でしたね。もっとこの設定が活かせていたら、もっとドラマが強固になっていたと思うんですが、タイカ・ワイティティはこのドラマよりアドリブ、コメディ、SFアドベンチャー的な要素に軸足を置く判断をしたということですね。

あと、絶対に本作を語る上で言っておきたいのは悪役ゴアです。本当に素晴らしかった。MCU史上でもサノス、キルモンガー、ジモ、ヴァルチャー、ミステリオに続く魅力を感じましたね。なので個人的6位の悪役ですかね。これもひとえに、ゴアを演じたクリスチャン・ベール力ですね。映画始 まった段階で、『マシニスト』『戦場からの脱出』ばりに痩せ細ったクリスチャン・ベールがスクリーンを支配して、一気に『ラブ&サンダー』が映画的になった印象もありましたし、ゴア怖すぎ問題。小さいお子さんとか泣くだろうライトなホラー描写も驚きました。あと、影の星の描写、この惑星に着くと色は失われてほぼモノクロになると。前作から続いて本作も物凄くカラフルで、黄金とかピカピカなカラーの一方、後半はモノクロになるという映画全体のカラーリングのデザインとかもとても良かったと思いました。ちょっとこんなふざけた映画でクリスチャン・ベールを使ってしまうのはもったい無いくらいの役作りと演技でしたね。魅力的な悪役ゴアでした。

傷つく権利

『ソー:ラブ&サンダー』は、物凄くまとまっているとは言いづらいですし、監督が意図したテーマも十二分に描かれているとは言えないですが、「ソー」の物語として愛おしい映画だったと思いました。まず冒頭で泣かされます。このソーの自分探しの物語。僕が最初に頭に浮かんだのはグレイソン・ペリーという方の「男らしさの終焉」という書籍でしたね。男性の生きづらさについてコミカルに書かれたコラムですが、このコラムの4章の中見出しにこういうものがあるんですね。「傷つくこと、愛することに開かれよう」まさしく劇中で「心を開いて」というセリフがあるので、そのままなんですが、グレイソン・ペリーはこの書籍でブレナー・ブラウンの「傷つく心の力」という言葉を引用して、自分の心の傷に気付くには力が、能力が必要なんだと言っている訳ですね。そしてこの「男らしさの終焉」の最終章の見出しが「男たちよ、自分の権利のために腰を下ろせ」なんですね。そしてその「男たちの自分の権利」とは何なのか?その一個がまさしく「傷ついていい権利」。

「監督これ読んだ?」って感じなんですが、自分の心の傷に向き合わず、失うことを恐れて愛を避けてきたソー、闘い続けることで身体の傷から逃げてきたジェーン。「傷ついていいんだよ」ということですよね。その「傷ついていい権利」のために腰を下ろせと。「マイティ・ソー」「ソー」という腰を下ろす、権利を渡す、子供たちにソーの力を分け、今まで自慢話のように子供たちに語っていた武勇伝スペース・バイキング、ソーの物語の主人公は最後にソーではなく、ニュー・ソー、ジェーンの物語に置き換わった。ソーの物語の主人公をジェーンに託す。ソーは腰を下ろせた訳ですね。先ほども挙げましたが、偶然にもMCUの前作『MoM』で主人公が初めて他人を信じる、他人にメスを渡す様子と重なります。『MoM』の動画でも『ドライブ・マイ・カー』との類似を挙げました。『ドライブ・マイ・カー』では村上春樹さんの「木野」という短編のセリフを劇中に引用しています。「おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ。(中略)本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心な感覚を押し殺してしまった」。

心を開こう。傷つくこと、愛することに開かれよう。それにようやく気付く、長い長い愛の宇宙セラピーが『ソー:ラブ&サンダー』だったという事だと思います。1作目『マイティ・ソー』で父に鎧を奪われ、地球に追放されたソーが、その地球で出会ったジェーンとの愛を再び受け入れることで、今度は自ら「マイティ・ソー」という心の鎧を脱ぎ捨て、「男性性、闘いの象徴」とも言えるムジョルニアを他人に託し解放される、そういう4作目だったんじゃないかと思います。今まで呼ばれた時だけ行っていたヒーロー活動もようやく自らの意思で行う事ができるようになった。ソーのヒーローオリジンとして二回目のスタートが今まさに始まるという『ソー:ラブ&サンダー』。とてもソーというキャラクターを物凄く優しく成長に導く、ふざけてはいるんですが真面目な、誠実な映画でした。僕は作品のクオリティ以上の愛おしさを感じています。

【作品情報】
ソー:ラブ&サンダー
2022年7月8日(金)公開
© 2022 Marvel Studios


茶一郎
最新映画を中心に映画の感想・解説動画をYouTubeに投稿している映画レビュアー

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