精神科の強制入院、「人権侵害」という患者の声をかき消した「圧力」 「外圧に姑息な言い訳、恥ずべき行為」と病院側が猛反発

厚生労働省が入る中央合同庁舎5号館

 日本の精神医療は以前から国際的に「人権侵害」と強い批判を受けてきた。患者に対する長時間の身体拘束や隔離、医師1人だけの判断で強制的に入院させられる仕組み。厚生労働省は今年3月、学識経験者や関係団体を集めた有識者検討会で制度改正に向けた意欲的な案を示した。だが、その方針は次第に後退していき、結局、6月にまとめた検討会の報告書では、かなり表現が弱まってしまった。何があったのか。(共同通信=市川亨)

 ▽布団と便器だけの部屋

 2014年、北海道のある精神科病院。外からドアを施錠された「保護室」(隔離室)に私はいた。布団と洋式の便器以外には、テレビも何もない。
 することがないので、1時間ほどで飽きてしまった。看護師に外に出してもらうと、同じ病棟の患者たちは、ほとんどが静かに落ち着いて過ごしていた。多くの人は数年以上という長い間、ここに入院している。「なぜこの人たちは、ここにいなくてはいけないんだろう」。これが入院中に感じた最大の疑問だった。1人では無理でも、誰かの手助けさえあれば地域社会で十分暮らせそうだったからだ。

 ▽画期的な方針

 

 取材のため病院の許可を得て、2泊3日での体験入院だった。それから8年たったが、精神医療の問題点はほとんど変わっていない。8年どころか20年、30年変わっていないと言えるかもしれない。病院の閉鎖的な環境、身体拘束や隔離、医療的には必要ないのに長期にわたる「社会的入院」。精神障害がある人に対する社会の偏見もいまだ根強い。

精神医療に関する厚労省の有識者検討会の初会合=2021年10月、東京都港区

 こうした状況を改善すべく、厚生労働省の検討会が始まったのは昨年10月。会合を重ね、厚労省は今年3月中旬、画期的な方針を打ち出す。強制入院の制度の一つである「医療保護入院」について「基本的には将来的な廃止も視野に、縮小に向け検討」との方針を示したのだ。

 ▽医師1人の判断で強制入院、先進国では異例

 医療保護入院とは、患者に自分や他人を傷つける恐れがなくても、精神保健指定医1人の診断と、家族らのうち誰かの同意さえあれば強制的に入院させることができる制度。海外にも同様の制度はあるものの、「自傷・他害の恐れ」や「医師2人の判断」など、より厳格な条件で運用されていることが多い。
 現在、日本の精神科に入院している患者は約27万人。このうち、半分近くが医療保護入院による。医師1人の裁量で強制入院が広く行われている状況は、先進国の中では異例だ。
 病院はベッドが空いていれば、患者を入院させたほうが収入が増える。医師1人の判断では、そうした恣意的な入院を招きかねず、国際的にも「人権侵害」との批判が出ている。厚労省が「廃止」を打ち出すのは、前身の制度ができた1950年以来おそらく初めて。私は応援したい気持ちになった。

 ▽協会の会長が異例の出席「忠告しておく」

 

 ところが、厚労省のこの方針が報道された後に開かれた3月末の検討会で、風向きが怪しくなった。全国団体「日本精神科病院協会」(日精協)の委員が「(会員の病院から)非常にお叱りを受けた。医療保護入院が廃止されれば、治療の放棄につながりかねない」と反対姿勢を鮮明にしたからだ。
 すると、厚労省は4月、資料から「廃止」の文言を削除。「将来的な継続を前提とせず、縮減に向け検討」と修正した。

厚労省の検討会に出席した日本精神科病院協会の山崎学会長(右)=5月9日、東京都港区

 しかし、日精協はこの表現にも納得しなかった。検討会終盤の5月上旬、協会トップの山崎学会長が参考人として異例の形で出席。「医療保護入院制度を廃止したら、精神科の医療は完全に壊れる。これは忠告しておく」と強い口調で訴えた。
 厚労省はさらに後退する。5月30日の検討会では、表現を「将来的な見直しについて検討」と再び弱め、「縮減」という言葉も削除した。しかも、検討会はこの日に報告書をまとめる予定だったが、6月9日に延期した。理由は「厚労省が山崎会長にお伺いを立てるため」(関係者)。実際、厚労省の担当幹部が山崎氏に説明する場が、6月2日に設けられた。

 ▽会長の政治力

 厚労省がここまで気を使う「日精協」とは、どんな団体なのか。
 

日本精神科病院協会のビル(東京都港区)

 日精協には約1200の民間病院が加盟している。合計すると、国内の精神科ベッドの約85%を占める。精神科に限らず、日本の病院はほとんどが公立ではなく、民間の医療法人などが経営するケースが圧倒的に多い。
 山崎氏は12年という長期にわたり会長を務め、亡くなった安倍晋三元首相とゴルフをするなど、政治力が強いとされる。さらに、発言がたびたび物議を醸す独特の存在としても知られている。例えば、2018年には協会の機関誌に「(患者への対応のため)精神科医に拳銃を持たせてくれ」という部下の医師の言葉を引用して掲載した。

 ▽「人権屋の扇動」

 今回の厚労省の検討会についても、機関誌5月号に意見を載せていた。まずやり玉に挙げたのは、精神科病院の閉鎖性を踏まえ議論されていた新たな仕組みだ。入院患者の一部を対象に、福祉職ら外部の支援者が訪問して相談に乗る仕組みを導入することになった。山崎氏は「外部から訳の分からない人間が入ってきたら、現場で混乱するのが目に見えている」と書いている。

日精協の機関誌5月号に山崎学会長が載せた文章。検討会の資料から「医療保護入院制度の将来的な廃止」という文言を削除するよう、厚労省に求めたことが書かれている

 厚労省が当初、強制入院の縮小方針を掲げた背景には、日本が締結している障害者権利条約に関する国連の審査がある。8月に予定され、精神医療に関して何らかの勧告が出る可能性がある。山崎氏はこの点についてもこう批判した。「(国連の)対日審査などという外圧に対して姑息な言い訳で取り繕うのは恥ずべき行為だ」
 機関誌での主張はさらに続く。精神科病院への診療報酬が低く抑えられているとして、厚労省に対し「人権屋に扇動されて我々の努力を踏みにじり、低医療費政策を続けるつもりなら、精神科医療を国営化してごらん」とも記した。
 山崎氏のこうした姿勢には、検討会のほかの委員や障害者団体から「脅しのようだ」「圧力をかけている」という批判が上がり、「厚労省は忖度しすぎだ」との苦言もあった。検討会には精神障害の当事者や家族の代表も加わっていたが、「私たちの意見は追いやられた」と無念の声が漏れた。

 障害者団体の全国組織など13団体でつくる「日本障害フォーラム」は6月末、「医療保護入院の廃止、縮減に向けた検討を継続してください」などとする要望書を厚労省に提出した。

 ▽皆が不幸な日本の精神医療

 山崎氏はこれまでも次のような主張をしている。「精神障害者を差別する社会の中で、家族が面倒を見切れなくなった患者を病院が引き受けてきた。『入院医療から地域生活へ』と言ってみても、地域で安心して暮らせる環境を国はつくっていないではないか」
 確かに当を得ている面はある。精神科病院を悪者にしたところで問題が解決するわけでもない。病院でジレンマを感じながら患者を身体拘束している職員を含め、皆が不幸な悪循環に陥っているのが日本の精神医療だ。
 一方で、病院の果たす役割はやはり大きい。国が診療報酬のウェイトを「入院」から「訪問診療・看護」にシフトさせ、患者が地域で暮らせるよう日精協も旗を振れば、状況は相当変わるだろう。家で暮らす患者の症状が激しくなったとき、医師や看護師が駆け付けてくれる。不安定になりそうな予兆を捉えて、症状を落ち着かせる。そんな医療が提供されれば、患者が何年も入院する必要はないはずだ。
 

 

 厚労省は検討会の報告書に基づいて年内にも精神保健福祉法の改正案を国会に提出する方針だ。検討会やその内幕を取材していて、「日本の精神医療はこれからもまだ変わらないのか」と暗たんたる気持ちにもなったが、今後の法案作成や国会審議の過程で、少しでも悪循環から抜け出せる道を探ってほしい。

 ▽取材後記

 「精神科に入院していた」と知人から聞いたら、多くの人は「えっ?」と驚くのではないだろうか。でも、例えば「外科に入院していた」と聞いたらどうだろう。精神医療の問題の根本は、そう感じてしまう私たちの心に原因があるように思う。私も体験入院する際、「怖い」という気持ちがなかったといえばうそになる。しかし、そこで多くの患者たちを見て、話をすることで不安は消えていった。
 私たちが普段の暮らしで精神障害者と触れ合う機会をつくること。それが「悪循環」を変える一歩になると思う。

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