【60周年】ザ・ローリング・ストーンズ初めてのライヴと手書きのセットリスト

1962年の夏、アレクシス・コーナー率いるブルース・インコーポレイテッドはロンドンのオックスフォード・ストリートにあるマーキー・クラブで毎週木曜夜の定期公演を行なっていた。7月の初週、アレクシス・コーナーはBBCラジオの番組「ジャズ・クラブ」への出演を持ちかけられたが、マーキーのオーナーだったハロルド・ペンドルトンはこれを良く思わず、コーナーにこう言い捨てた。

「今週の木曜にステージを空けてみろ、来週からのライヴは保証できないぞ」

しかしコーナーには秘策があった。彼は後輩のミック・ジャガー、イアン・スチュアート、キース・リチャーズ、ブライアン・ジョーンズらに代役を頼んだのだ。ジャズ・ニュース誌に掲載された、このライヴが決まった後のミック・ジャガーの発言が、彼のメディアに対する初めてのコメントになった。

「客が俺たちをロックン・ロールのグループだと思わないことを祈るよ」

[(https://www.udiscovermusic.jp/stories/rolling-stones-el-mocambo-toronto-liner-notes-excerpt)彼らにはどんなバンド名でこの出演をこなすかという問題もあった。ミックとキースと地元ケントから顔なじみだったデイヴ・ゴーディンは以下のように語っている。

「バンド名を決める瞬間に居合わせたんだ。マディ・ウォーターズのSPレコード『Rolling Stone Blues』に因んだものだっていう話はまったくのデタラメだよ。あのころはもう78回転のSPなんて持っているやつはいなかった。俺たちも33回転盤(LP)か45回転盤(7インチ・シングル/EP)しか持ってなかったよ。で、俺がもっていたマディ・ウォーターズの『Mississippi Blues』ってタイトルのEPに“Mannish Boy”って曲が入っていて、その曲に“Ooo I’m a rollin’ stone”って歌う一節があった」

ここから”The Rolling Stones”という名前が生まれたというのが、ゴーディンの証言だが、しかし、全員がこの名前を気に入っていたわけではないようだ。特にイアン・スチュアートは不満だった。

「ひどい名前だと言ったよ。アイルランドのショー・バンドか、サヴォイで演奏していそうなバンドみたいだろう」

ジャズ・ニュース誌にはライヴの告知を目的にした記事も掲載されていた。

「ブルース・インコーポレイテッドが”BBCのジャズ・クラブ”への出演で不在の明日、R&Bのヴォーカリスト、ミック・ジャガーはグループを率いてマーキーの舞台に立つ。名前はザ・ローリング・ストーンズだ。メンバーはミック・ジャガー(ヴォーカル)、キース・リチャーズとエルモ・ルイス(ギター)、ディック・テイラー(ベース)、イアン・スチュアート(ピアノ)、ミック・エイヴォリー(ドラム)である。ロング・ジョン・ボルドリーが率いるもう1組のバンドも併せて出演予定だ」

ライヴ当日の1962年7月12日、後にキンクスに加入するミック・エイヴォリーはステージに立たなかったが、ドラマーがいたかどうかすら、記憶している人はいない。それはチャーリー・ワッツが加入を打診される6ヶ月も前のことだった。

当時の手書きのセットリストによれば、彼らは敬愛するジミー・リードやエルモア・ジェームス、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノらの楽曲(「Kansas City」「Confessin’ The Blues」「Bright Lights Big City」「Down The Road A Piece」、そして「Dust My Broom」)を披露した可能性が高い。

実際にストーンズが演奏したかどうかはわからないが、当時のストーンズが好んで聴き、リハーサルしていた楽曲群の一端が垣間見えるのは興味深い。

Written By Richard Havers

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