蒜山高原遺跡 3.6万年前生活跡 中四国、近畿で最古級

岡山県教委が1988年に発掘し、石器群が出土した中山西遺跡。炭化木片から3万6千~3万4千年前のものと分かった(県古代吉備文化財センター提供)

 中央大と東京大の研究チームは、後期旧石器時代の蒜山高原遺跡群(真庭市)など岡山県北部の4遺跡から出土した炭化材の年代測定を行い、3万6千~3万4千年前のものとする調査結果を13日までに明らかにした。人類の生活跡として中四国、近畿地方で最古級になるという。

 分析したのは蒜山高原遺跡群の中山西、下郷原田代、城山東遺跡と、新見市の野原遺跡群。県教委による過去の発掘調査で見つかった、たき火跡とみられる土壌から1センチ~数ミリ程度の炭化した木片のサンプルを採取し、放射性炭素年代測定を行った。

 同じ地層からは、旧石器人が使用した局部磨製石斧(せきふ)、台形様石器などの石器群が出土している。3万6千~3万4千年前という結果は、石器に確実に伴う炭化材の年代測定では近畿、中国、四国地方で最も古い値だという。

 「日本列島でも最古級の遺跡が、蒜山高原を中心とした中国山地に残ることが分かってきた」と及川穣(みのる)・中央大人文科学研究所客員研究員。

 さらに、木片を走査型電子顕微鏡で調べたところ、温帯性落葉樹のサクラ属やカヤと判明した。当時は最終氷期の最寒冷期(2万5千~2万年前)に向かう時期で寒く厳しい気候とみられてきたが、「比較的温暖だったことが推測され、時代観を見直す材料になる」という。

 国内での旧石器人の起源は明確ではないが、静岡県沼津市の井出丸山遺跡(3万8千年前)などが最も早い一つとみられている。岡山県では恩原遺跡群(鏡野町)で3万3千~1万6千年前の地層から石器が出土している。

 及川研究員は「人類が日本列島で定着し始める過程を知る上で、重要な手掛かりになる」としている。

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