新型コロナ・頻発する災害の退散を願い山口祇園祭 今年も神事のみで開催

 今年の山口祇園祭は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、一昨年、昨年に続いて「裸坊」による御神輿(おみこし)の巡行、山鉾(やまほこ)での祇園囃子(ぎおんばやし)の演奏、御旅所(山口市駅通り1)での鷺替行事(福引)、市民総踊りなどは中止に。
 だが、疫病から人々を守るため「神の乗った御神輿が山口市中の御旅所に祇園社から遊行する」のがこの祭りの本質でもあり、「新型コロナウイルスや、頻発する災害の退散」を願って、神事や御神輿の移動は実施される。
 初日の「御神幸」と最終日の「御還幸」は、トラックを利用して御神輿を運搬。また、神事の際に大殿小もしくは白石小の5年女児4人が「浦安の舞」を舞うのが恒例行事だったが、コロナ禍で練習ができないため、大人による舞が奉納される。

▲御神輿は商店街アーケードをトラックで「お渡り」

山口祇園祭の日程

 八坂神社(山口市上竪小路)の祭礼である山口祇園祭は、前夜祭を含めば、9日間にわたる祭事だ。
 御神霊を御神輿(四角、六角、八角の3基)に移す「前夜祭・御神輿遷霊祭」は、7月19日(月)午後8時から。ちょうちんの炎だけがほのかにゆらめく暗がりの中、本殿から3基の神輿に神様の分霊を移す様子は、祇園祭の「あり方」が、最も実感できる瞬間。六角神輿には出雲でヤマタノオロチを退治した「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」、四角神輿には素戔嗚尊の妻「稲田姫尊(イナダヒメノミコト)」、八角神輿には稲田姫尊の両親である「足名槌命(アシナヅチノミコト)・手名槌尊(テナヅチノミコト)」をお乗せする。
 祭りの「本番」は20日(水)からで、午後6時からの八坂神社での「本殿祭」(神事)で始まる。「浦安の舞」や「鷺の舞」も奉納され、御神輿を御旅所まで運ぶ「御神幸」は7時ごろから。裸坊が御神輿をトラックに乗せ、御旅所へと「お渡り」する。例年裸坊が巡行するルートを踏襲し、裃(かみしも)を身にまとった総代や神職も随行。徐行しながら、竪小路や中心商店街アーケードなどを抜けて御旅所前へ。そして、御神輿が裸坊によって御旅所内に運び込まれた後に、「御旅所祭」(神事)が執り行われ、「浦安の舞」も奉納される。
24日(日)は、御旅所での「中日祭」(神事)。午後8時から「浦安の舞」とともに執り行われる。

▲御神輿の前で奉納される「鷺の舞」(2021年)

 最終日の27日(水)は、午後7時から。御旅所での「御旅所祭」(神事)後に、初日同様総代や神職も随行しながら、トラックで神輿を八坂神社へ運ぶ「御還幸」(7時半~)が実施される。八坂神社に到着後、「本殿祭」(神事)があり、御分霊を神社にお戻しし、山口祇園祭は幕を閉じる。
 神様に市中に鎮座してもらうことで、向暑時の疫病退散や、天変地異の災厄を払う願いが込められたこのお祭り。期間中、御旅所での参拝は、午前8時半から午後9時まで可能だ。夜には、数多くの提灯(ちょうちん)も灯される。八坂神社の小方礼次宮司は「密を避けてマスクを着用するなど感染防止に気を付けて、新型コロナウイルス感染拡大の終息も願いつつ、ぜひ参拝してほしい」と呼びかけている。

▲御旅所前では協賛の提灯が灯される

山口祇園祭の歴史

 大内氏の24代当主弘世が、1369(応安2)年に京都・八坂神社(祇園社)を勘請したのが山口・八坂神社の始まり。そして、八坂神社の祭礼・山口祇園祭は、1459(長禄3)年に28代・教弘が京都から伝えたといわれており、約560年もの伝統がある。
 江戸時代初期には、15の鉾と4基の山が街を練り歩き、鷺の舞や祇園囃子など、その豪華絢爛な様は「西国一」と賞され、地元はもとより近隣の村々、遠くは石見の国から押しかけるほどにぎわっていたという。
 だが、昭和に入って太平洋戦争が始まり、1941(昭和16)年に山鉾の巡行が、戦争末期には祭り自体が中止に。戦後の1946(昭和21)年に再開してからは、期間中に「市民総踊り」や「大内時代行列」(現在は中止)を実施したり、山鉾2基と祇園囃子を復活させるなどしている。

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