<南風>あの夜の「生活の柄」

 フォークシンガーの高田渡さんが、ツアー先の北海道で亡くなったのは11年前の4月16日のこと。何度か仕事をさせてもらう機会があったのと、あまりに突然のことに茫然(ぼうぜん)となった。 渡さんは、沖縄出身の詩人山之口貘さんの詩にメロディーをつけて歌った。その中でも「生活の柄」は、今やフォークのスタンダードとして知られる。

 2004年3月、渡さんのライブを那覇のライブハウスで行った。お酒が好きな渡さんはこの日も昼間からご機嫌で、本番前には8割がた出来上がった状態だった。休憩を挟んだ第2部。ステージ上でギターを抱えたまま眠ってしまった。

 マイク越しに鼾(いびき)まで聴こえてくる始末。会場からはクスクス笑いとざわめき。女性ファンが「渡さん、起きて!」と声をかけると、シャドー・ボクシングのようなリアクション。約30分。観客もほとんど席を立つことなく、その様子を眺めていた。ようやく歌い出したのは、しどろもどろの「生活の柄」。この1曲を歌い終えると、身体を引きずるように楽屋へ帰っていった。ある意味凄(すご)いショーだった。

 翌日、石垣島へと向かう渡さんを送る時、「昨日ステージで眠っていたことを覚えていますか」と尋ねると、「野田くん、伝説を見ちゃったね」。まるで、イタズラっ子のような笑顔を見せた。

 2006年4月、ニューヨーク。渡さんとも旧知のフォークシンガー友部正人さん夫妻と、ワシントン・スクエアパークにいた。ちょうど渡さんの一周忌で、一緒に供養をしようと誘われたのだ。供養と言っても、特別なことは何もないのだが。友部さんはギターを手に、レッドベリーの「グッドナイト・アイリーン」を自身の歌詞で歌ってくれた。

 よく晴れた気持ちの良いニューヨークの空の下、歌を聴きながら、私はあの夜の「生活の柄」を改めて思い出していた。

(野田隆司、桜坂劇場プロデューサー・ライター)

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